「好き嫌いはダメ」という風潮をやめたい
「好き嫌いはしちゃだめ!残さず食べましょう!ダメ」幼い頃に幾度となく聞かされて育ちました。あれダメ!これダメ!って。割りとしつけの厳しい家庭で育ったように思います。
嫌いで食べられないモノを無理矢理食べる。食べきるまで監視の目がいく。泣きながら、吐き気を催しながら、水や牛乳で流し込んだ記憶、今でも覚えています。
あの辛く苦しい思い出は思い出したくありません。
なんであんなにダメだったのだろう?なんで嫌々泣きながら食べなきゃいけなかったんだろう?それでも、比較的好き嫌いは少ない方ではあったと思うんですけどね。でも1つや2つ、人には好き嫌いってありますよね。
学校給食があった世代なんですが(だいたい、みなさん給食でしたか?)、給食でも凄く楽しみな日もあれば、朝から絶望を感じる日もありました。ただ「嫌い」と言えないし、残すのもご法度みたいな風潮があったんで、無理矢理食べていた記憶があります。
食べ物の話を取り上げてますが、なにも好き嫌いって食べ物に限った話ではないと思うんですよね。
嫌いでも、あとで好きになることがある。
食べ物の話を例に取ると、子どもの頃に、めちゃくちゃ嫌いな食べ物がありました。ここではあえて言いませんけど、口に含むと、もう気持ちが悪くなって、吐き気を催すくらいのものがあったんです。こんなものを「食べろ」って言われたら、嫌いになりますよね。
どうしても、口に合わない。でもそれでも「栄養だから」「成長には必要だから」っていう理由で、口にしなければいけない。これは辛い。
「あなたのためを思って」っていうのはわかるんですけど、そう思うなら、わたしの意を汲んで欲しいなぁと思っていた次第です。
でもですね、「嫌い」なモノであっても、時が経つと「嫌いでなくなる」こともありますし、意外と「好き」になったりするんですね。子どもの頃にあんなに嫌いだった食べ物、大人になってから「あれ?これいけるやん」っていうものもいくつかありました。
最近は、特に「嫌い」って抵抗もなく、普通に食べていたりします。むしろこの味がイイ!と思うものもありますからね。だから、当時嫌いだからと言って、いつまでも嫌いでいるっていうのは、ないんだから、無理しなくてもよかったのになぁ。って思います。
好きでも、あとで嫌いになることもある
逆に好きだったことが、あとで嫌いになることだってあります。わたしの場合、例えば「ゲーム」大好きで、暇さえあれば、いや、暇でやるわけじゃないんですが、ゲームをやるために色々な時間を削ってやっていた記憶があります。
あまりにもテレビの前から離れないので、また親にこっぴどく怒られたことを覚えています。そう「ゲーム禁止!」のお達しが出てしまいました。
でもですね、その大好きだった「ゲーム」ですが、今ではほとんどやらなくなっています。
「嫌い」というほどでもないんですが、「そこまでしてやりたいと思うものではない」というのが支配的です。今だったら、Youtube見るとか、ブログとか、このnoteとか、やりたいものは他にもあります。
未来永劫「すき」でい続けられるモノって、少ないんですよね。だからのめり込みすぎて心配してしまうのもわかりますが、ほっとけば、次第に落ち着いてくるから、そっと見守ってもらえればイイんですけど、なかなかそうはいかないみたいなんですよね。
好きなことを、かなり抑圧して過ごしていた。その記憶がすごく残っています。
みにはっきり好き嫌いが言えないと、いつまで経っても言えない
ここからが本題なんですが、こうやって「嫌いなものを嫌いと言ってはいけない」「好きなものを好きにやらせてもらえない」状態が続くと、いざっていうときに、ちゃんと「好き」「嫌い」が言えなくなるんです。
「嫌いなモノを我慢して食べる」を繰り返していると、慣れてくるというのが正しいのかわかりませんが、もう「嫌いです」って言わない、言えなくなっちゃうんですよね。言えなくなるというか、言いにくい。
逆に好きなことも好きって言えなくなる。例えば、好きな異性に「好き」っていうのがとてもハードルが高くなって、辛く悲しい思いをすることだってあります。(思い出すと、また悲しくなってきましたw)
言わなきゃいけないときに言えない、それで損することって、避けたいんですよね。だから普段から「好き」「嫌い」はどんどん使っていきたいんですけどね。
自分でも好きか嫌いかわからない⇨どうでもいいと見做される。
「好き」「嫌い」を明確にしていないと、自分でもそれが好きなのかあるいは嫌いなのかがよくわからなくなることがあります。
そんなことはないと思うかもしれませんが、割りと好き嫌いよりも「どうでもいい」って思うことが多くなります。となると、そんな扱いになっちゃうんですね。自分の行動が。
そういう生活をしていると、自分だけでなく、相手も何か思うところがあって、ぞんざいな扱いを受けることもあります。好悪をあからさまにするって、悪いことだと教わっていたような気がしますが、むしろ逆で、好悪をはっきりしていた方が、「得体の知れないやつ」って思われなくなりますからね。
他人に遠慮することはない。
海外で生活すると特に、日本以外の国の人は好悪をはっきりしてくれるので、こちらもわかりやすいです。ですが、こちらも好悪をはっきり示せないんで、相手をイライラさせてしまうこともあります。
まぁ、しょうがないんですけどね。
どうも遠慮してしまいがちなんですが、「はっきりものをいう」というのは見習うべきところですよね。海外で渡り合うなら、「はっきりものをいう」こと、これを身につけておくのは、必要だと思うんですよね。
将来、いつなんどき海外の人たちと接する機会があるとも限りません。普段からやっぱり慣れておくと言うのは必要だと思うんです。
だから好き嫌いをはっきりして、それを口に出す。そう言う訓練をしておかないと、いざってときにやっぱり言えない。
まとめ
「好き嫌いはダメ」って言う風潮をやめて、もっと「好き」「嫌い」をはっきりした方がいいと言うのが、今の意見です。それで傷つくこともあるかもしれませんが、なあなぁで過ごして、箸にも棒にもかからない、よくわからないことになるよりは良い。
そう思えるまで、時間がかかりましたけど、その通りなんですよね。まぁ、長年染み付いてしまった言動はなかなか変えられないから、チャンスがあるなら、早くから言えるようになっておきたい。そう思います。
それでは、また。