「#Twitter呟かない人」をやることにした
以前の記事で、思うところがあって、Twitterで呟くのを少しやめてみようということで、呟くのをやめてしまいました。基本的にはnoteを書いて、それをTwitterにアップするだけ。
期限は設けていませんが、とりあえず1年は継続してやっていきたいと思っています。途中でネタがなくなって、noteの書く手が止まるのか?飽きてきてやめるのか?
それとも途中で投げ出さず、決めたことをやり続け得ることができるのか?自分自身を使って、実験してみたいと思います。
それまではツイ廃と言っていいくらい、張り付いていたんです。ちょっとやりすぎかな?とは思っていたんですが、どうも止められない。
やってて楽しいことはやめられないんですよね。ある意味、依存症の状態とでも言いましょうか?でもそれって、どうなんだろう?って、少し思いとどまったんです。
呟かなくなってから、まだ数日しか経っていませんが、ちょっとやっていることの趣を変えて、やってみようかな?と考えるに至りました。
生来の実験好きでしてw
何をやろうか?と言うことですが、タイトルにもあるとおり、「#Twitter呟かない人」をやってみようと考えました。いやいや、矛盾していますよね。このツールは短いメッセージを「呟くためにあるモノ」なのに、それを呟かないって。
「やってたことを、やめる」ってなんとなく、後ろ向きな感じがするんで、「やらないことを、やる」って、前向き?に取り組もう!という感じですw
だから、やってることは、前と変わりありません。
えぇ、自分でもおかしなことを考えるよな、って思います。何がしたいのよ?ってなりますw (変人の域)
でもですね。
それを敢えてやってみたらどうなるのか?どういう反応をもらえるのか?自分自身、何か変わるのか?ちょっと確かめてみたくなったんですね。そんなことして何になるの?それもわかります。
Twitterでは呟かず、記事をひたすらアップするだけ。これをしばらくの間続けたら、どんな感じになるのか?なんとなく、Twitter運用している意味はなくなるかもしれないですが、それはそれでどうなるか。
もちろん。飽きたらやめます。
ミニマリズムを知ったときに、「やってみよう」と思ったのも、それまでたくさんのモノに囲まれた生活を送っていたところに、真逆の考え方に出会ったので、それに衝撃を受けたのは今でも覚えています。
同時に「そんな仙人みたいな生活、できるわけないだろ」って思っていたりもしました。
だけど、「やってみたら面白そう」とも思い、やってみて、気がついたら今、目の前には、ほとんどモノのない空間が生まれました。
「こうあるべき」という常識にとらわれずに、敢えてちょっと外れたことをやってみる。真逆のことをやってみる。それをやると、何か見えてくるものがあるんじゃないかって思います。
あまり肩肘張らずに、トライしていければなぁ、と思っていますので、暖かく見守っていただけるとありがたい限りです。
それでは、また。
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