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散らかりようが、ない
「部屋の中、散らかすんじゃない!」この言葉をもう何回も聞いて、幼少期を育ちました。実家を出るまで、基本的にそのように言われて育ちました。
まぁ、言われると「なんだよ!」って反発したくもなるし、度が過ぎると「グレる」(もう、グレるなんて言葉、使ってないんでしょうか・・・w)こともありますが、流石にそこまではいきませんでした。
渋々、片付けて、散らかしたと言われる状態を是正しようとしました。片付けたはずなのに、「まだ、片付いてない!散らかったままじゃないの!」「片付けなさい!」というコンボを喰らうのがお決まりだったと思います。
その度に「なんだよ!」って反発していたように思います。
何度か書いていますが、実家はモノが多くて、片付けているんですが、客観的にみると片付いていないように見えます。その中でいくら「片付けて」も、片付いているように見えないんですよね。
わたしも両親も含めて、片付かないことに「不機嫌」になっていたんだと思います。部屋が散らかっていると、やっぱりストレスなんです。イライラがおさまりつかない。
当時は、散らかしていると指摘されて、渋々片付ける。でもそれでも「なってない」といって怒られて、さらにやり直しを喰らう、そしてお互いにどんどん険悪になっていく、ということを繰り返していました。
そうなんです。
当時は、いくら片付けても、散らかしているように見えるし、やってもやっても、片付かない、違和感を感じていたのに、その解決法がわからずに、もがいていたように思います。
友達の家に行ったり、親戚の家に行ったりしたときに、綺麗に片付いているように見えていましたけど、それが「モノが多いことである」ということに、家族一同、誰も気づかなかったんですよね。
モノを捨てるのは「もったいない」と考えていたし、そういう教育を受けてきたので、捨てるのはとんでもない!と思っていた節があります。
でもですね。
ミニマリストをやり始めて幾年月経ちますけど、モノがなくなると、もう、散らかりようがないんですよね。
これは、盲点でした。
当時はわたしも実家の両親も、気づいておらず、モノがなくなれば散らかることがなくなるということ、よく考えれば、全くその通りなんですよね。部屋が散らかるのは、モノがあるから散らかるのであって、散らかる元となるモノがなければ、そりゃ、散らかりようがありませんよね。
今も実家は散らかっていて、それを片付ける術を暗中模索している状況ですが、そこから脱却したいのであれば、「モノを減らす」ということに早く気づくといいのになと思いますけどね。
もし、部屋の中「散らかっているなぁ」と感じたのなら、もしかしたらまだ、モノが多いのかもしれませんね。
差し当たって、モノが極端に減った後、「散らかっているなぁ」という感想を持ったことはないように思います。
散らかしてもその程度。
だから散らかっているという感覚を持ち得ない。ただモノが少し、床に転がっているだけ。
まぁそれでも「散らかっている」と看做してもいいかもしれませんけどね。
それでは、また。
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