ストレスって発散しても、たぶんずっと持っていて
「GWでストレス発散! 明日からまた現実に」というセリフが書かれたInstagramのストーリーを見かけて、「ストレス発散」と呟いている自分がいた。
社会人になってから、「ストレスをため込むなよ」と「自分なりの上手なストレス発散の方法を見つけておけよ」を、上司なり、年の近い先輩なりに何度か言われたことを思い出す。
「ため込まない」「上手な発散方法」。
実際、会社の研修でも「ストレッサー(ストレスのもととなる諸悪の根源のこと)への対処法」なる講座を何度か聞いた。その講座の第一声は「ストレスはため込まないことが一番です」だった。一方で、一定量のストレスは必要でもある、と話した。「社会人としての自覚や、『ミスしないように』という緊張感は、仕事の仕上がりにも直結してくるから」とのことだった。
ストレスは嫌なものばかりではない。
そのあと、「ストレスをため込まない方法」がいくつか紹介された。よく睡眠をとる、美味しいものを食べる、外に出て日光を浴びる、趣味に没頭する、人と会って話をするなどなど。リフレッシュした状態でする仕事のほうが、良い結果になりやすいらしかった。
その講座を聞きながら熱心にメモをとっていた私は、もういない。
「GWでストレス発散! 明日からまた現実に」というストーリーを見て、私は自分のストレスやその発散方法について考えていた。
アラームを気にせず眠ること、本を読むこと、録り溜めたドラマの録画を見続けること、食べたいと思うものをお腹いっぱい食べること、好きなバンドのライブに行くこと。
どれも好きだし、どれもリフレッシュにはなるけど、なんというか根本的な意味でのストレス発散ではないなと思った。
ストレスって多分、「発散」という文字から連想されるような、自分の身体の中から出ていって、空気中に霧散するものではないのだと思う。
ストレスは霧吹きから出たミストみたいにシュワシュワ~とは消えない。
どちらかというと、「ストレス発散」は、浮力が変わるってことなのかもしれない。
渦中にいるときは、鉛のような重さでバスケットボールを持つみたいに自分でがっちりと持っている。だから「重いなあ」「嫌だなあ」と思う。
発散、と言われることをすると、たぶんその浮力がヘリウムガスをいれた風船みたいになる。
ふわふわ~と上に浮いていく。でも、自分から離れたわけじゃない。ディズニーランドで売っている風船のように自分にちゃんと紐が繋がれている。繋がれているけど、浮力で浮いた風船になっているから「重いなあ」「嫌だなあ」とは思わない。
だけどまた渦中になったり、問題が降ってくると浮力が少なくなって手の中に落ちてくる。そして重くなる。
きっとストレスってそういうものなのかも、と、考えていたらGWが終わりに向かっていた。