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もしも今日の私が泣いたら、その涙は甘かっただろう

自分の幸せを真剣に願ってくれる人を目の前にすると、甘い涙が出そうになる。

今日、大学生のときに出会った年上の友達とご飯を食べに行った。その人は気品も話し方も人生経験も、物理的な年齢も私よりずっと上の素敵な大人の人。

初めて会ったときから、その物腰の柔らかさは崩れることを知らない。私に対してずっと丁寧で温かい。そして私の幸せを、私の目の前でずっと願ってくれている。そのことが言葉からもわかるし、話し方でも伝わってくるのだ。

だから今日ずっと、私は泣きそうになるのを堪えていた。


食事をしながら、去年私がだめになってしまった話をつらつらとした。そのとき彼女は一言、「何も力になってあげられなくてごめんなさい」と言った。

「その時期、きっと私にも何かできることがあったかもしれないけれど、私には何もできなかった。だけど、今こうして元気になったあなたに会えてほんとうによかった。ほんとうにありがとう。あのときのあなたにありがとうです。だからこれからは、もっともっと素敵になれるはずです」

そう言って、最初にしたはずなのにもう一度、「お疲れ様」と乾杯をした。


そのあと、昨日noteにも書いた迷っていることを話すと、「でも、あなたはこれまでも1つ1つきちんと選択してきました」と言ってくれた。私はアルバイト時代も悩みがあるといつも彼女に相談していて、そのことを彼女は全部覚えてくれていた。

恋愛の選択、就職活動の選択、人間関係の選択、大学生の私は悩みが尽きなくて、そのたびにアドバイスを求めた。その1つ1つの選択を「尊いことです」と彼女は話して、「その尊いことをあなたは、丁寧にしてきたんです。だからこれから選ぶことも同じように尊いですし、あなたならその選択をきっと楽しむことができます」と言ってふふふと笑ってくれた。

たんぽぽの綿毛がふうわりと飛んでいくような笑い方だった。

私はまた、目頭がつーんと甘くうずくのを堪えた。


帰りも、逆方向なのに私が乗る路線の改札まで送ってくれた。「あなたが無事に帰れることを確認しないと、私は安心して帰れないのです」そう言って私の背中を押す。

彼女は、私がトイレに行ったすきに食事のお会計を済ませてくれるような人。彼女は、彼女の全部で私を肯定してくれる人。受け取れきれないくらいの愛情と優しさと願いを、私の手のひらいっぱいに渡してくれる人。

きっと私はこれからも、ずっとずっと彼女にあこがれ続けるのだと思う。そのぐらい、彼女が好きで、スキで、大切な友達だ。


ちなみに冒頭、「甘い涙」と書いたのは、嬉し涙は甘いと科学的に証明されているから。泣くときの感情に合わせて成分量が違うらしく、涙は甘くなったり、しょっぱくなったりするそうだ。


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