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【リレー短編】秋の靴
うぇぇえん、うぇぇえん!いやだぁぁあ!
404号室から聴こえてくる鳴き声は、廊下まで響き渡っていた。
大きな四角いリュックを背負った兄・ハルは、その声を聞きくや遅れたことを後悔した。
時間に融通がききやすいデリバリーの配達を始めたけれど、あともう一件と思ったのがよくなかった。
怖がりで寂しがりやの弟アキの注射の時間に間に合わず、廊下まで泣き声が聞こえる事態となっている。
ガラッと病室のドアを開けると、看護師さんが2人がかかりでアキを押さえ込んでいた。
「ほぉらアキくーん、大丈夫よ〜」
「やぁだああ! 怖い〜! やだぁ〜っ」
えぐえぐと喉が苦しくなりそうな嗚咽をところどころに挟みながら、アキは手足をバタバタしている。
「アキっ!」
ハルが声をかけると見知った2人の看護師さんがぱっと顔をあげ、遅れて涙と鼻水とよだれの泣き顔ハッピーセットでぐちゃぐちゃになったアキと目があった。
「えぐっ……うぇ、にいちゃっ……ぁぐっ」
「あ〜ぁ、もう、そんなに泣くなって。遅れちゃってごめんな?
ほら、もう兄ちゃが隣にいるから大丈夫だって、な?」
ハルはリュックを置きながら近寄ると、その顔を袖でごしごしと拭った。
塩っけのある水分を吸った袖口は、一瞬で周りより色が少しだけ濃くなった。
「ハルくん、ナイスタイミング! よかった〜来てくれて!」
「アキくんよかったね〜お兄ちゃん来てくれたね! じゃあ、注射しよっか!」
2人の看護師さんが止まっていた動きを再開する。
ハルくん、ありがとう、と耳打ちされて、すみません、とハルもぺこりと頭を下げた。
「にいちゃ、手ぇ……」
泣いているとき、力いっぱい拳を握っていたのかもしれない。アキが出した手のひらは紅く、まるでもみじのようだった。
手を握ると、きゅっと握り返してきた。その、アイスクリームが溶けそうな温度にハルの胸もきゅっとなる。
アキは、生まれつき体が弱く、免疫能力が低い。風邪をこじらせただけで、アキの場合は風邪では済まないことがほとんど。
小さな頃から入退院を繰り返し、この期間の入院で6歳になった。
未だに注射を怖がっていて、隣に誰かいないとさっきみたいに泣き喚く。
普段は、母さんがつきっきりだけど、今日は図書館のパートの都合がつかず、来ることができなかった。
父さんも、こんな昼間に仕事を抜けることはできず、白羽の矢がたったのが自分だった。そのはずなのに。
大丈夫だぞ、と握られていない方の手でさらさらの頭を撫でる。
ひっく、ひっくとしゃくりあげるアキ。目の前で、看護師さんがテキパキと注射を済ませていく。
「はぁ〜い! 終わったよ〜よくできました!」
気づけばアキの腕には白いガーゼが貼られていた。いつの間に、と思うスピードだ。
「あの、すみません、ほんとに。ありがとうございます」
「ううん、ハルくんも忙しいのに来てくれてありがとう」
ベットの下に置いたデリバリー用のリュックにちらりと目をやり、看護師さんたちは病室から出て行った。
「よく頑張ったな」
ハルがぽんぽんと頭を叩くと、恥ずかしそうにえへへ、とアキは笑った。
「にいちゃ、ありがとう」
お見舞いに頻繁に来ているはずなのに、気づけばアキはどんどん大きくなっている。その成長毒度にハルは驚いていた。
今みたいに、なんというか、少し健気な話し方をされるとハルは泣きたいような、堪らない気持ちになる。
自分とは歳が離れていることもあって、ハルは、アキが可愛くて仕方ない。
ハルの次がアキ、で季節的には一つ飛ばしてしまっているけど、アキはときどきほんとうに季節の秋を感じさせる。
その静かで薄い温度を、さっきのような話し方や手の握り加減でハルは感じていた。
「いいって。よし、じゃあ、ちょっと外に散歩にでも行くか?」
「うん! 行く! 僕ね、新しい靴あるんだ〜!」
アキがベットの下を指さすから、ハルはかがみ込んで、母さんが下にしまったと思われる靴を出した。
ベッドの下から出てきたのは、ナイキの黒の14センチの靴。
ハルはそれを見てはっとした。
ハルが今履いてる靴と同じデザイン、同じ色。サイズ違いのお揃いの靴だった。
アキを見ると、にまっと笑っていた。
「あのね、これ、看護師さんがかっこいいって言ってくれたんだあ」
ハルは緩みそうになる涙腺をぎゅっと締めた。そうでもしないと、いよいよ涙が出そうだった。
アキのとろけたような甘い顔に、嬉しいという気持ちが柔らかく出ている顔に、涙が出そうだった。
もし自分なら、好きなキャラクターの靴を選んでしまうだろうし、同じ靴を買ったとしても、見て見て! とすぐに見せびらかすだろう。むしろ、注射が終わった途端に、靴の話を始めるだろう。
だけど、アキはそうしない。
嬉しいという気持ちや喜んでいる気持ちを、バレンタインの包みを開けるようにそっとそっと、くれる。
小さな両手で水を掬うように、暖かな気持ちを両手いっぱいにのせて俺に渡してくる。
それがハルにはわかるから、たまらなかった。
「おぉ! すっげえかっこいい! にいちゃと一緒ですっげえかっこいい!」
ハルは、がしがしとアキの頭を撫でるだけで精一杯だった。
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