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E判定が医学科合格に至るまで③

こんにちは、女医YUKOです
高校時代、万年E判定だった私が医大に合格するまでの道のりを書いてきました

今回いよいよ完結編となります
一浪し完全燃焼したものの医大合格には至らず‥地元の旧帝大(名〇屋大学)理学部への進学を決意した、19歳の春‥

切り替えは早い方なので、最初はサークルにも入ったりして、純粋に大学生活楽しい!と感じていました
受験勉強をきっかけに理数系が得意科目になりましたが、さらにアドバンスな訳わからん微分積分の講義も、もはや変態の領域の教授の講義も、中国語も、受験のためではない勉強が単純に楽しいと感じました

(余談ですが、サークルで1学年上の先輩に一目ぼれし‥お付き合いをしながら仮面浪人をしたのもいい思い出♡笑)

友人にも恵まれ、楽しい大学生活を送っていましたが‥
かれこれ2年間、模試まみれの受験勉強生活を送っていたので、6月頃から体がソワソワし始め‥駿台模試などの文字や、電車の中で単語帳を見る受験生などを見かけるたびに、胸がざわざわ‥

多浪生になるのは免れ、幸いそれなりに充実しているが‥私の医者になりたいという熱意はこれでいいのだろうか‥?本当に後悔しない?死ぬときに満足な人生と思える?と自問自答の日々でした

なぜかそのとき、「そうやって悩むぐらいなら大学に通いながらもう1年受験してみたらいいんだ!」という楽観的なアイデアが浮かび‥
(みっちり予備校に通ったのに、大学生やりながらなんて無理だろ!という突っ込みはさておき)
7月頃から、浪人時代の駿台のテキストを引っ張り出し、受験勉強を再開したのでした

(当時、名大理学部と早稲田の理工学部は仮面浪人率が高く、医学部合格率も高い、と何かの本で読みましたw)

・例えば午前中は大学の講義を受け、午後は大学図書館で受験勉強
・土日は自宅や近くの図書館で勉強
・主要な模試は受ける
‥といったスタイルで勉強を継続し、秋頃には国公立医学部でB~C判定が取れるようになりました

そんなこんなで、大学のレポートや実験、試験との両立は大変でしたが、理数系は大学の知識が役立つこともあったりラッキーな面もありました
(ちなみにセンター試験前日に白衣とゴーグルつけて化学の実験室にこもっていた受験生は、私だけなのでは)

センター試験の点数は覚えていませんが、9割近く取れたと思います
満を持して、
前期試験→福井大学医学部医学科
後期試験→私大医学部 を受験し、結果はどちらも不合格‥!

(めちゃくちゃ手ごたえあったのになんでやねんー!厳しい世界ですね)

もう今度こそ諦めて、理学部の2年生への進級手続きをした直後、
3月の下旬に私大の事務局から電話があり、追加(補欠)合格が決定したのでした‥!
(一目ぼれした先輩とはこのときもお付き合いを続けており‥、もちろん仮面浪人のことも知って、応援してくれていたのですが‥
”私、九州に行って医者になるね!別れよう~!”とウキウキで伝えたときの絶望した顔は今でも覚えています‥スミマセンでした)

結果的には、「夢は努力すれば叶うもの」と思っていますが、勉強や受験は人生の中でも特に努力と結果が結びつきやすいものと考えています(公正なシステムという点で)
一筋縄ではいかなかった私の合格体験記でしたが、ここまでお付き合い頂きありがとうございました

そして受験生のみなさん、風邪ひかないように、後悔が少ないように、あと少し駆け抜けてください!ファイトー!

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