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転職して8か月で適応障害。そして休職へ。

まさか自分が

メンタルは強い方だと思っていた。性格テストのようなものをやってもストレス耐性はあると出ていたし、新卒で入社した会社はゴリゴリの営業会社でそこで耐え抜いてきたという自負はあった。むしろ、メンタルで休職するような人を若干、バカにしていたこともあった。
自分は強い人間だと。多少仕事で辛いことがあっても、切り替えられるし、切り替えてきた。そして乗り越えてきた、と思っていた。

転職活動は成功だった

去年の8月、42歳で4回目の転職をした。大手電機メーカーのグループ会社。管理職での採用であった。年収もあがった。何よりも待遇がよくて、この転職は大成功だと思っていた。
しばらくは順調に業務をこなしていた。思い描いていた業務内容、憧れの会社で管理職採用というポジションは気に入っていて、酔いしれていた。
年度変わりの3月に会社全体の大きな組織再編の動きがあった。大規模なリストラである。
4月、それは敢行された。
グループ会社にいた多くの社員は本社に引き上げられ、我々のようなプロパー社員は残り、引継ぎ業務が大波の如く押し寄せ、私は一瞬でその波に吞み込まれてしまった。
もがいても、もがいても誰も助けてくれない。
次々と送られてくるZoomのinvitation。会議、会議で1日は終わり、整理する時間は無くなった。
やがて、パソコンの前で動悸がし、マウスを持った手は止まり、何から手を付けてよいのか思考が停止。そして、涙が止まらなくなった。

誰にも相談できない

プライベートでも問題を抱えていた。日々暗くなる自分に対して、ついに妻が嫌気を差したのである。そもそもその前から危ない兆候はあった。
相談したり、愚痴を聞いてもらったりする関係ではなかった。
職場の同僚もほぼオンラインでの仕事が中心。飲みに行ったり等は皆無。たまに近況を確認しあう程度。

そんな中、ふと、病院へ行くという選択肢が、頭をよぎった。
夜な夜なメンタルクリニックの先生が話すYouTubeを観続けた。
・業務を一旦手放すということもアリ
・自分の身は自分で守る
・自分がいなくても会社は回る
・医者に話せば、診断書を書いてくれる。診断書があれば、傷病手当が出て給与の65%位はでる
などなど
とにかく、自分を正当化しようと都合のよいものを選び、自分で洗脳した。そしてその勢いで、病院に電話、予約を取った。

押し寄せる挫折感

診察日は1週間後であった。結構、予約を取るのが大変だった。予約を取ったものの、もっと頑張れるんじゃないか、キャンセルしようか、ずっと迷っていた。
やはり、初めの通院には勇気がいる。
そして、自分がメンタルクリニックに行くという事実もなかなか受け入れ難いものであった。

病院へ行く2日前。
ついに妻に話した。
「実はおれ、もう仕事が限界で、明後日、メンタルクリニックへ行こうと思っている」
呆気にとられた表情で、
「そう。そうなの。…また話は聞くよ。」
その時の会話はそれだけだった。
5つ下の妻は私を社会人の先輩として、見てくれていた。以前は仕事のアドバイスもよくしたし、愚痴を聞いたり、励ましたりする関係であった。
その妻も出産・育児を経験し、今はワーキングマザーとして仕事もこなし、今や給料もポジションも私と変わらない。

かつて、私がメンタルでやられた先輩や後輩、同僚を見下していたように、妻もきっと、私のことを心配するどころか、あんたもっとがんばりなよくらいに思っているのだろう。
本音はよくわからない。
ただ、事実として、何の励ましの言葉も慰めの言葉もなかった。
そして、次の日。聞いてきたのは、「家のローン、大丈夫なの?」であった。

40代男性の多くは病んでなんかいられない

妻の言う通りであった。家のローン、車のローン、維持費、子供にかかる費用、生活費。共働きで比較的余裕があるとはいえ、給料の3分の1が減る、という現実。
現実から目を背けるように、病気へ逃げ込み、仕事から離れようとする夫。
「家のローン、大丈夫なの?」
は現実的で当然である。
一応、私なりの答えは用意していた。
「休みは3か月と決めている。1か月は有休消化するから、問題ない。残り2か月は金額で言うと約30万のダウン。これは6月のボーナスと副収入でカバーできる」
私は副業レベルではないが小遣い稼ぎをコソコソやっていて、月5万位稼いでいた。そのお金は全く手つかずだったので、それで補填しようと考えた。
たまたまやっていた小遣い稼ぎに救われた。
ただ、そんなお金一瞬でなくなる。
本当は病んでなんかいられない。3か月で復帰はマスト条件である。
妻の発言は現実的な世界へと一気に自分を引き戻した。

いよいよメンタルクリニックへ

ついに診察日、当日。迎えてくれたのは、優しそうなベテランの先生であった。若干、的外れな感じもあったが、共感、相槌を繰り返しながら、丁寧にヒアリングが進んでいった。

「医者の見解としては、重症ではないが、一旦、業務を離れることをすすめます。例えば、1か月毎様子を見ながら、長くて3か月程度休み。まずは仕事から離れる。診断書が必要であれば、書きます。診断名は適応障害、ですね。あとはあなたの判断になりますが、どうですか」

「正直、今は仕事から離れたい。本当に離れたい。先生、診断書をお願いします。ただ、挫折感はあります。すごく」

「気持ちはわかります。でもね、このまま業務を続けても悪化するだけかもしれません。この経験があなたのキャリアに活きると思って、思い切って離れるというのも選択肢のひとつかもしれない。」

そうか。そういう考えもあるな。メンタルが弱いやつをバカにしていた自分。そして今、自分はメンタルをやられている。
人の傷みが分かる、そんなマネージャーになれる貴重な経験をしているかもしれない。耐え抜くだけが優れているということではないかもしれない。甘えかもしれないが。

実際、自分には耐え抜く力はもう残っていなかった。

そして、しばらく時間をおいてから、先生からまた質問があった。

「ところで、ご家族はどのような状況なんですか。ご結婚、されていますよね。伺ってよろしいですか」

私は咄嗟に答えた。

「実は…妻とは全然うまくいってなくて」

その瞬間、私は涙がこぼれ落ちた。

問題の本質

かつて私に対して憧れの気持ちを持っていてくれてた妻。
一人の社会人の先輩として。男性として。
ところが、今や暗い顔で燻って、メンタルクリニックへ通う中年男性。
魅力的な男性であろうという気力も失って、妻にすがろうとする自分。

もう一度、魅力的な夫、男性になれるだろうか。
もう一度、妻を惚れさせることができるだろうか。

何とか自分なりのやり方で乗り越えたいと思った。
業務は乗り越えられなかったけど。
それは一生挫折感を味わうことになるかもしれないけど。

いま経験している「適応障害」を乗り越えることで、より一人の社会人として厚みが出るのではないか。
今はそう思うしかない。

そして、いよいよ明日から休職生活がはじまる。

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