多様性の時代とは、違う価値観を持つ人たちがいる社会ではなく、一人の中の多様性が認められる時代なのだ。
臨済宗建長寺派「林香寺」の住職でありながら、精神科医でもある川野泰周さんとの対談記事(後編)が公開されました!
FOR2035来るソロ社会の展望を語る – vol.3後編 / ゲスト:僧侶・精神科医 川野泰周さん ソロ社会に必要なのは、語らいと自分を愛する体験
前編では、未来のソロ社会において必要なのは、「セルフコンパッション」と「対話」というお話がなされました。引き続き、後編では、「対話」の場の重要性とともに「アイデンティティ」の話にまで触れていきます。
ぜひご一読ください!
対談ではこんなお話を僕はしています。
とかくみんな、ソロも既婚も一緒ですが、職場や家族だけに人間関係が閉じがちじゃないですか。そうすると、企業人としての自分、親としての自分、そういう単一の自分の殻に自らを追い込んでしまう。それって、自分の中の多様な可能性を自分自身で排除しているのと同じなんですよね。
多様性、多様性といいながら、我々が一番欠けている視点というのは、「自分の中の多様性」に目を向けることじゃないかと思うんです。
拙著「超ソロ社会」の第6章でこんなことも書いています。
多様性社会というのは、簡単に言えば、「ひとりひとり異なる価値観を互いに尊重し合い、受容し合える環境を築く社会」ということになるのだが、実は大事なのは、個々人の多様性ではなく、一人の人間の中にある多様性に気付くことなのだ。
思えば、大量消費時代は、「十人一色」でした。みんなが同じモノを買い、同じテレビを見て、同じような家庭を築いた時代。それが、自己表現や個性重視の時代には「十人十色」に変化し、それが今や「一人十色」となったのである。なったというより、以前から人間はそうだったのだが、それがやっと認識されるに至ったと言うべきかもしれません。
多様性の時代とは、違う価値観を持つ人たちがいる社会ではなく、一人の中の多様性が認められる時代なのだ。
なぜこれが大事かというと、僕は常々「依存すべきものが一つしかなく、選択肢がない状態が依存である」と言っています。「一人十色」とは、自分の中に自分が十人いるということだ。そうすれば、依存する対象が十倍に増える。つまり、ソロで生きるためにも、この「自己の中の多様性」という考え方が重要になる。
「本当の自分」が、たった一人しかいないと信じ込み、存在するはずのない唯一の「本当の自分」を探しにインドなんかに出かけるよりも、日常の中で相手ごとに違う顔を見せる自分自身がすべて本当の自分だと認めた方が楽ではないですか。
日本人はもともとそうした環境や自己の多様性を受容してきた民族でした。
初詣も除夜の鐘もクリスマスも、それぞれの良い所を都度楽しむのが日本人のいいところですしね。すべてのものに神が宿るという「八百万の神」にもあるように、異質な価値観の存在を認め、多様性を認めて併存してきた社会だったと思うんですよ。そういう柔軟な考え方を、自分のアイデンティティにも当てはめてほしいですね。
アイデンティティは決して唯一無二のものではありません!
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