ベストセラー本「ライフシフト」にも書かれている「超ソロ社会」のテーマとは?
ベストセラーの「ライフシフト」を読んだ。ロンドン・ビジネススクール教授リンダ・グラットン氏(心理学博士)と、同じく経済学教授であるアンドリュー・スコット氏の共著。現題は、『The 100-YEAR LIFE』。
amazonの紹介文は以下の通り。
誰もが100年生きうる時代をどう生き抜くか。働き方、学び方、結婚、子育て、人生のすべてが変わる。目前に迫る長寿社会を楽しむバイブル。世界で活躍するビジネス思想家が示す、新しい人生のビジョン。みんなが足並みをそろえて教育、勤労、引退という3つのステージを生きた時代は終わった。では、どのように生き方、働き方を変えていくべきか。その一つの答えが本書にある。100歳時代の戦略的人生設計書。
「2007年に日本に生まれた子どもの50%は107歳まで生きる」と書かれてある通り、人間の平均寿命は100年を超えることが確実視されている。平均ですよ。しかも、健康寿命が延びる。
まあ、そりゃそうかもしれない…。
こういうテーマだと、大抵悲観的な話が多いんですが、本書は違う。「いかに死ぬか」という終活の話でもない。そもそも100年生きる前提で人生を見直した時に、教育→仕事→引退という3ステージの妥当性はもはやない。
人生そのものを見直す必要があるということを言っている。
人生100年時代に必要なものは、有形資産としての金だけではなく、お金に換算できない無形資産が大事だと著者は言います。
無形資産とは大きく3つに分けられる。
1.生産性資産
スキルや知識もそうだが、それ以上に「評判」や「人的ネットワーク」が大事。
2.活力資産
肉体的・精神的な健康と幸福。モチベーションでもあり、1で得た人的ネットワークとの間の良好な関係性(家族含む)も該当する。
3.変身資産
100年と寿命が伸びることにより、多様なネットワークにより、生涯に多くの新しい体験をし、それによって多くの役割を持つ必要がある。
つまり、1-3に共通して言えるのは、「人的ネットワーク」の重要性だ。それもそうだ。人生50-60年時代なら、学校を卒業して、就職し、定年迎えたらもう引退して死去というライフサイクルだった。その場合、人的ネットワークの大部分は40年を過ごす会社関係の人的ネットワークで済んだ。
ところが、彼に60歳で会社を辞めたとしても、今までの会社人生と同じ40年をまたすごさなければいけない。だとすると、そこには新たなネットワークが必要になる。
もちろん、60歳で引退して、残り40年の余生を何の仕事もせずに暮らすという考え方もあるが、40年間無職で生きて行くには相応の金が必要だ。たとえ金があったとしても、何もすることがなく日常を過ごしていると人は急速に老いる。だからこそ、可能な限り労働できる場が必要であり、承認と達成が必要であり、そのために人とのつながりが必要なのだ。
これって、拙著「超ソロ社会」で書いている未来とほぼ同じことを言っている。断っておくが、「超ソロ社会」執筆中にこの本はまだ出版されていなかったのでパクリでは決してない。
ただ、「ライフシフト」は基本的に皆結婚するものという前提であること。そこは声を大にして言いたい。
それは違うよ、と。僕の主張は、こうだ。
「単に長寿になるだけではなく、人それぞれライフステージの分岐が多様化し、世の中の全てが結婚・子育てを経験するとは限らない」
だからこそ、ひとりひとりがソロで生きる力を身につける必要があり、それは人とのつながりの形で実現されることにより、家族とソロは決して分断することなく、社会的に協力し合えるのだ。
とはいえ、「ライフシフト」では、人的ネットワークにより構築されて友人関係は、「自己再生のコミュニティ」であるとし、アイデンティティは作り続けられるものと規定している。
つまり、アイデンティティの多元化である。 この部分は共通している。
ただ、「ライフシフト」ではアイデンティティを上書きされつつ変化するもののではあるが、唯一無二のものとしているのに対して、「超ソロ社会」におけるアイデンティティは付き合う相手によって生まれ出てくるマルチアイデンティティとしているところが大きく違う。
別にどっちが正しいとかの話ではないが、作家・平野啓一郎氏の提唱する「分人主義」を知っている人なら、このアイデンティティの多元複層化の方が腹落ちするのではないだろうか。
例えば、私たちは大学時代からの友人Aさんと一緒にいる時と、趣味で出会った別の友人Bさんと一緒にいる時で、全く同じ顔を見せているだろうか?
古くからの友人Aさんに見せている顔とは別の顔をBさんには見せているかもしれない。それは決して、キャラを演じているわけではなく、それもまた自分の素顔のひとつではないだろうか。なぜなら、Aさんといる時には趣味の話は存在しないからだ。
このように私たちは、相対する人間に応じて「異なる自分」を生みだしていると言える。演じ分けているのではなく、結果として新しく生成しているのだ。Aさんといる時より、Bさんと一緒の方が楽しいと感じるのは、決して相手のAさんよりBさんの方が好きだからということではない。Bさんと一緒にいる時の自分の方が自分自身で心地いいと感じるからなのだ。つまり、Aさん、Bさんという相手を通じて、自分の中にふたつ生まれたアイデンティティのどっちが楽なのかという話なのである。
例えば、嫌いな上司と会いたいする時嫌な気分になるのは、上司そのものが嫌いというより、そういう相手に対応する自分が自分の中に生まれていて、その自分がどうにも我慢がならないからなのだ。嫌いな相手でも愛想笑いしなければいけない自分、指示に従わないといけない自分とか。そういうこと。
拙著「超ソロ社会」には、「ライフシフト」には書いていない、そういった生きる上での心の持ちようについても触れています。
ご興味ある方は、是非二冊ともお読みください!
よろしくお願いします。