彼女の嘘で、街は桜に覆われる。 / 250107 / 三秋縋『さくらのまち』
特に理由もなく外に出た。寒いのも面倒なのも、いつもだったら嫌になることの全てが、どうでも良くなる。車も人も通らない横断歩道で点滅する信号。いつもの騒がしさが息を潜めた商店街。冷たい夜の酸素に包まれていると、何かが変わったわけではないのに、少し新しい自分になれる気がする。また今日から日常が始まる。
三秋縋の6年ぶりの新作である「さくらのまち」は言うなれば、『ずっと間違った選択を選び続けてしまった主人公』の話である。あの時違う選択をしていれば、また違う世界があったにも関わらず、それを選ぶことができなかった世界の話。これまでの作品と同様に作者は綺麗なハッピーエンドを用意してくれない。何か大切なものを失って初めて、主人公は一つの幸福を手に入れる。その幸せは深海から見上げる微かな光のように、息苦しく、細やかで、不安定で、優しい。
自殺念慮者の自殺を食い止めるために『プロンプター』と呼ばれる、所謂『サクラ』があてがわれるというSF的な設定は現実にはない。けれど電話での相談口やSNSで「つらい」「死にたい」などの特定のワードを投稿すると支援情報に繋がるシステムは私たちの世界とリンクする。
物事がうまく行きすぎている時、周りにいる人が自分に優しくしてくれた時に、これは嘘なんじゃないか、何か裏があるのではないだろうか、と勘繰ってしまう感覚は誰しもある。作中では、そこから発生する掛け違いが主人公の尾上と澄香、鯨井との関係を歪めていく。
何となく消えてしまいたい気持ちになる時がある。別に決定的なことがあるわけではないのだけれど、うまく息ができなくなる。そしてそんな鬱々とした毎日がずっと続いていくのではないかという、うっすらとした絶望感。大人になれば過ぎると思っていた痛みや孤独も、完全には消えるわけではないのだと、わかってしまった。その絶望は遅効性の毒のように緩やかに、けれど確かに思考を蝕む。死という選択肢が日常に溶け込んでいく。
大なり小なり美しい瞬間が誰しもあって、その記憶は心の奥底に沈み込み静かに息をしている。そしてふとした瞬間に鮮やかに浮かび上がる。どれほど人生が沈み込んでも、その甘やかな記憶が『生きる糧』となる。過去に幸福だった瞬間と今を構成する絶望が同じ世界で共存しているということが、私たちを今へと繋ぎ止める。
主人公は最後になってようやく真実へと辿り着く。これまで抱えてきた過去から解放されて、〈一人ぼっち〉ではなくなる。主人公が選べなかった選択が、別の形の可能性として残り続けていてほしい。最後の数行を読んで強くそう思った。
さくらを隠さないでいて。