地下鉄で泣くより車で泣くほうがいい / 241013 / 落下の解剖学
以前映画館の予告を見て気になっていた『落下の解剖学』がPrime Videoで配信されていたので見る。真っ白な雪を背景に、倒れる男性。それを見つめる親子と思われる女性と子ども、そして一匹の犬。
この映画は2023年度のカンヌ国際映画祭で最高賞のパルムドールを受賞した作品である。人里離れた雪山で、ベストセラー作家であるサンドラの夫サミュエルが転落死をする。死体発見者は、視覚障害者である息子のダニエルのみ。これは事故なのか、自殺なのか、それとも殺人なのか。
この映画をジャンル分けするのは非常に難しい。予告をみれば、多くの人はクライムサスペンスやミステリーを想像するだろう。しかし、この映画は犯人が誰であるのか、何が起きたのか、そういった事件の全貌を明らかにすることに主軸を置いてはいない。証言が重ねられ、事件の明らかにしようとする過程の中で、実態はより一層掴めなくなっていってしまう。
本作は大半のシーンが法廷で進められる。裁判の中で仲睦まじいと思われていた夫婦が他者から無遠慮に『解剖』され、二人の間に隠された秘密や嘘が暴かれていく。物事を明らかにするために、外側のみでなく、内部を細かく分けて、解き分けられるのである。夫婦の不均衡、才能への嫉妬、セクシュアリティの不和、生活の一部を切り取り、それが全てであったかのように傍聴人やメディアに曝される。
この映画でもう一つ面白いのが、言語である。ドイツ人のサンドラは夫との結婚を機にフランスに移住し、日常では英語を使って会話をする。そのことが夫婦間での分かり合えない絶縁を表すモチーフとして機能している。法廷内でもサンドラは裁判を有利に進めるために、慣れないフランス語を使うことを弁護士に勧められる。日本では馴染みのないその感覚が、とても、新鮮で面白かった。
先述したが、この映画では真実は明らかにはならない。登場人物の回想などは観客には開示されず、私たちはあくまで事件を第三者として傍聴する。物的証拠や専門家の証言は決定打に欠け、真実はますます靄がかかったように遠ざかる。この物語における息子のダニエルは、その象徴ともいえるだろう。視覚障害をもつダニエルは『全盲』ではない。つまりすべてが「見えない」わけではない。部分的に開示される知らなかった両親の姿が「見えてくる」に従って、彼は決断を迫られる。何が正しくて、誰を信じればよいのか。母親は父親を殺してしまったのか。何が正解なのかわからない中で、彼は証言しなければならないのである。
印象的だったのはピアノの連弾のシーン。父親が好んでいたテンポの速い曲を弾くダニエルの演奏を中断させ、一緒にゆったりとした曲を連弾をする母親。私に寄り添ってほしい、味方をしてほしい、とでも言うようなその姿。
人が人を裁くのは限度がある。「真実がわからない時には、自分で決める」しかない。
韓国版のポスターがとてもいい。