立命
「知らないという恐ろしさ」
【序】
先日のこと、友人と会話中で相手からふと出た言葉に驚かされたことがありました。
友人が言った「・・・この世に神さまなんていやしないんだからさ〜・・・」との台詞の部分であります。
たわいのない話の中でそこだけが浮かび上がり、わたしの体内に波紋のように響きわたった。
通常聞き手に回ることに務めておりますが此時とばかりは、思考より先に瞬時口から出た。
「わ。それ、マジで本気でそう思っているの?」とすぐ様聞き返していた。
真っ直ぐな眼差しで相手の深いところを見つめていましたら、だんだんとその台詞の勢いは衰え「神さまっていないでしょ? ん。?え。いるの?」と次第に変化し始めたところで会話は止まりました。
では神様はこの世にいるのか?
その実態はどこにいるの?
何をもって「神」というのか? について、
日本人として当たり前のように持っていた心根の部分が
今のわたしたちは無くなりつつあることろだということを
知らしめられ、日本には今、その部分が削りとられているのがはっきりした。
先ずはそれらを明確に知ることが大切だと痛感したのでありました。
わたしが今その役目を担ってもいいのだろうか。
ふと出た友人からの言葉に、わたしがやるべきとこが何であるかを神々のご配慮による刺激によって、しっかりと受け止めたところでございます。
そういったことを話したい貴重口伝は耳で、記憶で覚えている。
武道と神道と合気道と古神道と和歌の力と数の神秘・・・・
変に悪用されぬよう大事に日本は隠し守ってきた。
そうこうしていると偶然にいくつかの仕事の予定が入った。
「古神道について」
「日本人の神性をひらく」
などの講義の依頼だ。
わたしは面白い特徴があるもので、不思議となにかしようかと思えば
自然に目の前に道がひらけている。
これは神々の仕掛けでありますか?(笑)
現在、世界中様々なことが崩れ出しているのが表面化してきています。
宇宙の律動に沿わないシステムはやがて完全に崩れるまで少しの間、
今までの世界観で生きることになるが、
崩れた後の「再建」する時は
心の柱となるものを立てなければ強いものにはならないであろう。
講義内容なこれから組み立てるのでありますが
人間が持っている神秘の力と合気道
神性を持つ自分
宇宙と自分
何をもって神と呼ぶか 等々
正しいか間違っているかの答え合わせを止めて
思考や経験、知識を一旦横に置き、
自分の肌で、肝で、細胞で聞いてみてほしいこと。
偽り話というのは、なにかの手段で装った真理を
知っただけの伝えるにはまだその資質が整っていない状態の考察で
湾曲したものに感じている。
7月15日(土曜日) 木場 「古神道ミニ講座」
7月16日(日曜日) 「神性を開く」
9月10日 浅草 「ふることのふみについてのはなし」