satori
「閃き」はいったいどこからくるのだろうか。
漢字を見れば、門戸の隙間が開き中央に人がいることがわかる。
日本は言葉の国であるからこういったところから
閃きがどこから来るのかの答えを感じることができるものだ。
答えが自分の考えが及ばぬところから
ふと降りてくる閃き。
その動機となる一つに集中力と連想力がいることを学んだ。
ひとつのことに集中する。
その集中するということをより深いものにするためには
心の動きに集中すること。
不動なる心と連想力が必要となる。
ここでの連想力というのは
自分の中にある霊の働きを形で知る力のことを指します。
色の無い所を見て色を見る力。
形の無い所で形を見る力。これを連想力とします。
この力の集中と心が止まって
無思考の境に自分を置くことができると
強い閃きがもたらされるといいます。
その両方の力を鍛えていきますと
神とは本当は何であるのか?
霊とはどのようなものなのか?
自分で答えのわからぬ疑問や
本当に知りたい問いかけを投げかければ
閃きをつかってその答えが自分に返ってくるものであります。
人は聖妙である神にはなかなか近づくことが難しいもので、
人は荒い波動である所詮人ですから、
こういった人間のもつ連想力を通してでないと
超次元を知覚することが困難であります。
「感」の閃きは
この物質社会にあるすべてのものを超えて存在するものを
見た瞬間であるともいえます。
それが自分によって吉報やいい事だけではなく、
時にはこれから起こり得る危険が差し迫っていることを知覚し
心落ち着かなくなるようなことがある。
閃きの瞬間というのは未来をのぞく扉であるようだ。
本当の閃きというのは
高次元の宇宙に繋がったものを観ることになるのでしょう。
古い日本人の人たちは、その力を持つために様々な修行をしたようであることが
様々な秘伝書の中にも残されてきました。
悟りも人間として到達し得る最高の知能の働きと、
修練された「閃き」と合一した形となって現れる。
宇宙の営みの実態を発見することは「悟り」に通じます。
大きい時の流れの中に
人間存在を確かめて。
大宇宙の中にいる人間としての自覚。
それを一瞬に捉えることが「感」や「閃き」であって
その門を開らくと
そこからさらに奥に進み
その先の「悟り」に到達するのはほんの一瞬である。
うん。難しい話ではないのだ〜☺️