まるで琥珀のなかにとじこめるような
アニさんの本を特に好きなところは何巡もしているが、先日ようやく全部を読み返す二巡目を終えた。
《カメラは撮る人を、写しているんだ。》
そこに出てくる《愛した記憶の化石》という言葉がとても好きだ。
そう、わたしたちの身体は星のカケラでできていて、宇宙の恵みを受けている。なんかスピリチュアルなんだか科学的だかあわいのところを書くと。
わたしたち自身の身体はきっと化石にいつかはなるだろうし、地球という生きている化石の上で生きている。
それは物質としてもそうでもないものも含めてこう思う。
わたしはどんな化石を残せるだろうか。
アニさんの言葉には宇宙のカケラを感じる。
フラットで時に、きびしく、それでいて包まれているよう。
そして、音楽が流れている。
わたしのイメージだとTOKIOのSymphonic。
長瀬智也くんの声の透明さとオーケストラの演奏の壮大さを感じる。
透明さと壮大さを同居させているとわたしが感じる人は今のところアニさんだけだ。
https://note.com/dadadai/n/n607a18e74682
そして、幡野さんの《うまいけれどダメな写真とヘタだけどいい写真》。
今朝、また再び読みはじめている。
workshopの前にも何回か読んだけれど、わたしの今の年齢と同じページのこの文章にすごくすごくわたしは救われた。
幼い頃のときのように、涙をあまりこぼせなくなったわたしに春の雪解け水のように染みわたった。
幡野さんのworkshopの次の日に写真を生業にしている人と趣味でフィルムカメラで写真を始めた人と3人でフィルムカメラで遊ぼうの会を開いた。
きっとこれからも3人で写真を撮り続けるだろうなと思った。
さて、わたしはどんな化石を思い出を残していこうか。
わくわくする日々だ。
まずはできるだけ毎日、スマホとフィルムカメラで写真を撮って、3月3日の岳温泉でのフォトウォークを愉しみたい。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?