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冬至とかぼちゃ(番外編)
ー失われた記憶
いとこ煮について調べた結果を奥さんに伝えていると、次第に奥さんの表情が曇りだした。2020年の冬至(12月21日)に食べいとこ煮を、随分と久しぶりに感じていたが、奥さんによると、18年、19年も冬至にいとこ煮をつくったらしい。ただ、どんなに記憶をまさぐってみるも、その断片すら見つからない。そんな様子に業を煮やした奥さん。自分のスマートフォンから過去のいとこ煮の写真を探しだして送りつけてきた。短気は損気。煮るのは業ではなく、かぼちゃと小豆にしてほしい。
関連リンク:「いとこ煮ー冬至とかぼちゃ(下)」「いとこ煮ー冬至とかぼちゃ(上)」「ハレルヤ、この先に幸あれーかぼちゃとゆず湯」
証拠写真
奥さん曰く、写真は18年の冬至に撮った画像。19年はないという。事実は確認できないが、きっとそうなのだろう。少なくとも、器の形で20年の冬至の写真ではないことが分かる。あったような、なかったようなと首をかしげるばかりのこちらの態度にカチンときたらしい。
こちらとしても覚えてものは覚えていない。それを無理矢理、思い出せというのも無理な相談だ。一般に自分にとって良くない記憶は、なるべく早く脳内から消そうとするものだ。苦手なかぼちゃ料理。18年と19年の冬至に食べたいとこ煮の記憶がない理由は、その一例と言えるかもしれない。
成長に手応え
他方、20年のいとこ煮の記憶はきっと残るはずだ。かぼちゃが苦手にもかかわらず、いとこ煮を完食したことは大きい。また、そのことでいとこ煮に興味を持っていろいろ調べ、初めて知る情報も得た。記憶すらない前年に比べて成長したものだと自分で自分を褒めてあげたくなる。
怒られこそしたが、手応えある冬至だった。
(写真:いとこ煮を食べた記憶をめぐって責められる様子=奥さん撮影の画像を基にりす作成)
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