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『遠野物語』評(下、伍)
ー佐々木喜善と座敷童子
柳田国男著『遠野物語』に描かれている座敷童子は、オシラサマや河童に比べて親しみやすい印象だ。もちろん、座敷童子に去られた家はその後に悲惨な末路を辿るが、家にいてくれる限り、その家が繁栄するというのは実にありがたい。また、座敷童子が子どもの姿をしていて悪戯好きというのも親近感が湧く。ただ、作家・佐々木喜善は自身の著書の中で、座敷童子が福の神のような存在ではなく、あくまで妖怪とみなしているところが面白い。
関連リンク:「『遠野物語』評(下、肆)ー座敷童子と緑風荘」「『遠野物語』評(下、参)ー河童」「『遠野物語』評(下、弐)ーイタコとのつながり」「『遠野物語』評(下、壱)ー続・オシラサマ」「『遠野物語』評(中)ーオシラサマ」「『遠野物語』評(上)ー歴史的仮名遣い」「敗北者ー読解力勝負」「行き先選びーあゝ夏休み」「邪魔者ーあゝ夏休み」「あゝ夏休みーりすの独り言」
どうしても妖怪に
佐々木喜善は、柳田国男が『遠野物語』を執筆するにあたり、岩手県遠野市の口伝・伝承について話して聞かせた人物だ。インターネットで調べたところ、佐々木喜善は座敷童子を「圧殺されて家の中に埋葬された子どもの霊」と考えている。『遠野物語』での福の神としての印象を打ち消し、妖怪の枠組みの中に押しとどめようとしているようにも見える。
家に繁栄をもたらす座敷童子の一面ばかりが一人歩きしだし、そこに嫌気したのかもしれない。柳田国男が1910年に『遠野物語』を発表して以来、座敷童子の話は津々浦々に広がり、例えば座敷童子に会えると触れ込む宿は、現在でも全国に幾つもある。座敷童子を通じて本来伝えたかったことが置き去りにされていると感じたのならば、それは分からない話でもない。
子どもの霊と推測したのは何故かー。昔、口減らしのため、子どもを石臼の下敷きにして殺し、墓ではなく土間や台所などに埋める間引きの風習が東北地方にあったという。こうした子どもの霊は、家を訪れた客人らを脅かすなどし、そうした行為が座敷童子の"悪戯"に似ているようだ。家の盛衰に関係ない座敷童子もいたらしく、その辺りに由来していそう。
過去の哀しい風習
そんな佐々木喜善。調べた範囲では、座敷童子の正体を河童だと考えているようだ。自身の著書『遠野のザシキワラシとオシラサマ』で、淵に住む河童が近くの家に忍び込んで悪戯するものが座敷童子だとする話をはじめ、河童が家に住み着いて座敷童子となった話などを紹介したという。
河童については、そもそも間引きの犠牲になった子ども(赤子)の霊と見ている節があり、座敷童子の話を通じて思い起こしてもらいたかったのは、間引きという過去の哀しい風習だったのかもしれない。そのためにも、座敷童子は福の神ではなく、子どもの霊(妖怪)である必要があったのだろう。
そう捉えると、『遠野物語』は重みがズシリと増す。(終わり)
(写真:『りすの独り言』トップ画像=りす撮影の画像を基にりす作成)
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