お調子者のレース運び
ーオレとアチキの西方漫遊記(27)
海の幸をふんだんに使った色鮮やかな料理。そして、この民宿が提供する「かつお堪能!タタキてんこもり!」プランの目玉、5人前の鰹のタタキ。それらが腹ペコ夫婦の目前にズラリと並んだ。揃って手を合わせ、「いただきます」という言葉を合図に、猛烈なピッチで食べだす。ところが、食べても食べても料理がなくならない。特に、大皿に載った鰹のタタキ。やがて食べるペースが徐々に落ち始める。マラソン大会でいえば、スタート時点で力を使い果たし、息も絶え絶えにゴールを迎える"お調子者のレース運び"のようだ。完食に黄信号が灯る。
前回のお話:「『世界はそれを開き直りと呼ぶんだぜ』」/これまでのお話:「INDEX」
体たらく
「お腹いっぱいかもしれない」ー。箸のピッチが当初に比べて遅れだしていた奥さんが、お腹をさすりながらつぶやいた。無理もない。どんぶり飯も二杯目で、すでにかなりの量を食べている。
ただ、これに対し、ゆっくり食べていいよという以外に言葉が出なかった。こちらも、それなりに胃の容量が埋まってきたためだ。大皿の鰹のタタキはほぼ2人前が残る。これを一人で食べきれるかは微妙なところだった。
夫婦それぞれ"量を食べられる人"の側に入れられることが多い。当初、この程度ならばとイキってもいた。それがこの体たらくだ。それを責められれば、ごめんなさいというよりほかない。ただ、敢えて言い訳したい。
言い訳
まず鰹のタタキだ。普段、東京で食べているものに比べ、かなり肉厚でどっしりした味わいがある。さすが本場だ。これを民宿の特製ダレに付け、ご飯にワンバウンドさせる食べ方が実に美味い。そのせいで、ご飯が進み、総じて相当量を食べていた。
肉厚でどっしりした味わいも曲者だ。最初はどんどん食べられるのだが、次第に重くなる。飽きもくる。地元の人によると、薬味を変えたり、タレを塩に変えたりなどして、ひたらすらに鰹のタタキを楽しみ尽くすそうだが、それは後から知ることになる。
さらに、この宿の夕食メニューも予想を超えるボリュームだった。隣のテーブルについた家族連れの主人は、夕食がある上に、所狭しと大皿に盛られた鰹のタタキを見て、何が言いたいか手に取るように分かる表情を浮かべていた:「こいつら、どんだけ食うんだよ」
正念場
自分で頼んでおいて残すわけにも行かない。かと言って、奥さんに無理強いするわけにも行かない。残された道はただ一つ、独力で完食あるのみだ。「過ぎたるは猶及ばざるが如し」という言葉が思い浮かぶ。とはいえ、自分の蒔いた種は自分で刈り取るがモットーだ。
いよいよ鰹のタタキとの"戦い"が正念場を迎える。(続く)
(写真〈上から順に〉:「かつお堪能!タタキてんこもり!」プランの目玉、5人前の鰹のタタキ=りす、箸のピッチが遅くなってきた奥さんのイメージ=りす作成、肉厚でどっしりした味わいの本場の鰹のタタキ=フリー素材を基にりす作成)