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【田中一村展レポ】時代の変化をも貫く魂の風景を見て考えたこと
「田中一村展 奄美の光 魂の絵画」に行ってきました。
私は彼についてほとんど何も知らないものの、数々のレビューを見てみると、作品点数がものすごく、行って損はしない展示内容であると総じて書いてあったので、「初めまして」の気持ちで行ってきました。
今回は気付きを残しておくためのレポートです。
全然知らなかったけど、大人気らしい田中一村氏
まずその人気ぶりに驚きました。
名作展にありがちな、中に入ると、絵の前を人が流れる形式といえばわかるでしょうか。とにかくじっくり腰を据えてみている場合ではないくらいに人が入っていました。
作品点数も多いのでどうしても駆け足で鑑賞することになってしまいます。
都美術館の特別展ということで、私のようにそれほど知らない状態ながら、前評判や事前の広報発信などから足を運ぶ人も多いのではと思いました。
改めてwikipediaで調べてみると、死後に再評価され、数々の個展が開催される人気の画家で、終焉の地が奄美大島だなんてタヒチのゴーギャンみたいだと思ったら、「日本のゴーギャン」とも評されているそうで、やはりそうなのかと納得です。
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「神童」と呼ばれる神絵師時代。ああこれがフラグなのか。
1人の画家の人生を追うような展示においては、名をはせる前の青年時代の絵もよく置かれていますが、小学校低学年の頃の山水画がしっかり表装されて残り、展示されているケースは初めて見ました。
幼き頃から瑞々しい植物や山や川などの命を感じさせる風景などがとても美しく描かれていて驚きました。写実的でありながら、美しさをしっかりと引き出した枝や葉の繊細なタッチや鮮やかな色彩感覚、そして目を引くような斬新な構図にも、私の乏しい語彙力では「素晴らしい」の一言しか出てきません。
特に好きなのは秋の葉っぱを、その鮮やかな色彩とぽてっとした形をうまくいかしながら、キャンバスいっぱいに図案化したもの。その後もいくつか秋モチーフはあったので人気だったのかもしれません。
ただ、これらの絵がもてはやされたのは彼がまだ若すぎるから、なのか。
この絵を20歳で描いていたら評価されていたのか。
それは時の運、という感じがします。
現代でいうと、中学生がSNSに投稿した絵がバズって「神絵師」としてもてはやされるみたいな感覚に近いでしょうか。技術は確かですが、バズり要素みたいなものはどうしても必要だし、それを切り離して評価することは困難です。
そして先にエンディングを知っている映画のように、この神童時代が奄美大島に至るまでの苦難の日々のフラグなんだろうと思うと、少しこの先の展示を見るのを苦しく感じました。
次々家族を亡くし、戦争に苦しみ、表現は翳る
企画展としては早々に雲行きが怪しくなり、表現にも翳りが見えてきます。
とにかく家族環境も時代も一村氏に苦難を強いるのです。
どのくらいの苦難かというと、27歳までに両親、3人の弟を亡くし、東京から千葉市に移り住んだのが1938年。そこからは言わずもがな戦争の時代へ突入していきます。
いやもう、そんな激変する環境の中で「あの頃」と同じ絵を描けという方が無理があるじゃないですか。
画材が得づらかったということもあると思うのですが、あの鮮やかな色彩も一時期影を潜め、作品点数自体もぐっと減ってしまうのがこの頃。
それでも、戦時中に少ない画材でひたすら観音像を描いていたというのがとても印象的でした。どんなに苦しくても、絵を描くことだけが彼にとっての癒しだったのかなと想像させられてしまって。
宗教的なモチーフをたくさん用いていたのは、再び自由に絵が描ける時代がくることへの祈りが込められていたのでしょうか。(勝手な解釈です)
圧巻の襖絵。風景で戦うのがしんどい時代でも描き続けて切り拓く。
戦後に再び絵を描き始めるものの、幼き頃のように、画壇の中心でもてはやされることはなく。
本当に個人的な感想ですが、時代のニーズの変化というのもあるのかなと思います。戦後、メディアとしては「写真」がアートの世界により台頭していたり、西洋のアートがたくさん日本に入ってきて、昔ながらの風景画のようなものが行き場を失っていた可能性があるんじゃないかと。
「現代アート」が何なのか私は語れる知識がないですが、やはり時代に一石を投じるような、あるいは「新しさ」を印象付けるようなものが評価されがちなのではないでしょうか。
昔のような「幼くしてこの画力」的なハッシュタグもない中で、名もなき美しい風景を描くことで戦うのはあまりにも不利に思えてしまいました。
そんな中でも彼を支援してくれる人はいて、特に「襖絵」の発注をたびたび受けていたそうで、一村氏は現地に赴いて熱心に描いていたと解説されていたのですが、この襖絵が圧巻!なのです。
植物の場合も風景の場合も動物の場合もあるのですが、ずっと眺めていたくなるようなコンセプト、構図、色彩。自宅の襖にこんな絵が描いてあったら、想像力が膨らみ、家にいながら世界が広がるような心地になれそうです。
これが彼の生き残る道であったということに非常に納得感がありました。
そして適切なメディアと条件さえ与えられれば彼の才能が決して衰えていない、卓越したものであることが改めて感じられました。
終焉の地、奄美大島にて田中一村ワールド極まれり
そうしてつながっていったご縁で奄美大島へたどり着きます。清貧な生活をしながらも絵を描き続けた田中一村氏の作品たちが最後のフロアにどーんと並んでいました。
青い壁に窓のように並ぶ額縁と奄美大島の景色はただただまっすぐに引き寄せられるような魅力を放っています。
絵を描く友人が前に話していて印象に残っている言葉があります。
それは、「見ていて好きな絵とは別に、何を描くのが好きか、楽しいのか、というのがあって描き続けるとわかってくる」というものです。
彼女はうねる配管やごちゃごちゃした機械設備を描いている時が楽しいそうですが、一村氏の場合はとにかく細かく鮮やかに植物を描くこと、飼って愛でるくらいに好きだった鳥を描くことが幸せだったんだろうなぁと作品をみていると思います。
そして、いきいきとした南国の色鮮やかな植物や鳥たちの生きる奄美大島を描くことはとても彼の好みや才能にフィットしていたんだと思います。
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再評価される意味と現代の風景画の居場所
今、再評価されているのはむしろその苦難の人生や、一周回ってそのシンプルな題材の目新しさなどが少なからずあると思います。
現代で同じ絵を描いているとして、生きている間に評価されるとしたら、襖絵以外にもその風景画の居場所ってあるのでしょうか。
相変わらず、もうひとひねりほしいんだよなぁと思うミュージアムショップで他の在り方を考えていました。
それを彼が求めているかはわからないけれど、やはりデジタルの世界でその表現を継承できると、たとえばゲームの背景とかアニメーションの一部などでうまく活用できる余地があるんじゃないかなぁなどと思いめぐらせていました。
奄美大島の常設展でいつかゆっくり鑑賞したい
いろいろ考えを巡らせることができ、作品もすばらしく、行って良かった展示であることは間違いないけれど、やはり企画展は人が多いし、東京のど真ん中でみる奄美大島の風景は臨場感が不足するような気がします。
調べてみたら、田中一村記念美術館が奄美パーク内にあるそうで。
実際に奄美大島の自然に囲まれ、音をきき、その気候のもとで土地の食材などを嗜んだのちに、ゆっくり楽しむ田中一村の絵画はもっと魅力的なんじゃないかと思いました。
いつか、奄美大島にいき、ゆっくり彼の絵を見よう。
そう決意できたことがこの展示を見に行った一番の収穫かもしれません。
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