勿忘草

22歳 ⌇思想、日々、音楽

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好きな人としたいこと

好きな人としたいこと、最近そればかり考えている。 恋に恋してる、とかいうけどこれじゃ架空の存在に恋してるみたいだ。いつか誰かと付き合う日のために妄想ばかりしている。推しに夢中になってる方が余程マシだと思う。 恋バナ?彼氏?彼女?今の私はそんな存在とは程遠い。好きな人がいないのだ。なんとなくで付き合うってなんだ?趣味が素敵だから付き合う?それっていいこと?かっこいいから?恋人は頭がいい?身長が高い?大企業に勤めてる?年収がいい?ハイスペックな彼氏ってなんだ、ステータスがある

    • 救い

      まただ。暗い天井を見つめ、ベッドの上に横たわっている。動けない。目からポロポロと涙がこぼれる。 惰性で夜を過ごしてしまうと、どうにも闇に飲み込まれてしまう。夜更かしするのがいけないのだろう。(先日も不規則な生活のせいで貧血でぶっ倒れた) 最近のわたしはとても弱くて、メソメソしている。人に褒められたい、抱きしめられたいという感情が大きすぎて気持ち悪い。 わたしって鬱病なのかなと思う時がある。夜中にぽろぽろ泣いてしまうのは何でなんだろう。 今日もブサイクだったな、とか、わ

      • 忘却

        時に人は病気によって、記憶を失ってしまうことがある。人の名前、物、場所、思い出、家族、恋人、友人、パートナーとの記憶さえも。 母方の大叔母が認知症を発症したのは今年に入ってからだった。車をどこに停めたか分からなくなる、上手く物事を覚えていられないなど、初期の症状が見受けられると、祖父づてに耳にした。 奇しくも私の父方の祖母も認知症であった。 であった。という過去形なのは祖母をすでに4年前に亡くしたからである。 たしか私が小学生の時に、肺炎を拗らせ、入院した祖母の元へお見

        • 「私のこと忘れないでね」 さようなら あなたの姿が離れて 知らない駅、帰り道を忘れてしまいそう あんなに時間なら余ってた なのに伝えきれたことなんて 何ひとつなかったなんて私は知らなかった

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        好きな人としたいこと

        • 「私のこと忘れないでね」 さようなら あなたの姿が離れて 知らない駅、帰り道を忘れてしまいそう あんなに時間なら余ってた なのに伝えきれたことなんて 何ひとつなかったなんて私は知らなかった

          instant

          吉本ばななの「キッチン」を読み始めた。本屋に行くと、読まなければならないという使命感に駆られてしまい、思わず手に取ってしまった。吉本ばななは読んだことがない。私が最近好んで読んでいるのはもっぱら江國香織だ。(友人に勧められた) 本を読んでいると、私もその世界に没入できて、現実逃避が出来て好きだった。私は幼少期から本を沢山読んだ。 「キッチン」を読んで思い出したのはSNSで見たある文章のこと。 その人は恋愛をしていても、本気で人を愛したことがなく、誰かと恋をしても「この人

          愛ってなんだ

          常に思考を貼り巡らせていなければ、人間では無くなってしまうような感覚に陥る。 ぼーっと過ごしていると、また今日も1日無駄にしてしまったと自己嫌悪に悩まされる。でも今日は卒論執筆を進めることが出来た。それだけで私にはなまるをあげたい。 私のnoteは日記というよりエッセイに近い。何かの事象について悶々と考えていて、もはやレポートの域だ。 「愛」に触れる機会は少ないと感じる。数年恋人がおらず、愛ってなんだっけと忘れてしまいそうになる。 でも最近気づいたことがある。それは「

          愛ってなんだ

          車窓より

          人生の走馬灯を見ているようだ。 新幹線へ乗る時、外の景色は目まぐるしく変化し続ける。 茶畑からトンネルへ、トンネルから市街へ、はたまた市街の中から富士山が顔を出す。 私は外の景色、雲の流れや幹線道路を走る自動車、遠くの山々を車窓から眺める。 それは私の人生を見ているように思えてくる。 例えば私が明日死んでしまうとしたら、誰かを幸せにすることが出来たか、何か人より誇るものを持っていて尊敬されることはあったか、人に優しく出来たか、死ぬほど努力できたか、悲しいことに涙を流す

          車窓より

          22歳

          2024年8月16日 わたしは22歳を迎えた。 22歳って子供と言うには少し大人びていて、大人というにはまだ未熟だ。 「モラトリアム」という言葉が存在するが、わたしは現在社会に出るまでの猶予期間に置かれている。来年から就職するのだ。つまり、最後の学生生活ということになる。 なんだかんだ大学生は自分が置かれている「自由な環境」という意味でモラトリアムという言葉が大好きだ。モラトリアム期間だからなんでも出来る、と皆口々に言う。 わたしは今年の6月まで就職活動をしていた。

          きらめき

          幼少期の記憶というものは不思議なものだ。もう15年ほど経っているのに好きな物や、楽しかった思い出は未だにふと思い出すことがある。  わたしは幼少期から2、3回ほど引っ越している。それは祖母の家の地域が花粉が酷く、弟の症状が悪化してしまうから、夫婦間の仲が悪く別居することになった、など大人の事情もあるのだが、私が強く記憶に残っているのは海辺の幼稚園へ通っていた頃であろうか。 わたしは海辺の幼稚園に通っていたのだが、今はもう幼稚園は廃止になってしまい、空き地になっているそ

          きらめき

          概観、2023

          春の陽気を感じられる暖かな日々も過ぎ去り、最近は木枯らしが吹き荒れて本格的な冬の到来を感じています。あの暖かな春が待ち遠しいです。 さて、2023年も終わりが近くなってきました。怒涛の1年だったのでは無いかと思います。20歳(はたち)という節目を終え、私は21歳になりました。いよいよ20代の突入ということで、大人に近づいたことといえばビールを飲めるようになったことくらいでしょうか。ビールが大人のイメージというのはいかにもステレオタイプ的な考えですが。 自分が大人になりたい

          「冬」というものはどうしてこんなにも悲しくて淋しい思い出ばかりを思い出してしまうのだろう。動物たちは皆ひとりで越冬し、春を迎えるのに、ひとりひとり孤独なわたしたちは誰かの温もりに縋って、冬の寒さを誤魔化している。そんなの生き物らしくないと思った。

          「冬」というものはどうしてこんなにも悲しくて淋しい思い出ばかりを思い出してしまうのだろう。動物たちは皆ひとりで越冬し、春を迎えるのに、ひとりひとり孤独なわたしたちは誰かの温もりに縋って、冬の寒さを誤魔化している。そんなの生き物らしくないと思った。

          幼い頃の記憶-タオルケットは穏やかなを通して-

          2023年1月にリリースされたカネコアヤノの「タオルケットは穏やかな」。タイトルにもなっているが「タオルケットは穏やかな」は今年最も聴いた曲ではないかと思う。また、「よすが」に収録されている「抱擁」だが、この2曲を合わせて聴くと私の幼い頃の記憶が蘇る。 例えば「タオルケットは穏やかな」に という部分がある。 この歌詞を見てわたしはハッとした。わたしは小さい頃からずっと一緒の、大学へ進学する際にも実家から連れてきた「くまのぬいぐるみ」がいるのだが、昔から大事にしてきたの

          幼い頃の記憶-タオルケットは穏やかなを通して-

          わたし・僕でいるための『わたしたち』/ カネコアヤノ

          前作の「よすが」はコロナ禍を通して制作されたこともあり、寄り添うような優しいメロディが多かったイメージだが、今作「タオルケットは穏やかな」は全体を通してとてもシューゲイザーを感じる構成となっている。まず「わたしたちへ」冒頭も同様に、今回「タオルケットは穏やかな」制作にあたり新たに参加した照沼さんの力強いドラムのイントロから始まる。 「退屈に慣れる」とはどういうことなのだろうか?「退屈」とは何もすることがなく暇を持て余したり、飽きてしまうことだが、わたしたちは日々退屈しない

          わたし・僕でいるための『わたしたち』/ カネコアヤノ