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好きな人としたいこと


好きな人としたいこと、最近そればかり考えている。

恋に恋してる、とかいうけどこれじゃ架空の存在に恋してるみたいだ。いつか誰かと付き合う日のために妄想ばかりしている。推しに夢中になってる方が余程マシだと思う。

恋バナ?彼氏?彼女?今の私はそんな存在とは程遠い。好きな人がいないのだ。なんとなくで付き合うってなんだ?趣味が素敵だから付き合う?それっていいこと?かっこいいから?恋人は頭がいい?身長が高い?大企業に勤めてる?年収がいい?ハイスペックな彼氏ってなんだ、ステータスがあるって自慢げに話すのは何故なの?恋愛をしたのが遥か昔で、恋愛がどういう感情になるものなのか、ドキドキするのがどんな感じだったのか忘れてしまった。何故、誰よりも優しいやちょっとしたことでも気遣ってくれるとか、中身を自慢げに話す人が少ないんだろう。

私はマッチングアプリをしているが、どの人も話すのはありきたりな話で、どうやって好きになるのかが分からない。
恋人が全てと考えている私も、1人で生きることに寂しさを感じている私も、どちらも欲望に負けている気がして悔しい。

誰しも羨望という気持ちを抱えて生きている。あの子はインスタグラムで恋人についてやたらと載せたがるし、あの子はSNSに恋人との出来事を全て綴ってしまう。まるで自分の所有物のようだ。

SNSに恋人のことを全て晒けだしてしまうのは美しくないと思う。好きな人から貰った手紙を全世界へ公開してしまう人がいるが、そんなの私だけしか見たくないし、他人に見せたくない。見せても親しい友人だけで、キャー!とかワー!とかはしゃぎながら女子特有の恋バナをするためだ。

かと言って、彼らの恋人との日常に対して、私自身は羨望の眼差しを向けている。

誕生日を祝ってもらえること、花火大会に一緒に行けること、年末を一緒に過ごせること、好きな音楽や本、コンテンツを共有できること。私にだって家族はいるが、家族とではなく他人としての恋人とそんな時間を共有したい。そういった時間を共有できる恋人がいることが素直に羨ましい。

こういった願望は、誰もが抱えているのかは分からないが、私は恋愛経験の少なさ故に、恋人が出来たらやりたいことについてずっと考えている。


例えば、私は文通をしてみたい。今ではデジタルな世の中になり、多くの人がスマートフォンを持つようになった。それ故に文字を書く機会も減っている。だからこそ、手紙を貰うのはすごく嬉しい。ましてや好きな人から手紙を貰ったらずっと眺めてしまうと思う。私について時間を割いて書いてくれたと考えるととても嬉しくなる。男の人は少し下手っぴな字の人が多いが、綺麗な字を書く男の人に出会うと私はドキドキする。私は居酒屋で元恋人が酔っ払って私の名前を書いた伝票をずっとスマホに挟んでいたことがある。過去のあの人は字が綺麗な人だった。


あとは、年末年始を一緒に過ごしたい。
私は、自分で言うのは変だが、料理が上手い。年越しはそばかうどんで揉めたい(もちろんうどんに決まっている)し、お雑煮の餅を何個食べれるか勝負したい(2個が限界だろう)

年末が近づくと思い出すのは羊文学の「1999」、きのこ帝国の「ラストデイ」だ。

「1999」はクリスマスの曲である。

クリスマスに近づくにつれて街がキラキラと明かりを灯し、心做しか人々の足取りが軽やかになる。サンタの服を着て働いている人、クリスマスコーナーで積み重ねられている子供用のお菓子、街角のケーキ屋でクリスマスケーキを予約する人、そんな風景を見て、特別な日に恋人と過ごせたらいいのになと思いながら、毎年アルバイトに明け暮れている。ケーキを分け与える人がいること、考え抜いたプレゼントを交換し合う人がいること、一緒に過ごせる人がいるというのは幸せなことだ。


「1999年、7の月、空から恐怖の大王が降ってくる…」と大予言したノストラダムス。

ノストラダムスはこの髭を生やしたおじさん
いかにも胡散臭そうな風貌だ


1999年はまさに人々にとって世界滅亡の年であった。そんな年に迎えたクリスマスイブ。羊文学の歌詞にも

「それは世紀末のクリスマスイブ」

とある。

そんな世界終焉が漂う中で、恋人たちはどんな気持ちでクリスマスイブを過ごしたのか考えてしまうのである。もし明日世界が滅亡したら、今日が恋人と過ごす最後の日だったらと考える恋人たちの様子が目に浮かぶ。共にイチゴがのったクリスマスケーキを分け与えるのか、世界の灯火が消えるかのように、一緒にケーキのろうそくの火をふっと吹きかけるのか、それとも何気ない日常のまま、なんの変わりもなく一日を終えたのか。そういった音楽や本に影響された情景を思い浮かべることができる人と付き合いたいと思う。

わたしはロマンチックな人が好きだ。友人に夜行観覧車で告白されてみたいと言ったら、ちょっと夢見すぎたよと言われたことがある。夢見すぎなロマンチストではダメなのか、恋愛で現実的なんて超つまらない。

と、少し脱線したが、

クリスマスを終えるといよいよ年の瀬だ。
クリスマスが終わったあとの年末に向かって忙しなく過ぎる街中を歩きながら[ALEXANDROS]の「12/26以降の年末ソング」を聴く。26日を過ぎると急に次の年が迫ってくる。ここでやっと今年も早かったなと1年を走馬灯のように思い出す。

今年も好きな人としたいことが出来なかったな、とひとりで嘆くのがここ数年続いている。

きのこ帝国「ラストデイ」で、

みかんをむく僕の手が黄色いと君が笑った
みかんを食べる君の手も黄色いと僕は笑った
くだらないテレビを見ながら今年もこうして終わってゆくんだね

と、まさに年末ダラダラと恋人と過ごす様子がある。
きっとガキ使でも見ながら、こたつに入り、足をつつき合いながらみかんを食べているのだろう。

12月は師走と言うくらい大掃除やおせちの準備など、目まぐるしく忙しい。その忙しさを終え、恋人と年越しうどんを食べ、除夜の鐘を聞きながら、神社にお参りする。そして、元旦の真っ赤な初日の出を一緒に眺める。そんなことが出来たらさぞかし幸せなんだろうと毎年考えている。

好きな人としたいことについて、少し曖昧になってしまったが、文通や交換日記をしたいこと、特別な日を一緒に過ごしたいということ、手料理を振る舞いたいということ、言い出せばキリがない。

家族ではない誰かと、好きな人と特別な日を一緒に過ごしてみたい、そう思いながら今年もひとりで年末を過ごすのだろう。





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