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鬱病を甘く見てはいけない。

はっきりと言います。鬱病は癌等の大病と同じくらい危険な病気です。精神というのは見えないからこそ、とても怖いものです!

うつ病を患って最初は気がつかない。
怠いし身体が重いけど、大丈夫だろうと無理を続けます。癌もそうですが、早期発見が出来れば大きな症状にはならないのですが、人間というのは多少無理をしてしまう生き物なので身体にムチを打ち続けるんです。

人間関係がうまくいかない環境だけど、自分が頑張らないと。嫌な事を沢山言われるけど責任を放棄することが出来ない。学校へ通うと嫌なことばかりされるけど、親が折角入学させてくれたから行かないと。

その習慣の積み重ねが鬱病になります。
生活習慣病等と同じです。お酒を沢山飲み続ける。不摂生を繰り返す。その結果大病にかかる。それが精神の方に行くのが鬱です。

癌にかかると周りの人達は貴方の体調を気遣ってくれます。そんな大病にかかって大変だと皆がサポートしてくれます。

では鬱病はどうでしょうか?

怠けている、だらしが無い、根性がない、使えない、言っても出来ない。言われたい放題です。

癌にかかれば気遣って貰えて鬱病は風当たりが強い。
ちょっとおかしくないでしょうか?少し理解ができません。鬱病だって大病に違いないのに…。

鬱病になるには何かしらの理由があります。そしてその原因を作ったものがあります。その原因は本当に些細なことかもしれません。人間の心なんて非常に脆いです。豆腐メンタルとか言いますが、基本的に人という生き物は大概豆腐のように脆いんですよ。そしてその原因を見ずに、鬱病患者だけ悪く言われることもある世の中。

鬱病患者が甘いわけでも、怠けものというわけでも、弱い遺伝子でも無いです。そんなものはただの言いがかりにしか過ぎないと僕は考えています。  

たった一言。たった一つの行動によって全てが壊れてしまう程、人の心はどうにでもなってしまう。だからこそ鬱病は大病だと僕は思いますし、軽視してはいけない病気だと思います。

そしてキッカケが些細なものであると同時に、完治するタイミングもきっかけも分かり辛い。いつ発症して、いつ良くなるかの目処も立ちにくい。治ったと思っても治っていない。治ったと思ったら再発する。とっても厄介な存在が鬱病なんですよね…。

昔に比べて鬱病を受け入れられてきました。自分は鬱ですと気軽に言える世の中になりました。ただやはり鬱病=甘えという考えが無くなった理由ではありません。やはり鬱病だと簡単に言えない時代でまだまだあります。

僕は元々SNSをやっていました。というか、どういう人が利用しているのかな?という興味本位で始めたのですが。
やはり匿名というシステムが良いのか、結構な頻度で鬱病を患って苦しんでいる人を見かけました。

鬱病かもしれない…。からベッドから降りることも難しいという方まで、人により様々でした。実際に僕自身もそういう方と触れ合う(SNS内で)事がありましたが、やはり発言一つ一つ置いて非常に気をつけないといけないです。実際に僕自身も鬱病を経験しましたし、慰めの言葉さえも、前向きに捉えられなかった事もあるので、相手側の気持ちは痛いほど分かります。

そして日常生活の中で、どれだけ鬱病で苦しんでいる人がいるのだろう?今日すれ違った人の中でどれだけ鬱病を隠しながら生きている人がいるのだろう?と考えると、一時期世間を怖がらせたコロナウイルス以上に厄介な現代病だと僕は思うんです。


この世の中の出来事は自分自身の心が反映したもの。

という言葉を聞いた事がありますか?自分の心次第で世の中はどうにでもなるという話です。良いも悪いも自分の心が作り出している。という説。

確かにそうだと思います。全ての物事は自分の色眼鏡から見える景色。僕はサングラスが好きなので良くカラーグラスをかけますが、色によって全然見え方が違うんですよね。要は自分次第どうにでもなるという事でしょうか?

でもね、確かにそうです。ただ鬱病を患っている人にはその言葉ちょっと待った!!ですwそうしたら今自分が見えている辛い経験も苦しみも全て自分のせい?ってなっちゃいます。そうすると更に自己嫌悪に陥って、どんどん負のループに堕ちるだけです。それはなんの処方箋にはならないって事です。

死ぬこと以外かすり傷ってことわざもそうです。死ぬこと以外の傷も痛えですwかすり傷程度じゃありません。そうじゃなきゃ、人々が年々自殺なんて選びませんからね…。

人のメンタルの強さなんてそこまで大きな違いは無いですが、やはりでも打たれ強さ、弱さの差はあります。
それはエンパスだったり感覚が鋭い人なんかは特にです。
元々エンパスではない少し打たれ強い人が、あたかも全ての人間がそれを理解できるだろうという勝手な見解で、理由のわからないことわざを作って、俺って凄えんだぜ?みたいに幅を利かせているケースもありますw

エンパスの人にはエンパスの人のルールがあるし、逆に言えば繊細さんには適した生き方ってあるんですよ。
人よりも感覚が剥き出しになっているなら、その感覚に優しい毛布の上にいた方が生きやすい場合もあります。

だから世間一般的なルールや常識が何故出来たのか?という事を一度考えてみましょう。それって貴方の意見ですよねって思ったら、自分だったらこの方が心地が良いって思うはずです。今の世の中は少しずつその常識が壊れて来てます。言ってしまえば、真実がまかり通る時代になって来てます。嘘偽りや偽物はぶっ壊れていきます。今まで幅を利かせて、だましだまし上手くいっていた大物でさえ、どんどん崩れて行くんです。

だからこそ、自分の内側の声をよーく聞いて欲しいです。
本当の貴方は貴方の内側にいます。丁度お腹の辺り、難しい言葉でいうと丹田の辺りです。丁度おヘソの辺りかな?そこに貴方が眠っています。時にその声があなたに訴えかけます。あなたよりもうーんと若い赤ちゃんです。

貴方が苦しいと感じているとそのお腹の小さな子供も痛いんですよ…。辛いって思ってしまう。だから全てを変える事は難しいですから、少しだけでいいので撫でてあげて下さい。ゆっくりと優しく。ありがとう、ごめんね、頑張ってるね、大丈夫。だと声をかけてあげましょう。

物事が変わりつつありますが、まだまだ時間がかかります。その為に少しづつ自分を整えてすんなり移行できる様に出来ると良いですね。僕の記事を読んでいる方はきっといい次元へいけると思っています。その時はずっとずっと良い時代になって笑顔と安心と温もりに溢れた素晴らしい時代を皆で歩めるといいですね!


なので少しでも鬱かな?と思ったら難しい事もあるでしょうが、自分の身体を気遣いましょう。自分の声をしっかりとキャッチしましょう。

頑張らないんですよ。少しづつで大丈夫です。
それだけでもすっごく喜びますので!それが出来れば十分です。


それではまた🤗🤗🤗🤗

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