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「ふつう」という言葉が大嫌いだった。

「普通こうでしょ。」「それ、ふつうじゃなくない?」

巷でよく耳にする言葉。

その言葉を投げかけられる度に違和感を覚え、どうしたら自分の考えを「数多くあるうちの一つ」として共感してもらえるのかを思索した。

ただ、当時の僕は性格がねじ曲がった上に攻撃的だったのでこう返した。

「あなたの普通は僕にとってただの平凡でしかない。」

ゆうどき-01

先日、北陸朝日放送HABの「ゆうどき」にて僕、ケイ・アラブナの様々な顔の特集が放映されました。

取材はほぼ丸一日掛かってのものでしたが、迅速かつ的確な指示の元、僕も自然体でお話しすることができました。(メディアに出たての頃はガチガチに緊張していましたが、近年は逆に邪念離脱モードに入るようになったため収録時の記憶が残っていません。。)

番組の出来は申し分なく、僕一人では成し得ないほどわかりやすく面白いコンテンツとなっており、より広くの方に僕の経験を通じた発信を共有できていたら幸いと思います。

そして、プロデューサーさん、音響さん、カメラマンさん、アナウンサーさん、コメンテーターさん、皆様のプロとしての実力に本当に脱帽します。

それぞれのプロがそれぞれの役割を担って一つの番組が出来上がる様が僕個人としてはとても感動しました。

もちろんゲストは必要で大切かもしれません。
ただ、そのゲストの魅力をより一層引き立たせるのは製作陣の腕にかかってきます。
僕はアーティストとして、出来る限りの事を担い全うします。
ただそれはあくまでタネとしての役割でしかなく、それを花として咲かせて魅せるのは共に歩む仲間や応援してくれる同士の方々だと感じて常に感謝しています。

改めまして日頃より制作、発信、提供、共感してくださる皆様に感謝申し上げます。

一人ひとりが「とくべつ」である社会。

実際は既にみんな「とくべつ」な存在。あとはそれを受け入れれば良いだけ。ただ、これがなかなかに難しい。

僕も過去にそうであったように、ある一定の基準に沿って人を判断すると安心に繋がる。ただそれはあまりにも短絡的で、しかもある一定条件以下の狭いコミュニティーでしか通用しない。

僕が様々な国でホームレスとして滞在していた経験の中で、それぞれの地域での普通が存在し、それらは全く他では通用しなかったことを痛感した。時にそれは命の危機に関わるほどだ。

要するに「普通」という概念は一定のコミュニティーの中でしか成り立たず、それは決して全体を見据えた平均ではないということなので自分の普通を盲信するのは危ない。(ex. 家の中では靴を脱ぐ>場所によっては人前で靴を脱いだらぶん殴られる)

最近Amazon Primeでアニメを観るのにハマっている。その中の一つに、人間のあらゆる心理状態や性格傾向の計測を可能とし、それを数値化する機能を持つシステムが社会を統率する未来日本を舞台とするものがある。その社会では規定数値から逸脱した人間は犯罪者はもちろん、罪を犯していなくても事前に検知され裁かれる、という設定。

さて、ここで面白いのは誰がどのようにしてその数値を規定しているのか、というところ。

それは所謂「ふつう」ではない特異な人の脳を集め、そこから割り出された平均値により基準が設けられる。

このシステムが浸透した社会に住むのはまっぴらだが、「ふつう」と「平均」という概念を熟考するきっかけになるアニメだった。


何が言いたいかというと、日差しも強くなってきた今日この頃。
熱中症と脱水症には気をつけましょう、ということです。

ちゃお。


Kei

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