2020年現在、コンプライアンス・自主規制が厳しくてテレビで女性の裸やお色気的な番組を放送してはいけないと思っている人が多いと思います。
「昔はテレビに規制がなかった」・「規制が緩かった」・「今では考えられない」・「昔はコンプラが無かった」といった意見も多く見られるがこれは大きな間違いである。
以前、1970年代の地上波の自主規制についてご紹介しましたが、今回は1980年代のテレビにおける自主規制・コンプライアンスについてご紹介します。昭和の頃、主に1980年代までは深夜に大人向けの情報番組として「お色気番組」と呼ばれるものが放送されていましたね。アダルトビデオやインターネットがなかった時代、アダルトコンテンツを見られる貴重な情報源だったと思います。しかし、その一方で批判が多かったのも事実です。テレビは公共の電波であり、公共の電波を使うためにはやはりそれなりのルール=規制があります。放送のルールを破った番組があれば当然、問題視されますよね。
●深夜の性風俗番組が一斉に規制される
1985年3月、日本テレビ・テレビ朝日・テレビ東京の土曜深夜を舞台に性風俗情報を競っていた「TV海賊チャンネル(日本テレビ)」、「ミッドナイトin六本木(テレビ朝日)」、「夜はエキサイティング(テレビ東京)」の3本が、3月いっぱいで相次いで放送打ち切りとなった。この3番組はいずれも1984年10月に始まったヤング向けのワイド生番組で先行の「オールナイトフジ(フジテレビ)」とあわせて、「性感マッサージ」「ティッシュタイム」「アダルトビデオ」といった刺激の強いコーナーを並べて話題になり、そのエスカレートぶりはスタート当初から各方面の批判の的にもなっていた。
そうした中、1985年2月8日の衆議院予算委員会でもこれらの番組が取り上げられ、中野寛成議員(民社)の質問に答える形で答弁に立った中曽根首相は、「郵政省が監督権を持っている。民放の諸君とも話しあって、いやが上にも自粛してもらいたい。郵政省もチェックして、警告などしかるべき措置をとるべきだ」と発言。
これを受けて郵政省は1985年2月20日、全国の民放126社の社長と番組審議会委員長宛に、佐藤 恵郵政大臣名で深夜番組の自粛を求める異例の「通達」を送付し、「健全な青少年育成の観点から性、暴力等の取り扱いの行き過ぎを憂うる声を少なからず耳にするところであり」「このような批判を受けていることは、放送番組基準を遵守し、放送番組の充実向上に努められることを特に強く要望」各局に対して改善の方策を文書で求めた。
このため、「TV海賊チャンネル」は「ラブホテルクイズ」や「ティシュタイム」のコーナーをボツにし、「ミッドナイトin六本木」も「今週のPINK NEWS」の衣替えをはかるなど、それぞれに軌道修正を試みたが、結局3月で命脈つきた。社長が民放連会長を務めるテレビ東京は4月から一変して「日本名作劇場」を放送。フジテレビだけが「ビデオソフト情報」からアダルトものを締め出したり、風俗営業店の探訪を中止するなどして「オールナイトフジ」を続行した。
●1985年の地上波の自主規制
上記のように1980年代から「性を扱う番組」や「お色気番組」に対してこのような自主規制が制定されていました。80年代当時からコンプラがあったと考えても良いでしょう。