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テレビ番組・音楽・アイドル・芸能人…等いろんなジャンルの記事を紹介しています。

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BPO(放送倫理・番組向上機構)は、いつから存在したのか?

『BPO(放送倫理・番組向上機構)』は、日本放送協会(NHK)や日本民間放送連盟(民放連)とその加盟会員各社によって出資、組織された任意団体である。そもそも日本においてBPOのような組織が何故できたのか?どうして必要とされるようになったのであろうか?。BPOの直接の前身は、1969年に設立された 「放送番組向上協議会」と1997年に設立された 「放送と人権等権利に関する委員会機構」 (BRO)である。いずれもNHKと民放連が設 立した任意団体でこの2つの団体が2003年7 月

    • SMエンタテインメント第1号歌手『ヒョン・ジニョン』について

      『ヒョン・ジニョン』は、1990年にデビューした韓国の男性ヒップホップ歌手。SMエンタテイメントの創設者であるイ・スマンがプロデュースした初の歌手であり、ソテジワアイドゥルやDEUXと共に現在のK-POPと呼ばれるアイドル中心のダンス音楽を開拓した先駆者の一人でもある。ヒョン・ジニョンとワワとしてバックダンサーと一緒に3人でのパフォーマンスを披露していたが、アイドルグループではない(SM初のアイドルはH.O.T)。本来は、ヒップホップ歌手として売り出されたため、ソロ歌手と見る

      • AKB48のお姉さん的女性アイドルグループ『SDN48』について

        『SDN48』は、2010年にデビューした女性アイドルグループ。秋元 康の完全プロデュースにより2009年にAKB48グループのひとつとして誕生した。 グループ名のSDNはAKB48が公演を行っている東京都千代田区秋葉原(外神田)のAKB48劇場で原則、毎週土曜日の夜に(SaturDay Night)公演を行うことに由来している。 AKB48・SKE48・NMB48と同様に、総合プロデューサーの秋元康がすべての楽曲の作詞を手掛ける。AKB48と同じ「AKS」の運営で『AKB

        • 3人組ガールズヒップホップユニット『YA-KYIM』について

          『YA-KYIM』は、2005年にデビューした女性ヒップホップユニット。グループ名はメンバー3人のALISA、MIKU、YURIEの名前をMIXして名付けられた。デビュー前から日本最大のHIP HOPの祭典「B-BOY PARK」のアーティスト・ライブに3年連続(2002年、2003年、2004年)出演し、注目を集めた。アメリカの3人組ガール・グループTLCやDestiny's Childなどの影響を受けたグループの1つ。 当初はパフォーマーグループPRECOCIのメンバー

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          懐かしいお色気番組について

          2016年からテレビ東京で放送されている『じっくり聞いタロウ〜スター近況(秘)報告〜』という番組がある。2024年10月31日の放送回で過去のお色気番組を紹介する場面があった。現在でもお色気番組は存在しており、女性の裸も放送禁止ではないため、番組や放送局によってはヌードシーンまたはお色気場面が放送されることもある。アダルトビデオにも男性向けと女性向けがあるように、お色気番組にも男性向けの番組と女性向けの番組が存在します。 ではここでもう一度、お色気番組についておさらいしてお

          懐かしいお色気番組について

          文化大統領・韓国のヒップホップグループ『ソテジワアイドゥル』について

          『ソテジワアイドゥル』は、1992年にデビューした3人組のヒップホップグループ。1991年に結成され、グループ名はリーダーの人名「ソテジ」、「ワ」は「と」、「アイドゥル」は「子どもたち」=ソテジと仲間たちという意味で名付けられた。若者の好みに合ったヒップホップダンスグループを掲げ、今なお伝説のグループとして韓国内の同業者からの支持が厚い。 それまでバラードやトロット(演歌)が主流であった韓国音楽界に革命を起こしたとされ、当時の韓国音楽界の流れを変えて現在のK-POPへ繋がる

          文化大統領・韓国のヒップホップグループ『ソテジワアイドゥル』について

          平成生まれでも知っているお色気番組

          「お色気番組」は終戦後、一般家庭にテレビが普及し、成人男性向けに制作されたいわゆるお色気を扱ったテレビ番組である。終戦後の日本は男性優位の世の中で男が働き、女は家庭という分業体制をベースに「お父さんは偉い」・「女は男性に逆らえない」という風潮がありました。そのため、テレビも成人男性視聴者をターゲットにした番組が多く放送され、お色気番組の存在もその1つと言える。お色気番組は、主に昭和生まれの人が見ていたものであるが、実は平成生まれの人も深夜のお色気番組やドラマなどでのヌードシー

          平成生まれでも知っているお色気番組

          韓国のCHEE'S・韓国版ZONE・ガールズバンド「Hans Band」について

          「Hans Band」は、1998年にイェダン音響からデビューした韓国のガールズバンド。メンバーは3人姉妹で構成されており、韓国で初めてアイドル的人気を得たガールズバンドである。 幼少時から韓国的ゴスペル的風土に親しみ楽器研鑽も積んだキム姓のハンナ、ハンビョル、ハンセムの中3~中1の三姉妹で結成したため、グループ名も「ハンスバンド」と名付けた。日本で例えるとアイドルグループのチェキッ娘から誕生したアイドルバンドCHEE'Sや4人組のZONEのようなポジションに当たる。 1

          韓国のCHEE'S・韓国版ZONE・ガールズバンド「Hans Band」について

          ジャニーズ事務所からデビューした男性アイドルグループ「少年隊」の影響について

          『少年隊』は、1985年にジャニーズ事務所からデビューした3人組の男性アイドルグループ。当初は4人組で結成されたが、デビューする前にメンバーが1人脱退したため、3人組体制となった。1980年代後半に日本のみならず、韓国・台湾・香港などのアジアでも人気を博した。また少年隊が発表した楽曲はカラオケの定番曲として現在でも人気がある。 グループ名である「少年隊」は、当時まだ20〜30人しか居なかったジャニーズ事務所の研修生であるジャニーズJr.に対する総称だった。その研修生の中でA

          ジャニーズ事務所からデビューした男性アイドルグループ「少年隊」の影響について

          11PMの後にスタートしたワイドショー番組『EXテレビ』

          『EXテレビ』は、1990年~1994年まで日本テレビ系列で放送されていた深夜のワイドショー&バラエティ番組である。番組タイトルのEXはバブル期の流行語の一つ・ヤング・エグゼクティブ (young EXecutive)に由来する。 1980年代半ば頃から「オールナイトフジ」・「TV海賊チャンネル」・「ミッドナイトin六本木」といった深夜のお色気番組の過激化が社会問題となり、1985年に当時、内閣総理大臣を務めていた中曽根康弘首相が性風俗店の摘発やお色気番組の規制に力を入れ、

          11PMの後にスタートしたワイドショー番組『EXテレビ』

          韓国のZOO・消防車のイ・サンウォンがプロデュースしたダンスグループ『ink』について

          『ink』は、1993年にデビューした韓国の男性グループ。1980年代後半に人気を得た消防車のリーダーであるイ・サンウォンがプロデュースしたダンスグループである。当時の韓国では歌手に対してアイドルという単語を使うことは一般的ではなかったため、ダンス歌手と呼ばれていた。他にもジョ・ジンス(ZAMのメンバー)、キム・ビョンス(Buckのメンバー)、そしてグループの中で最も有名だったアフリカ系混血韓国人メンバーのイ・マンボクなどが在籍していた。 消防車のリーダーだったイ・サンウォ

          韓国のZOO・消防車のイ・サンウォンがプロデュースしたダンスグループ『ink』について

          今でも放送されているお色気番組(令和編)

          『お色気番組』は、下ネタや性的な描写、いわゆるお色気を扱ったテレビ番組。主に深夜番組の枠で放送され、「エロ番組」と表現されることもある。戦後~1980年代までは当時の日本が男性優位の社会だったことが影響で成人男性を対象としたお色気番組が主流だったが、1990年代からはお色気番組も女性をターゲットに放送するようになった。テレビ東京の「ギルガメッシュNIGHT」、「アルテミッシュNIGHT」、「BiKiNi」、テレビ朝日の「トゥナイト2」、フジテレビの「A女E女」、日本テレビの「

          今でも放送されているお色気番組(令和編)

          スーパージュニアよりも前に活動していた10人以上で構成された韓国の男性アイドルグループ『NON STOP』について

          『NON STOP』は、1998年にデビューした韓国の男性アイドルグループ。1990年代後半の韓国では5人組のH.O.T、6人組のSechsKies、そして当時としては異例だった8人組のO.P.P.Aが最多人数とされていたが、NON STOPはそれを上回る11人のメンバーで構成されていた。 韓国の芸能会社と日本のソニーミュージックが手掛けた日韓合作グループであり、i-13、SUPER JUNIOR、少女時代の登場以前に活躍した大人数アイドルグループの先駆け的存在である。19

          スーパージュニアよりも前に活動していた10人以上で構成された韓国の男性アイドルグループ『NON STOP』について

          沖縄アクターズスクール初のヒップホップ系ボーイズユニット『DA PUMP』

          『DA PUMP』は、1996年に沖縄アクターズスクールで結成され、1997年にライジングプロダクションからデビューした4人組の男性アイドルグループ。ヒップホップコンセプトのアイドルグループとして10代の女子中高生ファンが熱狂する要素と青少年が憧れるイケメンダンス歌手というイメージ戦略を掲げて売り出された。 当初は、真田さんという作曲家がDA PUMPのプロデュースを引き受けたが、提供された楽曲がグループのイメージに合わなかったため、プロデューサーを変更することになり、ライ

          沖縄アクターズスクール初のヒップホップ系ボーイズユニット『DA PUMP』

          フルーツをモチーフとした韓国の女性アイドルグループ『PAPAYA』について

          『PAPAYA』は、2000年にウィンサムメディアからデビューした韓国の女性アイドルグループ。Koyoteやオム・ジョンファと同じ事務所(一時的に所属していた)であり、グループ名は果物である「パパイヤ = パパヤ」が由来でグループ自体もフルーツをモチーフにしていた。日本の女性アイドルグループに影響を受けた韓国アイドルの1つである。 2000年8月、1集のタイトル曲「︎私の話を聞いて」︎でデビュー。新鮮さと親しみやすさ、メンバーそれぞれがオレンジ・イチゴ・ブルーベリー・レモン

          フルーツをモチーフとした韓国の女性アイドルグループ『PAPAYA』について

          松浦勝人がプロデュースした3人組のガール・グループ『TRINITY』について

          『TRINITY』は、1999年にデビューした3人組の女性コーラスユニット。avexの松浦勝人が「売れなくても良いから、絶対プロデュースしたいグループ」として作ったユニットでグループ名は「三位一体のコーラスワーク、3人で1つ」という意味で名付けられた。当時、世界的に大人気だったTLCの影響を受けた3人組ガールズグループの1つである。 メンバーは1988年にアイドル歌手としてデビューした麻田華子・中村優美・松田直子の3人で構成され、「クールで強い女」をコンセプトに1998年に

          松浦勝人がプロデュースした3人組のガール・グループ『TRINITY』について