EXテレビ - 「低俗の限界」について
低俗の限界を探るために企画された“伝説の回”
今から30年以上前、日本テレビで放送されていた「EXテレビ」という番組 前身番組の「11PM」と同様、月・水・金は日本テレビ、火・木は読売テレビが制作を担当、今はなき上岡龍太郎と島田紳助が出演していました。 地上波放送において「裸体」・「ヌード」などの放送は原則、禁止されていないため、基本的に現在でもこのような番組の制作・放送自体は可能である。
●この番組の放送当時は、地上波の自主規制が強化された時代
テレビには1960年代からコンプライアンス(自主規制)が存在し、「コント55号の裏番組をぶっとばせ!」・「11PM」・「8時だョ!全員集合」「ドリフ大爆笑」・「志村けんのバカ殿様」といった番組が批判され、時代と共に姿を消していった…。そして1985年、内閣総理大臣を務めていた中曽根康弘首相が性風俗店の摘発やお色気番組の規制に力を入れた。また衆議院などでも深夜番組の過激な内容が問題となり、各局のお色気番組が続々打ち切られてしまった。
中曽根首相は、国会答弁で「まず当面は、郵政省が監督権を持っておるわけでございますから、郵政省の側においてよく民放の諸君とも話をしてもらって、そしていやが上にも自粛してもらうし、その実を上げてもらう。郵政省としてはそれをよくチェックして見て、そして繰り返さないようにこれに警告を発するなり、しかるべき措置をやらしたいと思います。」と述べ、その後のお色気番組の自粛の遠因となった。
そのため当番組が放送開始した1990年当時も各局、お色気番組の制作・放送ができない状況となっており、実際に上岡龍太郎と島田紳助もEXテレビ内で「アダルトビデオなどではたくさん裸が増えている一方で、テレビでは以前に比べて女性の裸は減りました(規制された)」・「テレビにはあれやっちゃいけない、これやっちゃいけないという規制がずっとありますからねぇ」と発言していました。
この番組の構成を担当した倉本美津留は、「あの時代にも自主規制があったからこそ挑戦できた。」・「コンプラはあったほうがいいんですよ。その制限のなかで、どれだけ面白いことができるっていう勝負ができるからね」と語っている。
11PMは、もともとニュース・流行・音楽・お色気・映画紹介などさまざまなジャンルを扱う内容で本来はワイドショーに分類される番組だったのだが、秘湯の旅やストリップなどの内容も人気となり、次第に「エッチな番組」・「大人の番組」と認知されるようになった。それとは反対にEXテレビは、エロ・お色気要素を排除した真面目な番組として放送されていたのです。
初回の放送で上岡龍太郎が1時間丸々一人喋りをした放送回を見たある視聴者から「男が一人で何をごちゃごちゃ喋っとんねん、早く女のハダカを見せろ!」という苦情電話が寄せられた。お色気を排除した内容だったために「11PM」のようにエロ番組として期待していた男性視聴者からは「女の裸を見せろ!裸を出せ!」というクレームが来たわけです。これを知った上岡と紳助が「女性の裸は視聴者からのニーズがある」と捉え、一度思い切りやってみようという話になった。つまり出演者やテレビ局がエロいことがしたくてやったのではなく、視聴者のクレームに答える形で制作局の読売テレビとアダルトビデオメーカー・宇宙企画が協力して実現したのがこの「低俗の限界」である。
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