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学校における人権学習について

誰だって「差別がいけない」だなどと解っている筈だ。学校で部落出身の方の話を聴いたのだが、ごく当たり前のことばかりで、感想発表する生徒もごく当たり前のことばかり言っている。

私は考えた。差別を受けた方は差別をした者に対して強い憤りを感じているがゆえに、差別をした者を真正面から冷静に見つめることができない。これは仕方のないことかもしれない。だが、被差別者の側から「差別は〇〇だから絶対に許されない、差別をする者は人間の心がない」と主張するだけではなく、差別をする者の視点を分析し、差別の源流を止めていくことも誰かの、いや皆の役目なのではないだろうか。差別を哲学、心理学といった角度から見つめていくことが、表面ばかりの人権学習などより余程差別解消につながりやすいはずだ。

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