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絶望を超えて生きる意味を見つける—フランクルと共に探る人生の価値
今日は、私の生きる意味の形成に大きく影響を与えた内村鑑三とヴィクトール・フランクルの著作のうち、フランクルの『夜と霧』及び『ロゴセラピーのエッセンス』を通じて彼の考えを紹介します。
日本では自身の経験であるアウシュビッツでの凄惨な様子とそれに対する人々の生き方を論じた「夜と霧」で非常に有名です。
彼の人生の目的に関するコペルニクス的転回は大変興味深く、またそれは深いレベルでは紀元前の仏教、あるいは現代科学における成人発達理論などと繋がっており、地域・時代を超えた普遍性を実感する一冊です。
フランクルの考え方は、現代の混沌とした社会においても、私たちが直面するさまざまな課題や苦しみに対して有効な洞察を提供してくれます。生きる意味と無縁な人はおらず、特に発達段階の移行期には、自身の価値観が揺らがされ、生きる意味を改めて探求することは誰でも通る道かと思います。
本書を通じて、人生の意味を見つけることへのヒントとしていただければと思います。
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各書の目次
<夜と霧>
心理学者、強制収容所を体験する
知られざる強制収容所/上からの選抜と下からの選抜/被収容者119104の報告——心理学的試み
第一段階 収容
アウシュヴィッツ駅/最初の選別/消毒/人に残されたもの——裸の存在/最初の反応/「鉄条網に走る」?
第二段階 収容所生活
感動の消滅(アパシー)/苦痛/愚弄という伴奏/被収容者の夢/飢え/性的なことがら/非情ということ/政治と宗教/降霊術/内面への逃避/もはやなにも残されていなくても/壕のなかの瞑想/灰色の朝のモノローグ/収容所の芸術/収容所のユーモア/刑務所の囚人への羨望/なにかを回避するという幸運/発疹チフス収容所に行く?/孤独への渇望/運命のたわむれ/遺言の暗記/脱走計画/いらだち/精神の自由/運命——賜物/暫定的存在を分析する/教育者スピノザ/生きる意味を問う/苦しむことはなにかをなしとげること/なにかが待つ/時機にかなった言葉/医師、魂を教導する/収容所監視者の心理
第三段階 収容所から解放されて
放免
<ロゴセラピーのエッセンス>
ロゴセラピーの基本概念
1 意味への意志
2 実存的フラストレーション
3 精神因性神経症
4 精神の力学
5 実存的空虚感
6 人生の意味
7 実存の本質
8 愛の意味
9 苦悩の意味
10 メタ臨床的な問題
11 あるロゴドラマ
12 超意味
13 人生のはかなさ
14 技法としてのロゴセラピー
15 集団的神経症
16 汎決定論批判
17 精神科医としての信条
18 精神医学における人間性の復活
心理療法における精神の問題について
解 説 (本多奈美・草野智洋)
ヴィクトール・フランクルの生涯
ヴィクトール・フランクルは、オーストリア・ウィーンで生まれ育ったユダヤ系の精神科医です。
彼は第二次世界大戦中、ナチスの強制収容所アウシュビッツに送られました。そこで彼は収容のわずか9か月前に結婚したばかりの妻のティリー、父・母など多くの家族を失いました。
当時の収容所の環境は、どれだけ凄惨であったかを想像することさえ困難です。生きて帰れる確率は非常に低く、毎日が生死を賭けた闘いでした。フランクルはその中で、極限状態における人間の内面の変化を観察し、自らの哲学を形成していきます。
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フランクルは家族や愛する人々を失い、過酷な生活を余儀なくされましたが、その中で彼は絶望することなく、人間の持つ強さと尊厳を信じ続けました。収容所での経験を通じて、彼は人間がいかにして苦しみに意味を見出し、それを乗り越えることができるのかという点について深く考えます。
こうした経験をもとに、解放後、フランクルは精神科医として勤務しながら、「夜と霧」をはじめとする多くの著作や、独自の体系である「ロゴセラピー」の提唱など、人々が人生に意味を見出すことの重要性を説いていきました。
フランクルは、自らの体験を通じて得た洞察をもとに、絶望の中にあっても人間は意味を見つけることができると信じ、その信念を広めることに人生を捧げました。今日、我々がフランクルの名やその著作を読み影響を受けていること自体、彼がその人生の意味を追求し、それに向き合い続けた証左とも言えるでしょう。
フランクルの哲学
1. 人生の意味など問題でない。人生から何を問われているかだ
フランクルは「夜と霧」で以下のように述べており、これが彼のロゴセラピーにも共通する、彼の最大の核心です。
「人生から何をわれわれはまだ期待できるかが問題なのではなく、むしろ人生が何をわれわれから期待しているかが問題なのである。そのことをわれわれは学ばねばならず、また絶望している人間に教えなければならないのである。」
アウシュビッツの収容所でフランクルは、他の多くの囚人のように「どう生き延びるか」と生を目的にはしませんでした。彼はむしろ、「苦しみと死に意味はあるのか?そうでないなら生き残ったとしても生きる意味はない」と考え、生きることを目的にせず、生きる意味を目的として考え続けました。
実はフランクルは、その著作の原稿を持った状態で収容所に送られ、初日にそれを燃やされるという悲劇に遭います。しかし、再びその原稿や考えを書き、世に自身の考えを広める、という「人生の意味」を保ち続けることによって、収容所の過酷な生活、その中でのチフスなどの死の淵から生還しました。
その経験から得た洞察をもとに、彼は以下のように述べています。
「人は誰しもその人にしかできない使命がある。それを果たす責任性の中に人間存在の本質がある」
フランクルの考えでは、人生の意味とはただ生き延びることではなく、自分に課せられた使命を果たし、周囲の人々に貢献することにあります。
彼は、収容所という極限状態の中で、自らの哲学を具現化し、他者を励ますことに尽力しました。人間の持つ「意味への意志」は、苦しみや困難の中にあっても生きる力を与えてくれるものであり、それこそがフランクルの主張する人生の本質です。
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2. 人生に希望を失うとき
一方でフランクルは、現代社会で多くの人が生きる意味を失った「実存的空虚」に陥っていることを指摘しています。
彼は本著作でその理由を、「動物的本能を失い、従うべき伝統も失ったこと」を原因として挙げ、結果として「現代の個人は、周りに順応するか他人が望むことをするようになった」と述べています。
これは、以前当Noteでも紹介した岸田秀の「人間は劣った奇形児である」(本Noteリンク)といった言説や、あるいは成人発達理論(本Noteリンク)における慣習的段階/他者依存段階の特徴をまさに示しているとも言えるでしょう。
こうした実存的空虚に陥り、人生の意味を見つけ出せない状況をフランクルは「実存的フラストレーション」と呼び、以下の3つのパターンで説明しています。
実存そのもの(存在方法)のフラストレーション:
人間は動物的本能を失っており、「生きなければ」という情動が希薄になっています。そうして「なんで生きているのか?」と思ってしまう空虚感実存の意味をめぐるフラストレーション:
「自分の生きる意味・目的ってなんだろう?」と意味を探すけど見つからないつらさ実存の意味を探そうとする努力—意味への意志のフラストレーション:
「頑張って自分の生きる意味を探してきたけど、もう疲れたよ」という、意味の探求活動による苦痛
これらのフラストレーションが原因で人々は精神的に追い詰められ、人生への希望を失ってしまいます。
フランクルは、こうした人間が希望を失う理由を深く探求したうえで、次章のようにそこからの脱却方法を示唆していきます。
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3. 人生の意味の3つの方向性
こうして生きる意味を見失った人々に対し、フランクルは以下のような温かい信頼を寄せます。
「人生の意味を見つけ出そうとするモチベーションは人間にもとから備わっている。」
そして、人生の意味の見つけたには3通りある、としてその発見を支援します。
創造価値 - 作品の創作や、何らかの行動を起こすことによって見出すことです。イメージしやすいのは芸術家や偉人の成果などで、内村鑑三的に言えば「事業」や「思想」を遺す、とも言えるでしょう。
体験価値 - 次にあげるのが、何かの経験や誰かとの出会いです。具体的には、「真・善・美」と言われるような自然体験や芸術体験などと、他者の唯一性を経験し認めること、つまり「愛」です。
例えば子どもの可能性を信じて支援してあげることも、この「愛」としての生きる目的となりうるでしょう。態度価値 - そして最後の意味が、避けられない苦難への態度、苦しみに対して意味を見出すこと、です。まさにアウシュビッツから生還したフランクルが言うからこそ重い言葉です。
彼は「わたしたちが持つあらゆる能力の中でもっとも人間的な能力は、自分の身に起こった悲劇を勝利に変える能力、苦悩に満ちた運命を人間としての業績にする」と言います。
ロゴセラピーのエッセンスでは、ある妻に先立たれた人へのアドバイスを例に出します。その方は最愛の妻をなくし、生きる意味を見失っていましたが、フランクルは「奥様に先立たれたことで、あなた(夫)は奥様が夫に先立たれるということを経験させずにすみました。あなたはその代償として、奥様より長生きして、その死を悼み悲しまなければなりません。」と言います。
この通り、フランクルは特にこの三点目の「態度価値」を重視しています。困難や宿命にどう向き合うかが重要であり、それが人間としての真価を問う瞬間であると考えています。
フランクルによれば、苦しみを避けることができないとき、それに対してどのような態度を取るかが、その人の人生の意味を大きく左右します。避けられない苦難に対して、希望と尊厳を持って向き合うことこそが、人間としての真の強さであり、それが人生に意味を与えるのです。
これはまさに、内村鑑三をして「高尚なる勇ましい生涯」を遺すということも共通するでしょう。
このように、フランクルはロゴセラピーを通じて、人間が自己超越できる存在であると信じ、相手に働きかけることで、将来に目を向けさせ、患者が自分自身で答えを見つけられるように支援していきました。
その結果、患者は自己の内面にある力を引き出し、自分自身の人生の意味を見つけることができるのです。
フランクルのロゴセラピーは、単なる治療法ではなく、人間の可能性を信じ、その人が持つ可能性を最大限に引き出すためのアプローチです。それは、困難な状況でも希望を見失わず、人生に意味を見出すことを目指すものであり、私たちがどのように生きるべきかについて深い示唆を与えてくれます。
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まとめ
ヴィクトール・フランクルの「夜と霧」や「ロゴセラピーのエッセンス」は、私たちが人生に意味を見つけるための深い洞察を提供してくれます。
人生から何かを期待するのではなく、人生が何を私たちに期待しているか、と考え、その問いに真摯に向き合うことで、自分の役割を理解し行動するのです。
仏教的に言えば、我々は「無我」であり、本来は「自分」というものはなく、すべては「縁起」によって周囲や世界から与えられたものであることを理解し、世界や周りの人のために「六波羅蜜」を実践する、とも言えるかもしれません。
フランクルのメッセージは、私たちに対して「自己超越」を促しています。人生の中で直面する困難や苦しみも、それを自らの存在の意味を深く見つめ直す機会と捉え、それを通じて成長することができるということです。
人生において、私たち一人ひとりがそのあり方や行動といった「態度」をもって向き合うことで、自らの使命を果たすことができ、また困難な状況にあっても人間は人生に意味を見出す力を持っているのです。
それこそがフランクルが伝えたかった普遍的な真理であり、私たちが生きる上での最大の希望となるでしょう。この本が、読者の皆さんにとって人生の新たな意味を見出す一助となれば幸いです。
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おしまい。
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私の気づきが、少しでも皆さんの幸福に繋がれば幸いです。
これまでのキャリア経験(大企業・戦略コンサル・スタートアップ)を通じた示唆や、性格理論・成人発達理論・自己実現・自己超越などの知見をもとに、キャリア・ライフコーチングを行っています。
人生・人間関係・キャリア・成長・成熟など、お悩みの際はいつでもご相談ください!ご相談はこちらから。
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