誰かが主役の人生、もうやめていい
皆さま、いつもありがとうございます。
最近、コラムをさぼっていました。
とはいえ、私は○○がつく真面目、だったので、
こうして気ままに綴るいまがあることも、
かなりゆるっと生きられるようになってきた、
ということかもしれません(笑)
私自身の人生を振り返ると、
体験9割、知識1割、の比率な気がして、
体験したこと中心にしか書けないのですが、
いま、苦しくて辛くて、やるせなくて、
生きる希望が持てない方へ、
何かヒントになれば幸いです。
違和感だらけの半生
さて、私は生まれつき、人の気持ち、
周囲の音、全てに過敏でした。
感じ取る情報量が多く、それを伝えたところで、
親はネグレクトだったとともに、
より、受け取る情報量は多くなり続け、
処理が出来ないままでした。
同時に、いつも感じていた、
「ここは私がいる場所ではない」
という違和感が強くなり、
どこに帰ればいいのかわからない、
寂寥感が付きまとうようになりました。
そう、人生の半分は、
違和感でいっぱいでした。
自分が視えたこと、感じた事、
全てを大人に否定され続け、
直感力は閉じねばならない、と感じたとともに、
そこから先は、
「親に言われた通りの演者を演じる人生」
に慣れて行きました。
結果、成績もそこそこよく、
スポーツでもある程度は成果を出し、
何かで上位に入ったり、一番になったり、
いわゆる、出来る子、で居続けました。
それは、今思えば、
「愛される生命線」だったのです。
そう生きるのは当たり前、になっていき、
心を亡くしたロボットになっていることすら、
全く気付かなかったのです。
ふと気づくと涙がこぼれる、
その理由すらわかりませんでした。
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