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映画「アタック・オブ・ザ・キラートマト」を観て、小説「『アタック・オブ・ザ・キラートマト』を観ながら」(久永実木彦/著)を読んだ感想日記

映画「アタック・オブ・ザ・キラートマト」を観て、小説「『アタック・オブ・ザ・キラートマト』を観ながら」(久永実木彦/著)を読んだ感想日記を書きました。

読んでいた途中のツイート
「アタックオブザキラートマトを観ながら」を読み始めた。2日前に映画を見たところ。その映画を観るという小説なわけで、なんかすごく不思議な感覚を味わってる… うん、今、読んでるのが、すごい体験なような気がしてきた。…という訳で本に戻ります👋

読み終わった…面白かった…
何やら訳ありの主人公が入ったミニシアターで、出会った人たちとZ級映画を観るという映画、のような話だった。入れ子みたいで面白い作り。クセの強い登場人物ばかりだけど、映画でしか世界を見られないという星乃さんが強烈に魅力的だった。
ちゃんと感想残したいな

 感想の前に、自分の事から書くね。昨年12月にアタック・オブ・ザ・キラートマトの配信が始まるよという情報を、タイムラインを流れた著者の久永実木彦先生のポストで知って、もともと正月休みに観るつもりでいた。そこに地震が起きた。わたしの住む地域も震度5強。怖かった。幸運なことに自宅に被害はなく、ライフラインも無事。物資的にはすぐに日常が戻った。でも精神的にはぐじゃぐじゃなまま。今は少しずつ気持ちも上向いてきているように思う。
 
 1月6日の晩に映画を観て、1月8日の晩に小説を読んだ。本当は休み中に本屋で単行本を購入するつもりでいたけれど、買いに行けていなかった。8日の夕方、ツイッター(X)の友人の、映画観てるというポストが嬉しくて、読みたい意欲が止められなくて、Kindleで購入して読み始めた。

 何やら訳ありの主人公がふらりと入ったミニシアターは、平日の昼間なのにほとんど満席。おかしな仮装をした人々がある映画を楽しみに来ていた。
 隣の女性は映画の話にしか反応のない、クセの強い、しかし、サバサバした魅力のある人。星乃さん。たくさん映画を観ていて情報にも強くて、他人の無知を馬鹿にしない。主人公の犬居くんがなんとなく惹かれていくのもわかる。
 物語前半、予期せぬ緊急事態やSNSのデマが扱われていて、現実世界で起きている事を思って、うぐっ、となった。わたしはうっかり情報を精査しないまま軽率なツイートをして、反省して、昼にそれを消したところだった。
 そして、主人公たちが訳の分からない現実から逃れるように映画を観るシーン。主人公の犬居くんが、映画のくだらないやりとりや脱力するジョークに安らぎを感じ、"容赦のない現実に、残酷なこの世界に、余白のようなものをつくってくれる存在なのかもしれない" と思う部分について。自分が重なった。
 元旦に隣の県で起こった震災に何もできない事、自分が動けない事への無力感、そして昨年から続く個人的な悩み事も抱えていて心が疲弊している中で、夜に観たバカバカしいZ級映画は確実に安らぎと余白をくれた。とても呑気なツイートをしていられたもの。

以下2024.01.07 0:37に残したポスト
「今夜はアタックオブザキラートマトを観た
何なの何なの🤣全編不条理すぎてついていけてるのかわからない〜
B級を下回るZ級映画っていう評価がすごい面白くわかりみある 突っ込んだら負けな感じ そして思春期の恋、最強だった… トマト楽譜読めるんか は〜楽しかった… おやすみ」

 ちなみにZ級映画と言われているのは、見終わった後あまりの衝撃でウィキペディアを見に行って知った。続編やゲームが作られたのも、ヘリの事故が現実の映像だった事も知って驚いた。だから、小説の方でその情報が犬居くんに伝えられる場面は、そうだよわたしも知ってるよ〜という俄かファンの心理で楽しかった。

 こんなだから、とても共感しながら、読み進めていた。犬居くんの一人称で描かれているからなお、その場に自分もいるようにすら感じて読んだ。クセの強い個性的な登場人物たちが魅力的。それぞれ映画好きで、それぞれに語る事情がある。作中に登場人物たちが口にする作品の、いくつかはわかったけれど、ほとんどわたしの知らない映画ばかり。犬居くんの感覚に近い。
 おそらく映画好きな方々には、小説に召喚されているだろう作品が、題名の出ないものも含めて分かるのだろう。そういうのはちょっと羨ましい。

 小説の物語は後半、ゾンビもの映画になっていく。外にいる子供を助けるという、アクション映画かゲームのような流れ。ここの犬居くんの、助けたい、という気持ちは、今だからよりリアルに感じた。見ぬふりをしていていいのか。何か手助けできるのではないか。…でも、その結果に責任を持てる? 近くにいて、知人も被災している。人手の足りないところで何か手伝える事もあるのかもしれないけど、わたしは募金する事しかできないでいる。
 多数決の結果、彼らは非現実な不条理に、ちょっとZ級な英雄的行為で立ち向かうのだけど、そこには容赦ない結末が待っている。終末的な絶望感の中、主人公たちはキラートマトの続きを観る。その結末に、光と希望を感じて。
 映画「アタック・オブ・ザ・キラートマト」が終わると同時にこの小説「アタック・オブ・ザ・キラートマトを観ながら」が生まれた。そんな不思議な印象が残った。
 そして、犬居くんの手の痛みから始まり、手の痛みで終わっている事について。「痛み」は「現実」に戻る鍵だとしたら。犬居くんたちも、キラートマトが普通のトマトにポンッと戻るように、現実の何事も起きなかった世界線の〈シネマ一文〉にもどるのかもなって妄想した。痛みの意味合いが変わる事で、犬居くんの現実も変わるはず。

 映画や本との出会いは何がしかきっかけがあるものだけど、今、このタイミングで観て読めた事に驚き。
 著者の久永実木彦先生、映画の配信があるとポストしてくださった、ドクショと!様、タイムラインに流してくださったフォロワー様(どなただったのかな) と、読みたいな!の背中を押してくれた伊予柑さんとシンユカさんに感謝です。気力が戻ってきたよ!!

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