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人生の複雑さと単調さ:橘玲「人生設計(Life Planning)」『知的幸福の技術』より
「自由な人生」を人は望むが、その「自由」でさえも多くのものに依存して初めて獲得されるものであるだろう。とりわけ、経済的な自由の獲得——経済的な基盤の確保は、日々の積み重ねによって得られるものだ。つまり、制限なしの自由などありえない。
だが、「日々の積み重ね」という「正論」の有する単調さを、真正な態度では受け入れがたい。というのも、その単調さには「変わらない日々の繰り返し」という要素(エレメント)が内在しているからだ。
だから、「甘い言葉」を、「おいしい話」を、「突拍子もない話」を信じたくなってもしまうのだ。
私たちが暮らす高度化された資本主義社会では、人生を変えたいと望む人々のために、さまざまなコンビニエントな方法が用意されている(24頁)。
「コンビニエント」な方法への誘惑を抑え、一見「堅実」にサラリーマン人生を送る者も、そのような人生が「幸福か否か」という観点では怪しい。他に選択肢がなく、「会社にしがみつくこと」によってしかその生活を成り立たせることができないのであれば、逃げ道がないと言えるからだ。
それでは、そのような「不遇な人生」が生じてしまう「世界」や「制度」が悪いのだろうか。確かに、悪い面もあるだろう。だが、そのような「大きな客体」に対して、「幸せな暮らしを望む凡庸な主体」はあまりに無力だ。
だから、さしあたっては、自分と自分の大切にしたい人の幸福の確保を目指すということが現実的だろう。そのために、複雑な状況に巻き込まれつつも、自分にできる範囲で、単調に行為していくしかないのである。
(うぇいから一言)
とはいえ、一回きりの人生、どこかで「賭け」に出たほうが「おもしろい」かなとも僕は考えています。ですがその「賭け」は、あくまで「自己に立脚したもの」であるべきでしょう。というのも、「自分の責任において賭けをする」から「真の賭け」になるからです。自己本位でなければ、その「賭け」の責任を、「オレじゃなく〇〇のせい」と他責にしかねないからです。
単調な生活のなかでも、ある一定の方向付けを自らなしているのであれば、「チャンス」が訪れた際に、きちんとものにできるのではないでしょうか。
思考の材料
参考文献
イラスト
SatsuKiさん
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