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陽明学コラム vol.2 〜陽明学の学びとは?~

現在の学校教育ではあまり耳なじみのない陽明学。
 
私は高校の世界史や倫理で少しだけ触れたことがありましたが
具体的にどんな学びなのか?を知ったのはほんの7~8年前でした。
 
陽明学との出会い、どうして陽明学を学ぼうと思ったのか?
詳細はコチラの記事をご覧ください。
  ↓
陽明学コラム vol.1 〜陽明学との出会い~
 
今回は、陽明学の学びとは?をテーマに

1.どんな学びなのか
2.誰が学んだのか
3.なぜ今役立つのか

についてご紹介します。
 

1.どんな学びなのか


 
陽明学とは、中国・明の時代に生きた「王陽明」が弟子たちと問答をした記録「伝習録」によって伝えられている、より良く生きる生き方・考え方と実践方法が一体となった学びです。
 
王陽明は、エリート官僚の家系。
父が科挙試験主席でトップ官僚、自身も科挙試験に合格し官僚の道へ進みます。
 
しかし、当時は賄賂が横行し政治は腐敗。
その状況に異議を申し立てた王陽明は僻地へ左遷されてしまいます。
 
そんな僻地での生活の中で、そこに暮らす人々の心良い対応に触れた王陽明はハッと悟ったのです。
 
ここに暮らす人々の方が、中央の官僚よりも、心豊かに生きている。
人として大事なことは、知識が多い少ないということではない。
「より良く生きる生き方・考え方」をいかに「実践」できているかだと。
 
そんな王陽明の考え方に共感し共鳴した人々が彼の元を訪れ、問答したやりとりが「伝習録」上中下巻に修められています。
 
 
私が考える、陽明学の魅力は、大きく3つ
 
① 本質的でシンプル!
② 万人のあらゆる実践に役立つ!
③ 力強く生きる優しい人になって、みんなの幸せを叶える!

という点にあると感じています。

① 本質的でシンプル!


  原理原則を知り、心を磨き続ければ、物事が上手くいく。
   
  相手のいいところを活かせるかどうか
  時と場所と状況に応じた最適な実践ができるかどうか
  全ては自分の心の在り方・考え方次第
  心の不純物を取り除き、曇りのない心で物事にあたる
  心が伸びやかで力みがなく集中している状態であれば的中する
 
  現実に起こる出来事に対応する中で心を磨く
  知識量よりも、体感をベースに掴んでいくことができるのが魅力です。
  

② 万人のあらゆる実践に役立つ!


  全ての人が、より良く生きる力と可能性(良知)を持って生きており、
  この生きる力と可能性を最大限に発揮し合えばよりよい社会がつくられます。
 
  良好な人間関係の構築
  学びの場づくり
  地域の特産品づくり
  災害に備えた地域づくり
  地域が豊かになる共有財産の運用など
  江戸時代は士農工商に関わらず、あらゆる立場の人が学んで実践していました。
 
  庶民からリーダーまで、さまざまな実践に役立つところも魅力です。
 

③ 力強く生きる優しい人になって、みんなの幸せを叶える!


  陽明学を学んで実践した人達は、
  決してぬくぬくとした環境で生きた人達ではありません。

  自分自身の生い立ちに悩んだり
  飢饉で家族や村の人が苦しむ姿を見たり
  財政が困窮していたり
  亡国の危機を感じたり

  どちらかと言えば厳しい状況の中で、やむにやまれぬ思いのもと
  「いかにより良く生き、より良い社会をつくり、みんなの幸せを叶えるのか」を模索し、諦めず粘り強く実践した「力強く生きた」人達です。
  そこには、他者の苦しみを我が苦しみと感じ、人の喜びを我が喜びとする、
  人を憂う優しさに秀でた人の姿があります。

  人と心を通わせ、物事を前進させていくのは、心からの願いから湧き上がるエネルギーです。
  そんな生きた実践事例から豊富に学ぶことができるのも、陽明学の魅力です。
 

2.誰が学んだのか


 「陽明学(伝習録)」は、江戸時代初期の平和な時代に日本に伝わりました。
  
日本で初めて陽明学を広めたのは、近江国の中江藤樹
内村鑑三の著書「代表的日本人」に取り上げられた人物の一人です。
その教えを三方よしの商いで実践した近江商人が全国で活躍。
中江藤樹が暮らした村(現高島市)は、百貨店の「高島屋」の名前の由来になっています。
 
その中江藤樹の教えを受けた熊沢蕃山は、岡山藩でその教えを実践。
飢民救済、治水事業、教育の振興など幅広い実績を残しています。
藩士の教育を担う藩校や、庶民教育の場として多数の手習い所、郷学「閑谷学校」を設立。
現在、岡山が教育県と呼ばれる由来になっています。
 
陽明学は、江戸時代前・中期に三輪執斎により普及しました。
江戸では私塾「明倫堂」を設立、大阪では平野郷の「含翠堂(がんすいどう)」・幕府公認の学問所「懐徳堂(かいとくどう)」の創建を指導。住民自治の地域づくりによる飢饉救済など、災害に強い地域づくりを指導しました。
 
江戸後期、その懐徳堂で学んだのが、昌平坂学問所総長佐藤一斎
幕末維新期に、日本全国の次世代の指導者や志士を育成します。
 
江戸時代末期、京都で陽明学に出会い、江戸の佐藤一斎に入門した山田方谷は、備中松山藩で財政改革と藩政改革を達成。
明治政府から大蔵大臣就任要請がありましたが、これを断って後進の教育に力を注ぎ、特に閑谷学校再建に努力しました。
 
江戸時代後期、徳を以って徳に報いる「報徳思想」「報徳仕法」「報徳基金」を打ち立てた二宮金次郎は、約600の村を再建。
 
明治時代、「論語とそろばん」で道徳経済合一説を説いた渋沢栄一は、約500社の企業、約600もの教育機関や社会公共事業の支援、民間外交に尽力しました。 
 
これほど様々な事例を持っている陽明学ですが、明治維新、第二次世界大戦などを経て、学校教育からは姿を消してしまいました。

しかし、近年、企業の経営者が学んでいたり、大河ドラマや歴史番組などで主要な人物がとり上げられるなど、再度注目を集めています。

3.なぜ今役立つのか


陽明学を実践したリーダー達が活躍したのは「時代の変革期」です。
そして、教育・商い・農業・財政・自治など実践事例が幅広く、一体的に実践されていました。

今は、まさに「時代の変革期」
これまでの社会構造から新しい時代へ移行していくタイミングです。

時代の変革期に対応した多くの事例とたくさんのヒントが詰まっている陽明学を、リーダーはもちろん、広く多くの人が学ぶことで、明るい未来が必ず描けると信じています。

 
先日、Happy Work Design Labのビジョンを話していたときに、ある人から質問がありました。
「これって、いい人を増やしたいのか、いい社会をつくりたいのか、どっちですか?」と。
そう問われてハッと気づいたのですが、陽明学の実践事例には「どちらか一方だけ」ということがなく、必ず、教育・商い・農業・財政・自治などが一体となって実践されているのです。
 
今、必要なことは、力強く生きる優しい人(いい人)を増やし、それぞれの専門分野の人達が力を発揮し合い協力し合って、みんなの幸せを叶える!(いい社会をつくる)ことだと思うのです。
 
全ての人が、より良く生きる力と可能性(良知)を持って生きている。
あとは、この力と可能性をいかに発揮して力を合わせていくのかだと思っています。
 
陽明学を学ぶと、なぜか力が湧いてくる。
そして、なぜか人を喜ばせたくなって、人のチカラになりたいと思う。
そんな陽明学を一緒に学んで実践できる人が増えると嬉しいなと思っています。

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