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芥川龍之介やジョンレノンも愛したカフェパウリスタ 設立理由がすごい♪

新橋に用事があったのでその帰りに、ずっと気になっていた「森のコーヒー」を扱っているお店、銀座カフェパウリスタに行ってみました♪創業110年と歴史が長いとのことで、店内の雰囲気も素敵♪古い木独特のアンティーク調の店内に癒されました♪大好きな森のコーヒーとザッハを頼みました♪美味しい💕

森のコーヒーは有機栽培で、美味しい、丸の内で数年前に飲んでからずっと忘れられなかったので、久しぶり飲めて嬉しいです♪

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カフェパウリスタの歴史が思わぬ勉強になったので、経営者として学びまくりの時間でした♪

ブラジル移民の父 カフェパウリスタ初代社長 水野 龍さん

https://www.paulista.co.jp/paulista/より

ときは明治41年4月28日。
日本からブラジルへの最初の移民781名を載せた船「笠戸丸」が神戸から出港しました。

当時、世界の50%以上のコーヒーシェアを持っていたブラジルは、奴隷解放によって農園の働き手を失い、労働力を世界各国へ求めました。しかし、賃金労働者と奴隷の区別がつかないブラジル園主と外国人労働者の間でドラブルが続出。皆自国へと逃げ帰ってしまいます。

同じ頃、日本では人口増加による食糧不足、日露戦争帰還兵の失業者問題が深刻化していました。
その解決策として、日本人の移民を計画したのが“水野 龍(みずの りょう)”。

水野は、人種の偏見が少なく、食糧も豊富なブラジルを移民先に選び、大勢の日本人を率いて向かいました。日本人移民は、その礼儀正しさと社交性でブラジルに好意的に受け入られましたが、言葉の通じない土地で、奴隷の扱いしか知らない農業主のもと、多くの困難と忍耐を強いられます。
ひと旗あげて帰国しようと意気揚々だった人々も、帰国はかなわないと悟らざるを得ませんでした。
また、水野自身もこの移民事業によって大きな赤字を抱えます。

ブラジルのサンパウロ州政庁は、そんな水野の移民事業に対し、年間1,000俵の珈琲豆の無償供与と東洋の一手宣伝販売権を与え、日本におけるブラジル珈琲の普及事業を委託します。

大きな損を幾分かでも埋められるよう、コーヒー豆を無償で提供したい。
ついてはこれを 農園労働の需要性と、コーヒーそのものを周知する機会としてほしい。
日本がいずれ西洋を凌駕する民族発展をみるのは確実であり、生活様式が進化すれば、
コーヒーは日本の嗜好に迎えられるに違いない。

コーヒーはいわば、ブラジルで働く日本人移民の努力の結晶。
日本でこれを広め、需要を伸ばすことで、彼らへの大きな理解と助けを得られると踏み、水野はこれを承諾。
政治家・大隈重信らの助けを借りて、明治43年にブラジルサンパウロ州政庁専属ブラジル珈琲発売所「カフェーパウリスタ」を設立しました。

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とのこと♪

うーーん、本当に偉大な人はたくさんいますね。もっともっとたくさん勉強します♪


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