ヤマボウシに罪はない
トイレの水が流れにくい。
全然流れないわけではないけれど、いったん溜まってから流れる。以前は違ったはずだ。
そんな風に思い始めたのは昨年末。
幸いにも2つあるので問題ない方を使いつつ、どうやら原因は外の配管にありそうだとの推測に至った。
そしてそこから先は素人ではムリだろうということで、町のお助け水道屋さんのような業者さんを探してお願いしてみたところ…
さすがはプロ。
すぐに原因を突き止めた。
それは配管の中まで侵入した木の根っこだった。確かにすぐそばにヤマボウシ2本とハナミズキ1本が植えてある。
この際だからと家中の配管チェックと、中に入り込んだ木の根っこを切り取る作業をお願いした。
2時間近く掛けて切り取られた根っこは、毛細血管のような細い根が絡み合い、それはまるで大きなヘチマのタワシのようであった。
また中で育ったのか団扇のように広がったものもあり、狭い配管にこんなものが有れば、やがてはトイレだけでなく全ての排水管で詰まったことだろう。
なんとも恐るべし植物の力。
小さな雑草でさえコンクリートを割って伸びてくるくらいだ。土の中で水に向かって根を伸ばしたのか、もしかしたら小さな隙間や割れ目があるのか分からないが、その力強さを改めて思い知る事となった。
それと同時に「適切な対処をする」ということの大切さを知った。
何かがあるから詰まる。
詰まったものを根こそぎとる。
2度と伸びないように庭の土を掘り起こし、配管へ伸びる方の根を処理する。
木はやがて枯れてしまうかもしれないが。
スッキリ。
人の心もこうなら良いのに。
人の心に生えた根っこは複雑に絡み合い、そこで何かを堰き止めてはいないだろうか。
切っても切っても、次から次へと余計な根が生えてはいないだろうか。
人の心は木のように切り倒すわけには行かない。
「こうすれば良いですよ。」
そんな明快な答えがあったとしても、業者さんを呼んで切り取ってもらうわけには行かないのだ。
頭では分かっているのに。
いや、分かっているからこそ、自分自身との対峙に耐えなければならない。
助けようとする人がいても、本人が次から次へと根を伸ばしていてはキリがない。
それでも原因を知ることは大切だ。
そうでなければムダな足掻きを続けることになってしまう。まぁ、それはそれで良いことあるかもしれないが。
現在ではすっかり快適に戻った我が家のおトイレさんだが、昨年末から色んな管を通され液体を流され、奥の奥まで掃除を重ねた。それはさぞかし綺麗になったことだろう。
足掻きもムダとは言いきれない。
今回はあくまでもおトイレの話。
排水管を見たからと言ってなにも自分の心に置き換えなくても…なんてことは分かっている。
これも私の心に巣食っている根っこが悪さを働いているのだ。水に向かって伸びるように。
切り取る必要があるだろうか?