ぽの

思ったことをつらつらと、気が向いた時に書くでしょう。

ぽの

思ったことをつらつらと、気が向いた時に書くでしょう。

最近の記事

喪の仕事

母の四十九日が過ぎた。 悲しいとかそう言うことではなく、でも少し心に引っ掛かるような異物があって、これを書いている。 異物の正体を知るにはこうやって文字にしてゆくのが有効だ。 母と娘というのは関係性が少し独特なのかも知れない。それは父と息子に比べても、だ。 葬儀や法要というのは亡くなった人を中心にした、それぞれの関係性が見えてくるもの。 母と父。母と息子。母とそのきょうだい。同級生や仕事の仲間、ご近所や親戚一同。 そんな周りの人間から見た母は、私が知る母とは少し違

    • ネコの日

      本日はネコの日だそうで。 そう言えば長く勤めた前の会社にネコ好きがいて、毎年必ず「今日はネコの日なの〜」と教えてくれる人がいたっけ。 だから何なんだ。 身近にそう言う人がいたから余計にバイアスが掛かっているのかも知れないけれど、私が思うにネコ好きな人はネコ好きである自分が好きなのだと思う。ネコに自分を投影してるとさえ思う。ネコが可愛いと思える自分が可愛いみたいな…そこまで言うと偏見か…笑 イヌ派?ネコ派? そう聞いてくる人はたいていネコ好きなので。 だいたい派って

      • 時代をつくるCM

        テレビを見ることは少なくなったが、朝の忙しい時間帯は時報がわりにテレビをつけっ放しにしている。 番組自体はどうでも良いのだが、見慣れた番組にしないと時間が分かりにくくなって意味がないので、チャンネルはほぼ固定状態になる。 まぁ、いわゆる「ながら見」で音だけ聞くような状態なのだが、やはりCMが流れると自然に耳が反応する。 耳に残るキャッチコピーや歌にまんまと引っかかるタイプだな〜自分。 そんな毎日の中でちょっと気になることがある。 CMと言うのは時代の流れを反映している

        • 混乱を愛する人たち

          私は事なかれ主義である。 出来れば人と揉めることは避けたいし、周りで揉めてる人がいても、どちらにも加担したくない。 何かぶつかることがあったとしても、それがそこまで大事なことなのか改めて自分に問いかけてみると、大抵のことは譲れてしまう。 だったら最初から譲ってしまえ、という考えが根っこにある。 ただ毎度そうしていると、人はそれが私の本心だと思ってしまう。 それはそれでちょっと問題がある。 本心と離れたところでフリをするのは疲れるし、いつも一方的に押し込まれているのは当然

        喪の仕事

          伝えるもの。伝わるもの。

          この春からお世話になっている新しい職場には20代の若者が多い。以前の職場は長く勤める人が多く、皆さん年上で私が2番目に若かった。今回は逆で、おそらく私が2番目に歳をとっている。 若い社員さんと中年以降の契約社員という構成で日々の仕事に取り組むのだが、若い社員さんは自分の親と同じくらいの契約社員に指示を出し、時には注意を与えなくてはならない。 契約社員はみな良い歳をした大人ばかり。この「良い歳」とは自分の「世界」が出来上がっていて、その「世界」に対してある程度のリスペクトを

          伝えるもの。伝わるもの。

          お互い様さま

          誰かとすれ違う。 文字通り歩いていて、の話です。 すんなり通れますか? 立ち止まりますか? ぶつかりませんか? 普段はなかなか意識しないのですが、歩く速度そのままでも意外とぶつからずに歩けるものです。 ところがある時期。 狭い一本道で毎日のように、同じ人にぶつかりました。その方は身体の大きい若い男性で、ちょうど私の頬あたりに肩が当たります。 けっこう痛いのです。 私としては避けたつもりだったのに、何でだろう?と何日も不思議に思いました。 そしてある日、彼が1ミリたりとも

          お互い様さま

          反発力という罠

          このところ「信じる」ということについて考えている。 誰を信じるのか、 何を信じるのか、 人は皆、何かしらを信じて生きている。 そんな大袈裟な、自分は特に何も信じていないよ、と言う人は恐らく性善説で、大雑把なところで全面的に世の中を信じているのではないだろうか。 世の中の常識と自分の常識が一致していると言う信頼、頑張れば何とかなるという自分への信頼、明けない夜はないという自然への信頼。気が付かないだけで実は色んなものを信じている。 でも隣に座る人が同じものに信頼を置いて

          反発力という罠

          あなたは何を信じていますか?

          最近考えさせられる宗教のハナシ。 実は我が家でも母親がとある宗教にハマっていたことがある。母なりに悲願が二つほどあり、信ずれば救われると思い込んでいたのだろう。毎月配られる会報を私にも読み聞かせては、娘から容赦のない反撃を喰らっていた。 面白かったのはある災害に対して。 まぁ火山の噴火があった時なのだが、自宅の1m手前で溶岩が止まった、と。 これは奇跡だ、と。 溶岩は一軒分の幅で流れる訳ではないし、他にもギリギリで助かった方が大勢いたはずだ。そして不幸に見舞われてしまった

          あなたは何を信じていますか?

          遠くへ行きたい

          故郷は遠きにありて思ふもの 遠くへ行きたい 遠くで汽笛を聴きながら 遠くと言う言葉には、 何やらロマンが詰まっている。 それは ここじゃない何処か、なのか あるはずのない何処か、なのか 自分の行くべき場所 安らぎの楽園 自分を無条件に受け入れてくれる場所 そんな意味なのかもしれない。 遠くへ行きたい。そう思う時、 今いる場所へ戻る、という前提はない。 やはりそこには究極の逃げのような すべてを捨て去り解放されたい、 そんな欲の香りがする。 ん? すべて捨て去るのに欲

          遠くへ行きたい

          告白

          小学校1年生から高校を卒業するまで、私にはひとりのパートナーのような友達がいた。 名前が似ていて、誕生日も近く、新学期の最初は席順が出席番号順になっていたので、同じクラスになると必ず席は前後に並ぶことになった。 当然のように仲良くなり、土曜日に昼で授業が終わるとそのまま彼女の家に行き、昼ご飯を頂いたりした。私の家は共働きで誰もいなかったせいもあり、彼女のお母さんにも大変お世話になった。 ところが私にとって、彼女は心からの親友というわけでは無かった。 むしろそれは、酷い言い

          桜咲け

          今年も春がやって来た。 日本では4月が年度始まりなので、やはりスタートと言う意識が強い。 私も4月からのスタートに向けて、いま何をやっているかと言うと… この3月で廃業する勤め先のお掃除に明け暮れている。単純労働にひたすら費やされる時間と体力。100年ほどの歴史があるのでそれを片付けるのは容易ではない。 どうやら4月になっても後処理が続きそうだし、年齢的に次の就職先も簡単には決まらないと思われるので、失業後は少しのんびり過ごそうかと思っている。 と書くと優雅な雰囲気だが

          桜咲け

          1992年シネイド・オコナーの強硬なプライド

          立場が変われば見方も変わる。 何が正しくて何が間違っているのか、 全てを知らずに判断出来るだろうか? 全てを知ることが出来るのだろうか? 強引に答えを出そうとすれば、個人の経験や見地から判断するほかない。 しかし想像することはできる。 そこには自分の知らない何かがあるのでは無いかと。 それは1992年、もう30年も前の話だ。 シネイド・オコナーはテレビの生放送番組で歌唱後にローマ法王の写真を破り捨てるという行動に出た。 当然のごとく信者からの批判がテレビ局に殺到した。

          1992年シネイド・オコナーの強硬なプライド

          小さな願い

          家族がいるから家庭で 生徒がいるから学校で 国民がいるから国 逆はあり得ない ひとりひとりの集まりが 大きなひとつの枠組みをつくる 主役はひとりひとり 同じ重さのひとりひとり 小さな存在のひとりひとり でもその小さなひとりが 笑ったり怒ったり悩んだり思いを寄せたり そうして生まれたものが 芸術で文学で音楽でお芝居で 私はそんな感情の束が大好きです 大義のない小さな発信 これから先も どうか豊かに育まれますように

          小さな願い

          好き好き大好き

          楽しんでいる人が好きだ。 笑っている人が好きだ。 でも負けず嫌いだったり悔しがったり、 生きることに一生懸命な人も好きだ。 痩せ我慢して強がる人も好きだし、 潔い人も好きだし、大胆な人も好きだ。 オシャレな人が好きだし、 好奇心旺盛な人は大好きだ。 人のことならたくさん見つかる「好き」 意外とハードルが低い。 これならそんなに難しくない。 もしかしたら自分を好きになるより、 好きな人に自分がなる。 そっちの方が簡単だ。 何かをする時の決め手になるのは、 それをする自分が好

          好き好き大好き

          深すぎる孤独

          どんとの「波」という曲です。 もう25年くらい前の曲になるのかな? これを聴くたびに思うんです。 孤独というものは どんなに愛されても どんなに褒められても どんなにお金持ちになっても どんなに笑っても どんなに求められても どんなに許されても そういう一切の事柄とは 全く無縁に存在するものだと。 心の奥底にあって、 誰とも共有できない想いだということ。 あの人も孤独、この人も孤独、 でも一緒にいても孤独は埋められなくて。 こうなったら消えるとか、 救われるとか、 そん

          深すぎる孤独

          泣いたって遅いよ赤鬼

          節分ですね。 鬼は外、福は内。 そりゃ福は内ですよね。うんうん。 でも鬼って何なんでしょうね。 鬼のような形相の乱暴な輩の喩えでしょうか? それとも昔の人の目には、 鬼の姿が見えたのでしょうか。 鬼ババアなんて言葉はあるけれど、 鬼ジジイとは言いませんね。 女性としては納得いかない… と言うのは嘘です。 言いたい事は分かります。 この季節になると子供の頃に読んだ絵本、 「泣いた赤鬼」を思い出します。 人間と仲良くなりたい赤鬼が居た。 遊びに来て下さいと貼り紙をしたも

          泣いたって遅いよ赤鬼