『レイラの最後の10分38秒』エリフ・シャファク (著), 北田 絵里子 (訳) トルコの、女性はじめ差別される側にいる主人公と五人の友人たちの物語を、フランス生まれの女性学・ジェンダー学の修士も持つトルコ女性作家が書いたからと言って、政治意識が前面に出ちゃうかというと、いや、人としてのシンプルな愛が勝っているという印象の素敵な小説でした。
『レイラの最後の10分38秒』 単行本 – 2020/9/3
エリフ・シャファク (著), 北田 絵里子 (翻訳)
Amazon内容紹介
「2019年度ブッカー賞最終候補作! トルコでいまもっとも読まれる女性作家が描く、ひとつの生命の"旅立ち"の物語
1990年、トルコ。イスタンブルの路地裏のゴミ容器のなかで、一人の娼婦が息絶えようとしていた。テキーラ・レイラ。
しかし、心臓の動きが止まった後も、意識は続いていた──10分38秒のあいだ。
1947年、息子を欲しがっていた家庭に生まれ落ちた日。厳格な父のもとで育った幼少期。家出の末にたどり着いた娼館での日々。そして居場所のない街でみつけた"はみ出し者たち"との瞬間。
時間の感覚が薄れていくなか、これまでの痛み、苦しみ、そして喜びが、溢れだす。
イスタンブルの多様性、歴史、猥雑さ、悲しさが組み込まれ、モザイクキャンドルのような魅力を放つ小説。目が離せないまま一気読みした──中島京子(作家)
本を閉じた後も、レイラは生きている。今もずっと、私のそばにいてくれる。彼女の、控えめに言っても過酷な人生を歩みたいとは思わないけれど、彼女のように生きることが出来たらと、心から思う。友を、そして自分を信じて、体当たりで世界を愛する彼女は、私のスーパーヒーローだ。──西加奈子(作家)」
ここから僕の感想。
今年最初に読み終えた本、なのだが、昨年12月の「トルコ小説月間」と勝手に設定したのに、年末ごたごたして、読み終え損ねたので、年を越えて持ち越した最後の50頁ほどを、昨夜、やっと読み終えたのである。
トルコのノーベル賞作家オルハン・パムクの最新作『僕の違和感』に続いて読んだ。いや、続けてだからこそ、読んだ。パムクの主要小説はほぼ読んだのだが、あくまで男性視点で描かれていて、イスラム教の男女価値観が色濃く残る中での恋愛や結婚やが描かれる。女性は父親や兄の言うことを聞かないといけなくて、結婚も親が決めた相手として、恋愛があるとしても「ちらっとみた姿」に男性が勝手に妄想を抱いてスタートして、男女が本当に分かり合えるのは、日本のお見合い結婚みたいな感じで、結婚して年月がたってからで。そういう価値観が色濃く残る、特に色濃く残るアジア側、アナトリア半島と、そこから、かなり西欧化した価値観の人もいるイスタンブールに出てくる人がたくさんいて、その伝統的アジア側とイスタンブールのギャップの中で、恋愛や人生が翻弄される。その舞台となるイスタンブールは深く長い複雑な歴史の上に成り立つ魅力的な都市で、日本の高度成長からバブル期とほぼ軌を一にするにするような感じで拡大開発されていって。おおよそ、そういう小説世界がパムクの小説なのだが、それを女性視点で描くと、どんなことになるのかしら。そういう興味で続けて読んでみた。
読む前は、作者の経歴(トルコ人の両親のもとにフランスで生まれ、とか「国際関係の博士、ジェンダー・女性学の修士号を持ち」とか)からして、西欧的フェミニズムとかポリコレ的視点で、トルコの社会の矛盾を批判するような小説なんじゃあないか、それってどうなのよ、というような不安と言うか、ちょっと斜に構えて読み始めたのだが。
たしかに、そういう批判的な視点はある。主人公女性だけではなくて、その友人にはアフリカからの移民とか、イラク国境あたりの複雑な民族宗教事情の出身とか、トランスジェンダーとか、いろいろな差別される側の人物が登場するのだが。しかし、そういうことも含めて、登場する人物が魅力的でいきいきとしていて。不安や懸念が、当たっていなかったわけではないけれど、それを上回る魅力のある小説でした。政治的批判もあるが、それも含めてだが、シンプルな愛が強い。そういう印象。Amazon紹介で西加奈子さんが感想を書いているが、なるほど、そうだよな、というかんじです。
小説全体の構成は、三部に分かれていて、第一部は「死後10分38秒は脳が活動していて、その間、人生を振り返る」という、その主人公の人生の振り返りなのだが、第二部、第三部は、そこで登場する友人五人が、主人公の死に対して・・・・という、思わぬ展開をしていく。
ちょいと話は変わるが、パムクの『僕の違和感』も、この小説も、「イスタンブールという都市、その近現代史を描く」という側面が強くあり、これだけ「都市そのものを書きたくなる」という気持ちを小説家に起こさせる、イスタンブールという都市には、出不精引きこもりの私としても、興味は湧く。この一か月以上、小説の中でイスタンブールの街の中を、その周辺をあっちこっちと行ったり来たりしていた。Googleマップのストリートビューで、イスタンブールの中を歩き回りながら、読んだのでした。頭の中は半分、イスタンブールにいたのでした。