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『同志少女よ、敵を撃て 』逢坂 冬馬 (著) 先行するふたつのベストセラー『戦争は女の顔をしていない』(ノーベル文学賞→マンガ化)×『独ソ戦』(岩波新書)の要素を、完成度の高いフィクション、エンターテイメント小説に昇華している。エンタメだが、考えさせる。

『同志少女よ、敵を撃て 』単行本 – 2021/11/17 逢坂 冬馬 (著)

Amazon内容紹介

「第166回直木賞候補作 史上初、選考委員全員が5点満点をつけた、第11回アガサ・クリスティー賞大賞受賞作 独ソ戦が激化する1942年、モスクワ近郊の農村に暮らす少女セラフィマの日常は、突如として奪われた。急襲したドイツ軍によって、母親のエカチェリーナほか村人たちが惨殺されたのだ。自らも射殺される寸前、セラフィマは赤軍の女性兵士イリーナに救われる。「戦いたいか、死にたいか」――そう問われた彼女は、イリーナが教官を務める訓練学校で一流の狙撃兵になることを決意する。母を撃ったドイツ人狙撃手と、母の遺体を焼き払ったイリーナに復讐するために。同じ境遇で家族を喪い、戦うことを選んだ女性狙撃兵たちとともに訓練を重ねたセラフィマは、やがて独ソ戦の決定的な転換点となるスターリングラードの前線へと向かう。おびただしい死の果てに、彼女が目にした“真の敵"とは?」

ここから僕の感想

 この前の佐藤健志氏の本に続いて、装丁が???な本を、原は今年の年明けは連続して読んでいるなあ、と思われるかもしれない。しかし、タイトルと装丁で侮ってはいけない。

 こちらの装丁が、このようなマンガタッチイラストになっている理由は分かりやすい。この小説が書かれた背景には、おそらくは、ノーベル文学賞を受賞したスヴェトラーナ・アリクシエーヴィッチの『戦争は女の顔をしていない』が、一昨年あたりから、日本で、マンガ化されて大ヒット、というのがある。僕はマンガは読んでいなくて、小説というかルポというか、もともとの文学作品の方しか読んでいない、感想文は前に書いているが。第二次大戦で、ソ連だけが、女性を兵士として従軍させた。それも従軍看護師とか衛生兵とか、そういう「女性が戦場に」というと想像するようなのとは全然違う、この主人公の狙撃兵もいれば、工兵だの歩兵だの、男性と同じ兵科の兵士として志願従軍した。彼女たちへのインタビュールポが『戦争は女の顔をしていない』で、従軍、戦闘の体験から、戦後受けた差別や避難誹謗中傷までが語られている。この小説で、主人公の教師である元・狙撃兵の、その親友として出てくる309人射殺の狙撃戦果をあげたリュドミラ・パヴリチェンコは実在の人物だし、女性狙撃兵の養成学校があったのも事実である。日本では『戦争は女の顔をしていない』はマンガとして大ヒットしたので、その読者層に向けて「関係ある小説だよ」と装丁で分からせるために、マンガ風装丁になっているのであろう。

 この本と関係が深い、先行するベストセラーがもう一冊あって、岩波新書で異例のベストセラーとなった『独ソ戦 絶滅戦争の惨禍』大木毅著、これも以前に読んだが、ドイツがソ連に攻め入っていったときも反対にソ連がベルリンに向けて反攻した際も、途中の村は住民皆殺し、ひどい性暴力があったこと、スターリングラード攻防戦は60万人の市民がいたのが、戦闘が終わった後の生き残りは9000人という、第二次大戦最大の激戦だったことなど、こうした事実は『独ソ戦』に詳しい。

 『戦争は女の顔をしていない』の女性狙撃兵がものすごい戦果を挙げたが犠牲も多かったこと×『独ソ戦』の、スターリングラードの激戦や、独ソの間にあった地域の村落が虐殺皆殺しと性暴力の被害に往復で犠牲になったこと。このふたつの要素を組み合わせ、さらに様々な参考書籍文献で詳しく勉強しながら、エンターテイメント小説として仕上げたのが、この小説の成り立ちの事情なのではないか。本当の前後関係因果関係は分からないが。

 ちょいと話はずれるが、昨年暮れ、サンテグジュペリの評伝小説『最終飛行』佐藤賢一 著 というのを読みかけて挫折した。日本人がサンテグジュペリの評伝小説を書く、その挑戦はどんなだろう、と読み始めたが、冒頭数十ページ読んだだけで、会話の不自然さ、「ほんとにこんなふうだったのかよ」という感じがして、挫折してしまった。もっと読み進めば面白かったのかもしれないが、なんか、無理だった。

 翻訳小説では感じないけれど、日本人が、外国を舞台に、しかも歴史的事実に素材、舞台を設定して、登場人物・外国人だけの小説を書くときに感じる「本当かよ、その国のその時代の人は、本当にそんな風に感じたり話したりしたのかよ」という疑問・違和感というのは、ある限度を超えると、読むに堪えない感じがしてくる。


 これに類することは文学だけでなくてもある。昨日始まった大河ドラマ、『鎌倉殿の13人』三谷幸喜脚本に対し、会話が極めて現代的日本語で、典型的な「時代劇言葉」でなく、「首ちょんば」とか「ぞっこん」とかかなり柔らかめのセリフがあって、ツイッターではそれを批判する人がけっこういた。しかし、まあ、ほんとうのことを言えば、どれほど「時代劇ぽいセリフ」にしたところで、それも当時の言葉とは全然違うわけで、それを上回る面白さがあれば、別に気にならなかったりするのである。三谷大河ドラマに関しては、僕は全く気にならない。他にも例えば小説なら、北方健三の『水滸伝』と『三国志』なんかも、まったく気にせず読めてしまう。

 国や時代が全然違うのを、現代日本人が書いているのに、読めてしまう小説と、「これは無理」となる小説の境目はどこにあるのだろう、と考える。

 よく考えてみれば、現代のアメリカ人のストーナーが『アウグスティヌス』を書くのも、現代のアイルランド人のジョン・バンヴィルが『コペルニクス博士』や『ケプラーの憂鬱』で、中世からルネサンスに移る時期の欧州大陸の話を書くのも、時代も言語も全く違うものをフィクションとして書いているのだから、同じことなわけだが。

 知らない国、知らない時代の歴史的事実・実在の人物に、虚構を織り交ぜて小説を作るということ。「なぜ、そのような困難に人は挑戦するのだろう」ということと、「それを楽しめてしまうというのはどういうことだろう」ということを、考えながら、この小説は読んだ。

 この小説についていうと、ちゃんと楽しめた。面白かったし、考えさせる点も多かった。さらにいうと、『独ソ戦』でやや退屈に感じてちゃんと頭に入って来なかった、スターリングラード攻防戦の経緯や市街・戦場の様子については、この小説で初めて頭に入ってきたりもした。

 Amazonのレヴューを読んだりしても、戦争マニアみたいな人が「日本人が、独ソ戦について書く」ことの意味やリアリティに文句をつけている人もいるのだが、しかし、そういうことを越えて、いくつかの点で優れた小説だった。

 戦争で兵士が敵を殺すということの、兵士個人にとっての意味。というか「戦う」という選択をする以上、それは「敵を殺す」ということになるわけで、狙撃兵というのは、その性質として、敵を殺すという体験を、きわめて明確に個人の行為として向き合うことになる。研ぎ澄まされた形で問いが提示される。昨年、嵐の櫻井翔くんが、真珠湾攻撃の雷撃機の搭乗員だった方へのインタビューで「米兵を殺した」という意識はあったのかと質問して炎上した事件があったが、「祖国防衛」という大義と「家族を守る」とか「家族の仇を取る」という個人的動機目的と「敵兵を殺す」という行為の間のつながりを、主人公やその仲間たちは、この小説の中で何度も何度も何度も、さまざまな形で問われ、考える。娯楽小説の形はとっているが、その問いの深さは、本物の文学としての深さを持つ。知っていると思うが、ソ連は先の大戦で最も多くの戦死者を出した国である。人口1億数千万の国で、2千万人が死んでいる。そして、ナチスドイツは、スラブ民族を劣等民族として、せん滅または奴隷化することを宣言していたわけで、開戦後はもう、外交的交渉妥協はありえない状態での戦争だったのだから。そういう戦争で「敵を一人でも多く殺す」ということの意味は、兵士個人にどのように突き付けられるのか。兵士をどのように変化させるのか。

 もうひとつは、フェミニズム小説としてというか、戦時性暴力の様々な面について、この小説は向き合おうとしている。それを振るう男性側の論理も、女性、それは女性兵士だけではなく、敵占領下におかれた女性も含め、様々な視点がよく考えて書きこまれていると思う。ソ連、ドイツ、両方が加害者であり被害者でもあり、それをソ連の女性兵士の視点で描くことで、今までにない光の当て方がされている。娯楽小説の枠内ではあるが、このデリケートな問題に、作者がどう考え、物語の中にどう織り込むかと格闘したことが読み取れるし、そのことが物語を大きく動かす力になっている。

 もちろん、エンターテイメント小説として、登場人物は分かりやすいキャラクターが、初めは割り振られているし、それぞれの運命も、「そろそろこの人、このあたりで死んじゃうかなあ」という予想は、半分くらい当たり、半分くらいは予想が外れる。ご都合主義とまでは言わないが、戦争映画や戦争小説の常として、筋を盛り上げるために、人が死んでいくのである。しかし、小説後半まで生き延びたキャラクターたちは、小説が進むにつれて、主人公だけでなく、様々な脇役たちも、次第に人格の複雑さを増していき、最後まで読み通すと、初めに感じた「マンガのキャラみたいに分かりやすすぎ」などという批判は当たらない。それぞれが人間としての厚みをもって存在するようになっている。

 『戦争は女の顔をしてない』や『独ソ戦』を読んだ人は、これも読んでみて損はないと思う。フィクションとしての小説のほうが、より生々しく何かを伝えることもあるのである。​​


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