『エレンディラ』ガブリエル ガルシア=マルケス (著), 鼓 直 , 木村 栄一 (訳)。来年予定の『百年の孤独』文庫化の前に、ガルシア・マルケスに慣れておくには、これがいいかも。短編集だし薄いし文庫だし、しかも面白い。
『エレンディラ』
(ちくま文庫) 文庫 – 1988/12/1
ガブリエル ガルシア=マルケス (著), 鼓 直 (翻訳), 木村 栄一 (翻訳)
Amazon内容紹介~本の帯
ここから僕の感想
この前、ツイッターで『百年の孤独』がついに文庫化されるというニュースがトレンド入りしたときに、皆それぞれガルシア・マルケスへの思いをツイートしていたのだが、その中に「でも、僕は『エレンディラ』が好き」というようなツイートがあった。え、読んでないじゃん知らないじゃん、ということでAmazonで見てみたら、ちくま文庫の薄い短編集だったので、さっそく買って読んでみた。
本の帯に「『百年の孤独』と『族長の秋』にはさまれて生まれた」とあるだけのことはある、代表作二作の間に書かれただけあって、「これぞガルシア・マルケス」な、マジック・リアリズムと、わけのわからないユーモアにあふれたお話たちである。先日感想文を書いた『悪い時』が、まだ小説スタイルをいろいろ模索していた時期の、混とんとしているし、あんまりユーモアもないし、不思議で幻想的なことも起きない小説だったのと比べると(だから、けっこう肩透かし感というか、え、全然、聞いていたのと違う感がある)、この短編集は、「これだこれだ」感がある。しかも、薄いし短編集だし、「ガルシア・マルケスってどんな?」を知るにはなかなか良いかもしれない。いきなり文庫化される『百年の孤独』に突撃する前に、こっちがお勧めかも。
前半6篇は「大人のための残酷な童話」として書かれた連作なんだそうだ。ごく短い、たしかに不思議な童話のようなお話。そして、最後に正式タイトルは「無垢なエレンディラと無情な祖母の信じがたい悲惨の物語」という中編がついている。
訳者、木村榮一氏が訳者あとがきで、マルケスはじめ南米の小説家のマジック・リアリズム、幻想的、非現実と現実の境目が定かでないエピソードは、実は日本人には想像もつかないけれど南米の人にとっては現実にもとづいた描写である場合がままある、というようなことを書いている。
実は『族長の秋』の感想文を書いたときに、主人公独裁者の常軌を逸した蛮行の数々が、日本人が読むと「荒唐無稽なマジックリアリズムめいたもの」に思えるが、南米独裁者のやってきたことの中には、本当にこういうとてつもない残酷で大量の殺人がある、ということを書いた覚えがある。
自然現象にしても独裁者の蛮行にしても、強烈な現実が文学表現に転換され、人の心の中の神話的原型に響き残るようになる仕組み全体が「マジック・リアリズム」ということなのであろうというようなことが、木村氏解説からも分かるのである。
本の帯でもわさわざ「時に哄笑をそさう」と書きたくなるこの感じが、ガルシア・マルケスのいちばんいいところ、好きなとこなんだよなあ。死とか殺人とかひどい暴力とか、たいてい、いや例外なくそういうものが扱われているのだが、そうだからこそ、こういう風に語るのである。
ときどき、ところどころ、詩的にとても美しく、ひどく暴力的で残酷で、そして、たいてい声を出して笑ってしまうのを我慢できないほど面白い。
前にも書いたけれど、日本の表現者でこの感じが出せるのは、宮藤官九郎氏のテレビドラマだと思うのだよなあ。純文学なのに、外国の文学なのに、「クドカンのテレビドラマくらい面白い」というのが、僕のガルシア・マルケス大好きな理由なのである。そういえば、いちばんはじめの「大きな翼のある、ひどく年取った男」、ある日、貧しい家族のきったない泥だらけの庭に、汚い翼の生えた老人が倒れていたところから始まる小説なのだが。ちょっと引用
この老人、俳優としての宮藤官九郎に演じてほしいなあ。特殊メイクして。すごく似合うと思う。