『迷宮の将軍』ガブリエル ガルシア=マルケス (著)木村榮一 (訳) ちょうどコパ・アメリカの期間に読んだので、「南米ってなんでたくさんの国に分かれているのかな」ということを改めて考えた。
『迷宮の将軍』
ガブリエル ガルシア=マルケス (著) 木村 榮一 (翻訳)
Amazon内容紹介が無い!ので本の帯
ここから僕の感想
ガルシア・マルケスの長編小説でまだ読んでないの、最後の一冊(かなあと思う、短篇はまだずいぶん読んでいない)を、この機会に(『百年の孤独』文庫本で話題のこの時期に)読んでしまおうと、手に取った。
いや、この機会にっていうのが、どっちかというとサッカーのコパ・アメリカ2024南米選手権の機会に、というほうが強いかな。
この本は、帯の文章通り、南米をスペイン支配から解放した英雄シモン・ボリバルの人生最後の数か月を描いたもの。全く「マジック・リアリズム」ではない、膨大な資料にあたって書かれた、しごく真面目な小説でありました。
はじめにも書いた通り、この本を読んでいた時期、サッカーの南米選手権コパ・アメリカ2024が開催されていて、アルゼンチンとコロンビアの決勝戦、アルゼンチンの勝利となったわけですが。
その他の国で目立った活躍をしたのが、南米のなかではサッカーがあんまり強くないと思われていたベネズエラ(野球のほうが強いイメージある)。グループリーグでエクアドルとメキシコとジャマイカに勝って三戦全勝で決勝トーナメントに上がった。決勝トーナメントではカナダにPK戦で負けちゃったけど、公式記録的にはPK戦は「引き分け」だから、無敗で大会を終えたわけだ。
それからね、パナマも大健闘で、アメリカとボリビアに勝ってベスト8に残った。パナマ運河があるだけ、みたいな小国が、アメリカ合衆国をやっつけてしまって、開催国アメリカ合衆国は決勝トーナメントに進めず面目丸つぶれ。歴史的因縁の深いパナマとアメリカ、なかなか面白かったのである。
もちろん準優勝のコロンビアも素晴らしい戦いで、大会を通じて(大会は南米選手権なのに、USA、アメリカ合衆国開催で、カナダやメキシコや中米諸国も参加して行われたのだが)、コロンビア人サポーターがものすごい数、押し寄せて、コロンビアの試合はスタジアムは黄色いユニフォーム着たコロンビアサポーターで満員。いちばん客が入っていた。決勝戦はチケットも持たないコロンビアサポーターが大量に来ちゃって、なんとか入ろう、なんとかなるだろうと入場口に押しかけて混乱したために、開始が2時間近く遅れた。
さてね、このコロンビアとベネズエラとパナマ、これにエクアドルまで加えて、(正確に言うと微妙にいろいろ複雑で違うというかもうちょっと広いガイアナとかブラジル・ペルーの一部迄含むのだが、おおまかに言うと)、スペインの植民地(正確には副王領)の時代にはヌエバ・グラナダ副王領であり、シモン・ボリバルが解放したとき(1819年)からこの小説のボリバールが死ぬ直後くらいまで(1831年まで)「大コロンビア」コロンビア共和国としてひとつの国だったんだな。
ガルシア・マルケスはコロンビア人だが、シモン・ボリバルは隣国、ベネズエラのカラカスの人である。ベネズエラの支配層の大金持ちの息子である。
シモン・ボリバルは南米全体(ポルトガル植民地だったブラジルは別にして)、スペインに支配されていた南米から中米、メキシコまでをひとつの国として独立させよう、少なくとも南米スペイン領だったところはそうしようという理想野望を求めた人だったのだな。
南米各国成立の歴史とシモン・ボリバールの生涯のざっとおさらい。
小説の話からズレるが、というか小説を理解するのに、(南米の人には常識なのであえて全然語られないのだが)、南米がスペイン支配からの独立し、その後今のような国に分かれた経緯を調べながら読んだので、なんとなくまとめておこう。
だってね、よく考えると、どうして南米のスペイン語の国って別の国に分かれてるんだろうって、よく分からないじゃんね、支配層はみんなもともとのスペイン支配時代に送られてきたスペイン人の子孫なわけだし。原住民先住民の独立運動なわけじゃなくて、スペイン人の子孫で南米で生まれたスペイン系の支配層が、本国スペインに反旗を翻してから独立したっていう国々なわけだから。
北米大陸アメリカ合衆国なんて、州によってどこの植民地だったかも(イギリス、フランス、スペイン、いろいろである)、独立した時期も違う、そういういろんな州が合わさって今、ひとつの「アメリカ合衆国」を作っているわけでしょ。それと較べるとメキシコ以南の中南米諸国、一部例外を除けば、スペイン植民地でスペインから独立して、原住民との混血がたくさんいて、黒人奴隷子孫もたくさんいて、その混血がたくさんいるけれど、多くの国では支配層はスペイン人子孫、という国なわけだから、USA諸州と較べても同質性が高いはず。その地域が、別々のたくさんの国に分かれちゃっているのはいったいどういう歴史的経緯があるのかしら。実は全然知らないのである、私。アメリカ合衆国がひとつの国になっていることを考えると、シモン・ボリバールの「ぜんぶ一つの国として統合したい」というのは、あながち変な野望ではないと思うのだよな。北アメリカがカナダ(例外的)とアメリカ合衆国になっているのだから、それに対して、南米大陸がブラジル(例外的)と「ボリバルの考える統一国家・大大コロンビア(名前はともかく)」となっていたとしても、別におかしくはないじゃんね。
時代は下って20世紀の、チェゲバラなんてアルゼンチン人の金持ち医者の息子で、南米中をこれまた資本主義から解放しようとしてアルゼンチンからどんどん北上して、キューバまでいって、それからボリビアに戻って死んだんだから、やっぱり「ラテンアメリカをまたにかけて解放して統一」という夢を抱かせやすい大陸なんだろうなあと思うのである。しかし、夢は抱かせやすくても、バラバラになりやすい、それぞれの地域の有力者がそれぞれに国として分裂したいという、そういう特性もあるようなのである。
16世紀以降、スペインは、南米を3つの副王領に分けて統治したんだが、ペルー副王領というのが、いちばん古くていちばん価値があるとされていて、スペイン南米統治の中心だったのだな。そもそもそこにインカ帝国があって、銀山があったので。そこから18世紀に今のベネズエラ、コロンビア、パナマ、エクアドルあたりのヌエバ・グラナダ副王領、そのあと、今のアルゼンチン、チリ、ボリビア、ウルグアイ、パラグアイのあたりのデ・ラ・プラタ副王領が分かれたわけだ。
スペイン人は初めカリブ海から南米大陸に入っていったから、まずベネズエラにはいり、次にコロンビアに植民都市を築いたのだな。今のペルー、インカ帝国があったあたりは太平洋に面していたから、そこを征服しに行くには、パナマのあたりで陸路いったん太平洋側までいってそこに拠点を作って、それから船を送らなければならなかったんだな。
つまり①スペインの南米拠点中心はペルーだった。②しかし、はじめに開けたのはベネズエラからコロンビアだった。③アルゼンチンなんかはいちばん後、僻地だったのである。アルゼンチンはブエノスアイレス、大西洋の港町から開けたと普通思っちゃうけれど、なんと、ペルー側、北西側から開拓開発が進んだんだそうだ。それくらいアルゼンチンは僻地だったんだな。
ちなみにブラジルはこのお話とは全然関係ないんだな。ポルトガルのものだったから。南米の中でブラジルだけかなり仲間外れなのである。
なんとなく、南米の「各国序列」イメージと違うでしょ。たしかにブラジルは人口は圧倒的に多いんだけど。
さて、話は戻って、19世紀初め、欧州でナポレオンが自分の兄をスペイン王に無理やりして、それに反発したスペイン人が反乱を起こすという戦争が起きる。それをきっかけに南米でもスペインからの独立戦争が、ふたつの「僻地」から起きるのだな。
ひとつは、いちばんヨーロッパには近いけれどいちばん端っこ扱いのベネズエラで起きる。金持ちドラ息子として欧州に遊学したり、そこで見つけた奥さんと帰国してたりしたシモン・ボリバール、農園で引きこもった暮らしをしていたのだが、奥さんが死んじゃって、それから独立戦争に身を投じ、あれよあれよと英雄、将軍となって独立させた国の大統領にいろいろなって、大コロンビアの初代大統領も当然ボリバルなわけだ。
同じころ、反対側の端っことされていたアルゼンチンでもサン=マルティンという英雄が独立戦争を始めたというか、ボリバルと同じように始まった独立戦争の中で頭角を現して英雄になっていく。ボリバルは南米大陸の北東端っこから左回り反時計回りにペルーを目指し、ボリビア、コロンビア、エクアドル、ペルーと進む。サン=マルティンは南米大陸南東からチリ、ペルーと右下から時計回りに進む。
この二人の英雄が今のエクアドルの大都市、クアヤキルで1822年に会うのだな。でも会っただけで、意見も合わなかったので、すぐにまた分かれるんだけど。王政を考えていたサン=マルティンと、共和制を考えていたシモン・ボリバール、喧嘩もしなかったようなのだな。
スペイン側の抵抗もあって紆余曲折もあるし、ウルグアイ、パラグアイはブラジルも攻めてきてすったもんだあるんだけれど、1820年くらいに、二人の英雄の大活躍で、南米各地はスペインからの独立を果たす。
ボリバルは旧スペイン領の中南米全地域をひとつの国にするという構想野望を持っていたのだが、現実にはそれぞれ地域ごとに国として独立しちゃうし。
そうこうするうちに、足元地元の大コロンビアでも、ベネズエラは独立しようとするし、コロンビア出身のライバル、サンタンデールは、ボリバールを暗殺しようとしたり、追放する陰謀をさまざま仕掛けてくる。南米統一どころか、大コロンビアさえボロボロと分裂していくのである。
そんなこんなで、周囲に独立の戦争を戦った支持者、部下の多くの将兵もいるのだが、愛する女性もいるのだが、シモン・ボリバールは大統領を辞して、高地にある首都、ボゴダから、カリブ海まで、大河マグダレナ川を下り、欧州に去ることを決意する。その旅の途中で、死んじゃうわけだな。47歳。
28歳で独立戦争に身を投じて、ベネズエラ、コロンビアあたりを解放して36歳で大コロンビアを建国、大統領になる。あっという間だな。そこからペルーも開放しボリビアを建国し、南米全体の解放を完成させるのが42歳くらいか。
しかしそこから病気にもなるし各地は独立しようとするしで、相変わらず、大コロンビアでもペルーでも「大統領ずっとやって」という声と、ボリバルを引きずりおろそう、あるいは暗殺しよう、そういう動きが繰り返しいろいろと起きる。かつての解放戦争の英雄たちも、ボリバルを支持する人と、反対する人に分かれてしまう。
ここから小説の感想
という、ものすごい勢いで理想のために突っ走って、しかも一瞬、それはすごい速さで実現しそうになり、そして、それがもろくもボロボロと崩れて行って、失意のうちに、ボコダを去り、川を下っていくボリバル。その姿を膨大な資料にあたりつつ、そこはガルシア・マルケス、大作家の想像力でその姿と気持ちを克明に描いていくのである。
南米を一つの国にするという夢が破れたと分かっていても、周囲にはまだ自分を支持してもう一度、戦おうとしてくれる部下たち将軍もいる。その失意と希望がいったりきたりすることと。
健康・病気のこと、お金のこと、借金や最後の頼りにしている鉱山のこと。愛した女性のこと。そういう心配懸念雑念が繰り返し繰り返し描かれる。だんだん深刻化していく病状。最後にやはりもう一度戦争を始めようという計画。なんだけれど、兵士たちには淋病が蔓延していてそれどころではない。みたいな、もうトホホな些事悩みに囲まれていることが淡々と描かれていくのだな。
人生の終わりというものの残酷な姿。
英雄であっても、こんなふうに、すでに自分のいちばん良い時間は終わってしまっていることは分かっていても、それを受け入れているかのようで、しかしまた希望の残り火がときどき燃え上がる。燃え上がっても長続きもしないし、すでにうまくことは運ばないのである。
死を前にした人には、未来はほとんどなくて、思い出が圧倒的に多いから、何をしてもどこに行っても、いろいろ思い出がよみがえってしまう。
人前ではかつての将軍らしく振舞えるときと、それができないときが入り混じる。その悲しみ。
なんかなあ、人間はどんなふうに死に向かうのか。死に向かう段階に入った人は何が出来て何ができないのか。そういうことが、淡々と描かれていくのだよな。英雄だから、栄光の光が強いから、そのコントラストが余計に際立つのだよな。
南米、コロンビアとお隣のベネズエラ、コロンビアのカリブ海沿岸というガルシア・マルケスの故郷の歴史と人と風土、その中での死に向かう人のありよう。英雄なんだけど、死に向かう人なんだよな。
いろいろ考えながら読みました。としか言いようがない読書であった。楽しいとか面白いとかではありません。「英雄」という歴史とか南米大陸とかというものと向き合ってそれを担って生きてきたスケールの人間が、『死に向かう人間」という存在になっていく(その極めて人間的な側面と、そうなってもしかしやはり偉大な英雄である側面とを)、緻密にしかし生々しく見事に描いた小説でした。
ガルシア・マルケス小説の感想文だけまとめたnote