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横浜市長選・田中康夫の選挙から「政党ブランド型」でも「ワンメッセージ型」でもない、「大切なことは全部伝える」という民主主義選挙の正しい形(とその限界)を考える。

山中33%小此木22%林13%田中康夫13%。

 政治というのは多数決、数の力であって、政党という徒党を組んで争うものだ、というのが常識化している。

 しかし、行政職のトップを直接選ぶ選挙の場合、本当は政党と無関係な個人として、(所属政党の政策に縛られず)信じる政策を全て掲げ、有権者の支持を獲得したことを背景に議会と向き合い、政策を、実現するための法律(国なら)や予算を議会に求めるのが三権分立の正しい姿ではないのか。

 議院多数与党代表が総理になる議院内閣制の日本や、大統領選挙とは二大政党が争うものだというアメリカ大統領選を見続けているから、「個人としての政策より所属政党」という、政党ブランドが候補者選びの一番目の手がかりになると考える人が多いが、首長選挙は本来、個人として掲げる政策と能力人格への評価で選ぶべきもので、それを政党が推薦したり公認したりする・後から乗っかるほうが原理的に正しいように私は思う。

 今回の横浜市長選で、田中康夫の政策が際立って具体的で優れていたのは、演説を聴いた人には明らかだった。田中は政党の支持を全く持たない、期待しない形で選挙を戦った。「優れている」は私の主観だが、「一人だけ別格に、細かく具体的」だったのは、聴いた人共通に受けた印象だった。メディアの記事や選挙に関する多くの人のツイートも、この点では一致している。

 演説を聞かないで投票先を決める人は、「どこの政党の公認か」で決めるか、ひとつふたつの主要論点に関する意見が自分に合っているかで決める。

 演説を聞かない人は田中康夫のことを「知名度頼りで縁もない横浜に乗り込んできたタレント候補」と見なしてバカにした。そういう声をツイッターでも見かけた。

 しかし田中康夫は、長くFM横浜で番組を持ち、横浜の問題点を、最も網羅的に細かく具体的に理解している候補者だった。演説を聴いた人はその事を理解した。

 一般に、政党の選挙戦略は「いかに争点を絞り単純化するか」である。世間の風向きに対して受けの良さそうな争点に絞り、自分に不利な、あるいは本当は重要だが受けの悪い政策は争点にしない。選挙時点では隠す。

 田中康夫は有権者に受ける受けないに関わらず重要な論点政策を全部演説で、いちいち細かく話した。だいたい50分になる。どこでも50分、演説をした。細かなデータの確認時だけメモを見て、あとは全部、頭に入っていた。聴衆も一度聞き始めると、思わず引き込まれて最後まで聴いてしまう人が多かった。

 私は広告屋で、広告は「ワンメッセージ」に絞るものだ、広告を見る聴く人は5秒も集中力が持たないのだ、ということを前提に仕事をしてきた。私はそのことに大いに不満だった。

 ある商品を選ぶことが、あなたの人生に、命に、健康に、重大な何かをもたらすならば、それを「5秒ワンメッセージ」で選んでいいはずがない。命を乗せている自動車も、やがて命に変わる食べ物も、ワンメッセージでえらぶべきものではない。商品の作り手も、誠実な企業であれば、多くの社員が、全精力を人生を捧げて商品を開発し売ろうとしているのである。

 クリエーターの多くが「広告はワンメッセージ」主義なのに対して、私は「広告はいくつかの重要な文脈を、漏らさず伝えること」、コンテクスト主義の戦略プランナーとして働いてきた。伝える内容と伝え方全体の作戦参謀である。

 原は話が長い。原の文章は長い。今でも広告業界の友人によく言われるが、私は大切なことを必要な分量、話したり書いているだけである。

 田中康夫は、他の候補が「ワンメッセージ広告型」もしくは「政党ブランドで選ばせるブランド型」で戦うのに対し、一人だけ「大切なことは時間をかけても全部きちんと伝える」文脈型の戦い方をした。

 政党という徒党に頼らないこと。ワンメッセージではなく大切なことは全部伝えること。そういう姿勢自体が、私は正しいと思う。

 政策の中身もいちばん田中康夫がよかったと思うのだが、それ以前の、「大事なことを、全部もれなく考えて伝えること。政党に頼るのではなく個人として戦うこと」という、首長選挙戦い方の根本において、田中康夫が圧倒的に優れていたと思うのである。

 世の中は、徒党集団主義、政党ブランド選択、ワンメッセージ広告選択で政治を考える人がいまだ多数派である。人間の集団的動物としての本能や情報処理能力の限界から、このことは永遠に変わらないのかもしれない。

 そんな中、民主主義とは、首長選挙とはどういうものなのか。田中康夫は、改めてそのことを、(演説を聴いた人には)気づかせる力があった。その田中康夫が得票率13%、前職の林氏に迫る得票をしたということ。しかし、政党ブランド型2候補には全く届かなかったこと。民主主義、選挙という制度の、希望と限界を見た。希望を見たのは久しぶりであった。そういう選挙だった。

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