見出し画像

気怠い煙に憧れて

なんとなく湿った空気に、夏の気配を感じる今日この頃ですが、少し季節外れな話をしようと思います。

私、どうも昔から「春」という季節が苦手なんですね。

少しずつ空気が重く、暖まっていくのが、どことなく苦しくて、不安になる。おまけに気候も安定しない。おそらくは、一年で一番体調が不安定な時期です。

新しい環境というものも苦手だし、身体は思うように動かないので、本当に精神的にも参ってしまう。毎年毎年、新年度なのに大丈夫か、となります。大人になっても変わりません。

そんな春という季節を、今年は少しは心を強く持って乗り越えられるんじゃないかな、と思えたのは、昨年「A3!」というコンテンツに出会えたから。

「イケメン役者育成ゲーム」なのですが、元々お芝居が好きなこともあり、顔は二の次、もう彼らの成長やお芝居に何度も泣かされています。
(いや嘘、顔もみんなめちゃくちゃ良いです。)

私がTwitterで「春組」とつぶやいていたら、それは十中八九、A3!の春組のことなんですけど、彼らの曲を聴いていると、ああ、今年はこの曲たちとこの季節を乗り越えていくのだろうな、と、まだ寒さがゆるみはじめたばかりの頃から思っていました。

まあ、実際コロナ禍の影響もあってか、昨年もなかなかに苦しんだ一年だったことと、そんな2020年度が終わろうとするとき、けじめをつけておこう、と、ひっそりとInstagramに投稿していた文章を引っ張り出してきました。
だからインスタに投稿する文量じゃないんだってば。

年度が変わって、いつの間にか春も過ぎ去って、そんな今だからこそ、あの春の鬱屈さと、霞がかった希望を忘れないように、ここにも残しておこうと思います。


まるで「春」という季節が嫌いかのような書き方をしてしまいまいたが、そこまででもありません。これもA3!のおかげかもしれない。

ちなみに、桜は散っていくときが一番好きです。

春の月も、なかなか好きですね。

一番好きな季節は初夏です。

結局どっちなんだか。

最後までお付き合いいただけたら嬉しいです。


以下の文章は、今年(2021年)三月末に書いた文章を加筆修正したものになります。あえて年月日に関する表記(年前、今日など)はそのままにしてあります。


誰も見ていないかもしれないけれど、言葉にしないと伝わらないな、と最近痛感していることと、自分へのけじめも含めて、ここ一年くらいのことを書いておこうと思います。



私はこの一年を棒に振ったような生活をしてしまったな、と思っています。


そう思うのは、休学する前年度(2017年度)以来。
あの時もそうだったけれど、「やらなきゃ」と思うことができなくて、「やりたい」と思うことに手をつけられなくて、ずっとずっともやもやしている状態で。

探せば探すほど答えは見つからないし、自分を見失っていく。


もう慣れたもので、自分の「異常さ」に気がつくことはできる。
でも、その対処がいつまでもうまくできない。

周りが先へ進めば進むほど、周りに「できる」と言われれば言われるほど、進めなくなるし、できなくなる。




そんな、とらわれていたものが、この一年は「書ける」という言葉だったと思います。




正直、大学に入るまで私は全然文章なんて書けない人間だ、と思っていました。

読書感想文や生活体験文、小論文、代表挨拶。
何度選んでもらっても、自分が納得できたことなんて一度もなかった。
いつも言われるがまま、やってきただけ。


「書ける」と思ったことなんてなかったのです。


学部一年の頃、必修の授業で、(匿名とはいえ)他の学生が書いた文章に触れる機会がありました。

そこで、文学部といえども、書ける人、書けない人、色々いることを知ったのです。


ああ、私はこの中では「書ける」方なのかもしれないな、と。

ほんの少し、自分の書く文章を信じようと思った瞬間でした。

それと似たような時期に、ある先生に見つけてもらって、言われるようになった言葉。

「えるさんは文章“書ける”んだから」。



そんなことを。



そんなことを言われるようになって、数年が経って。

その先生の師匠につくようになって、そこでもやっぱり、


「あなたは“書ける”んだから」。


同じことを言われるようになっただけ。


信じてもらえることは、うれしいことである反面、それ以上に、くりかえし、くりかえし言われるその言葉が、私の中で膨らんで、大きく重くなって、私を苦しめていく。


尊敬していればいるほど。

その人のためにと思えば思うほど。


私の心は、それに耐え切れるほど強くなんかなかった。



ずっとずっと、周りが思うほどできた人間じゃない、と思って。

何にも変われないまま。変わらないまま。


ああ、もう一年が終わってしまうんだな、と。

この感情は、散っていく桜を見ているときに近いような気がします。



同じ壁にぶつかるたびに、「周りの期待に応える必要はない」とか、「そんなに頑張らなくてもいいのに」とか、同じような言葉をかけられ、自分でも同じような言葉をかけて。

それでも変わらないのは、変われないのは、この言葉が私には合っていないのか……。


結局のところ、答えはわかりません。何もかも。

自分がこれからどんな道を歩んでいきたいのか。
どんな仕事につきたいのか。
どんな人と関わり合っていきたいのか。
どんな人やものを好きでいたいのか。

わからないまま、桜は今年も、いつのまにか咲いて、いつのまにか散っていく。

私が周りの期待に応えられないように。

自分を裏切るように。

大人になんか、なれてはいない。強気な自分はまるで偽物だ。




そんなこんなで、もう一年、学生を続けることにします。

まわり道は慣れっこです。
これも強がりかな。
本当はちょっとは気にするし何もできていない自分はだめだなあとつくづく思っているかもしれません。まわり道をしたぶん、それが意味のあることだと証明してみせなきゃ、みたいなさ。


どうか、このまわり道が、いいまわり道でありますように。


幸せを感じられることが幸せだ、と、もう一度心から思える日がきますように。


これからも、人の心のいたみがわかる人間であれますように。

よろしければ、サポートよろしくお願いいたします。