高校3年生の不完全燃焼が今の活力
このnoteは「ありたい自分を見つけるマガジン」の今月のテーマ #過去の自分に伝えたいこと について書いています。高校3年生の水泳部の夏の大会を終えた、19年前の僕へのメッセージです。
部活がすべてだった高校時代
ほとんどの人が高校2年生の夏で水泳部を引退して、3年生の夏は受験勉強に勤しむ人が多い中、僕は引退せずによく部活へ参加してた。
「彼の3倍練習する。そうしないと高校生のうちには到底彼に追いつけないよ。」とは、スラムダンクの安西先生の名言。
都大会へギリギリ参加できるかできないかくらいのレベルの僕にとって、大学へ進学した後に戦う場所なんてなく(そんなことはないということに後に気付いた)、近所の高校が集まって行う小さな水泳大会へ全力投球していた。
高校2年生の夏の大会が終わってからは、授業中に椅子に座った状態で、膝を伸ばして脚を上げ下げして腹筋を鍛えたり、机の左右の脚を内側から外側へ両腕で開く方向へ押して上腕三頭筋を鍛えたり。泳げる時間は限られているから、筋トレとイメージトレーニングに励んでいた。授業の何割が頭に入っていたのだろう、今思うと恐ろしい。スマホなんてない時代、筋トレの主な情報源は雑誌「ターザン」だった。
受験の天王山と言われる高校3年生の夏休みは、スイマーにとっても天王山。塾の夏期講習をこっそりサボって、高校のプールへ行くこともあったが、参加できたのは練習全体の三分の一もなかったと思う。タイムは少しずつ伸びたが、体力が高校2年生のレベルに戻らず、200m以上の種目が辛い。
そんなこんなで迎えた水泳大会。ベストタイムは出たものの、狙っていた記録には及ばず、不完全燃焼感が残る。他人の3倍練習する必要があると分かっていたのに、他人の3分の一も練習しなかったのだから、当然と言えば当然。
そして、その半年後の大学受験でもイマイチな結果となり、部活も勉強も中途半端だったことを後悔することになる。夏休みは部活に100%参加するべきだった、夏期講習なんて少しも行っている場合じゃなかったと。
だって、高校生の大会は、高校生のときにしか参加できないのだから。
腰痛発症、手術、そして現役復帰
特に目標もないまま、大学に入ってからも趣味で水泳を続けるものの、圧倒的な練習量の少なさで筋力が落ちて、僕の泳ぎのフォームに耐えられなかったのか、腰を痛めた。(今思えば、フォームが悪かっただけなのだが)
20歳の頃から整形外科へ牽引(腰を引っ張って、腰の骨と骨の間を広げてもらう)に通うようになり、その後ギックリ腰を経験してから加速度的に腰痛は悪化。26歳のときにはまっすぐ立つことも、まっすぐ座ることもできなくなり、腰椎の椎間板ヘルニア手術を受けるに至った。
手術後はすっきり快復したかというとそういうわけでもなく、日常生活に支障は出なくなったものの、泳いだ翌朝は腰が痛くなり、不安を覚える日々。
そんな腰痛となんとか付き合いながらも、高校時代の不完全燃焼がずっと心に引っかかっている状態。水泳で得た不完全燃焼は、水泳でしか解消できないのではないか。幸い、水泳というスポーツはタイムを争う競技なので、何歳になっても高校生の自分と勝負することができる。
そんな風に思いながら、恐る恐る32歳のときに現役スイマーへ復帰した。高校生のときには名前くらいしか知らなかったマスターズ水泳の舞台で、今はビリ争いではあるが奮闘している。当時は、二人以上のメンバーがいないと参加できなかったので、一緒に大会へ参加してくれると言ってくれただけでなく、仲間を集めてくれた友人には感謝している。(その後ルールが変わり、今は一人でも参加可能)
高校時代を振り返って
高校生の部活動で完全燃焼した人、完全燃焼したと思い込もうとしている人、不完全燃焼だった人、さまざまな人がいると思う。
あの頃は完全燃焼だけが正解と思っていたし、今でも完全燃焼したかったという気持ちがゼロというわけではない。
ただ、もしもあのとき完全燃焼していたら、今は泳いでいないだろう。だって、練習は辛いし、タイムはなかなか伸びないし、何十時間、何百時間と練習してもレースは数十秒で終わるし、コスパが悪すぎる。
今でも挑戦させてくれる気にさせてくれた高校の頃の不完全燃焼に今は感謝しているし、その後の腰痛で満足に泳げなかった14年間が、水泳が好きという気持ちを増幅させてくれた。今は、0.1秒でもタイムを縮めるべく挑戦できていることに幸せを感じている。
高校生の俺、完全燃焼だけがすべてじゃないぞ!
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