ミニチュア
10代の終わりごろ、私は醜形恐怖症に囚われていた。
そういう診断を受けたわけではないが、「醜形恐怖症」という字面からすると、おそらくそうだったのではないかと思う。
外出はなんとかできて電車にも乗ることができたが、それでも予備校のあった大阪の街にたどり着くことができずに途中で降りなければならなかったり、酷い腹痛に襲われて慌ててトイレを探さなければならなくなることが続いた。
また、当時は昭和の終わりごろで、人は今よりももっとずっと乱暴だった。バブル末期の街を人を恐れながら俯いて歩いていると酷い言葉を投げかけられることもあって、そのたびに自分の身体が冷たく凍り付いたようになるのを感じた。
理由はわからないが、店に入って一人で食事をすることがとりわけ困難だった。
予備校には食堂はない。なので、昼休みに街をこそこそと歩き回るだけで何も食べなかったり、できるだけ人のいない店に入ってまず目に入ったものを、小さな震える声で注文したりして誤魔化していた。ただ、当時は若かったし、私の声は高く、見た目も同じ年ごろの男性に比べるとずいぶんと幼かった。それもあってか、様子がおかしいことを気に留めた店の人、特に中年以上の人たちにはずいぶんと親切にしてもらったと思う。今だから思えることだけど。
私の場合、これはあくまでも想像だけど、醜形恐怖症には性別違和と解離が混じっていた。
当時、鏡を見ると、自分はもっと可愛いはずという、理解不能な感情が溢れて止まらなくなった。酷いときには、鏡の中の顔がどうしても自分の顔に見えずに、土気色でこちらを見つめる知らない人物の無表情の顔だけが、反転している向こう側の世界に感じられた。それなのに十分に可愛いと思えるときもあって、思えないときと思えるときとの違いは私にはわからなかった。第一、何故、可愛いと思わなければいけないのだろう?
それでも無理に外出して街にたどり着くと、駅から延びるアーケードの続く商店街がとてつもなく巨大に感じられた。
最近、大阪に行くことがあり、本当に久しぶりにその街に降りてみた。あの場所をきちんと見ておきたいという、まりの希望もあった。
すると、記憶にあるよりも街は古くなっていて、当時行ったことのある店はなくなっており、商店街を歩く人の年齢もずいぶんと高くなっているように思えた。
そして驚いたことに、商店街はものすごく「小さく」なっていた。
歩くのにあれだけ感じた距離が、壁のように感じられたアーケードが、今となっては、ほんのわずかな部分を占めるだけのものにしか感じられなかった。
私とまりにとってその街は、すっかりミニチュア化して、どこにでもある普通の街になっていた。
帰り際、喫茶店に入ってコーヒーを頼んだ。混んでいる店には、当時はいなかった外国のお客さんもいて、ラテン系と思われる女性に席を譲ってもらった。
席に座って行き交う電車を眺めた。
昼下がりの電車はどれも空いていて、ガラス越しにみえるその空席には、その頃の私の感情はもうどこにも残っていなかった。