過去の圧倒された記憶を塗り替える、自分で自分を癒す旅
インナーチャイルドワークを数年やってきた。
始めた当初は、インナーチャイルドって言葉自体うさんくさいと感じていたが、今は、ここがクリアできていないと何をしても依存か孤立コースに進むことを痛感している。
多分、過去の血が噴き出すような記憶やアラートがガンガン鳴り響く傷ついた記憶をコーティングして、今の自分が安全に取り出せるようにするということがメインの目的なんだと思う。
60万円くらいかけたインナーチャイルドワーク専門のコーチに、「もうだいぶ乗り越えています」と、30万くらいかけたカウンセラーたちにも、「だいぶ整理ができてきている」と言ってもらえている。
しかし、まだその土地に降り立った時の嫌な感じがある場所がいくつもある。それはつまり、記憶が圧倒されたままになっているということだ。
最後の仕上げとして、その土地の最後の記憶を「当時の自分が怯えている記憶」ではなく、「今の自分が当時をとらえなおしている記憶」に塗り替えに、私が過去過ごしたいくつかの街へ行くことにした。
翻弄されまくって、ボクサーのように立ち上がり続けて、勝利はおさめたけれど身体も心もボロボロになってしまった私が、今やるべきことなんだと思う。
◇1歳~6歳を過ごした街へ
・当時の私の目に映ったもの、記憶されているものは幼児の視点、幼児の理解力で記憶されているから、すごく限定的で、幼児の認知の限界を感じた。
・ポジティブを植え付ける習慣が親になかったので、私の恐ろしい記憶が増幅され、楽しかった記憶は風化してしまいやすい。マイナスのイメージが8割になってしまっていたことがわかった。
・母が一生懸命子育てをしていたことを感じた。
・母も父も、親の置かれた環境が、難易度が高すぎたということを改めて感じた。
・幼児の頃の街訪問は、当時を知っている大人と一緒に行くとよい
◇大学時代を過ごした街へ
NZへ留学では、自分の周りの人がポジティブで埋め尽くされていたので、グッドバイブスを浴び続けることができた。結果、自分軸で人生を生きてくことを決めることができた。大学進学を決め、費用をため、受験をし、入学した。ここまで、私はそれまでの人生で一番努力したし、踏ん張った。目標を決め、確実に勝ち取った。めちゃくちゃよく頑張ったって話。
NZでグッドバイブスを浴びて充電されたけど、日本に帰ってきてバッドバイブスを浴びつつ、インナーチャイルドが癒えていないしで、自分の置かれた環境の不安定さに耐えられず、依存先を探した。
私は思春期から30代半ばまで恋愛にどっぷり依存した。「親からもらいたかった無条件の愛情を、パートナーからもらいたい」という不可能なことを心の底から求めていた。
「砂漠でのどがカラカラだから、水が見えたら手あたり次第飲む」
そういう感じ。私がそんな状態だから、人権意識が低く支配欲の強い男性に計画的に妊娠させられてしまった。
当時の私がおかれた状況では、産まない選択や、産んでも愛情を注げないということがあってもおかしくなかった。ただ、ここは本当にらっきーというかなんというか、私の本能が新しい命を喜んでいて、私は「育てたい」と思った。毒親育ちで自尊心なんて欠片もない私が、自尊心のある子を育てたいという大きな目標を掲げ、それを実践するために、大学では貪欲に学んだ。
私の大学時代は、
・親から得られなかった愛情をパートナーに求めては傷つきということを繰り返していた。うまくいかないと自分のアイデンティティがゆらぐくらい恋愛への依存が深すぎた。
・子どもの誕生により、無条件に他者(子ども)から愛されるという人生初の経験がさせてもらえた。(これが子どもへの依存のはじまり…)
・人権意識が低く支配欲の強いパートナーは私の未来を奪うと思い、早々に距離をとった。
・支配欲や依存心の強い男性の執着が底なしだということを経験した。
・私には法律婚が合わないことがはっきりした。
・自信がないがゆえに、学歴、学業、教授への依存を深めた。むさぼるように学んだから、教授からは評価された。そこにまた依存していく…
自分の足で全く立てていなかったので、何をしても不安、トラブルばかり。大学時代が辛い記憶で埋め尽くされてしまったのは、私の幼少期の傷が癒えていなかったからなんだなぁ。
◇ワンオペ孤独鬱育児時代を過ごした街へ←今ここ
毒親育ちで、子どもの泣き声でフラッシュバックが起きる私は、育児で大苦戦をした。妊娠して間もなく鬱、産後すぐも涙が止まらない、不安で押しつぶされそうになる…
子どもをもちたいと考えたこともなかったので、鬱も深くなるわけだ。
鬱のまま、パートナーが赴任した地域のURへ引っ越した。私の母に対するライバル心は非常に強く、母を越えなければという一心で私は頑張っていた。
料理も家事も初心者で車の運転もできない。赤ちゃんのいる生活。
鬱真っ盛りで記憶があまりない。
この町へ行ってきて感じたのは
・私が行政の助けを求められずに孤立していたこと
・私の行動範囲が自宅から半径20分以内だったこと
・鬱が深まって苦しい記憶がたくさんあること
・ここの苦しい記憶についてはカウンセリングで扱ってもらってないこと
・子どもの泣き声などでフラッシュバックに苦しんでいたこと
・トラウマ反応が強く出ていて、実の親に頼れなかったこと
・ここがある意味人生の底だったこと
・助けてくれた人がいたこと、その人に感謝をつたえようとおもったこと
・苦しすぎたこと
◇小学2年~5年を過ごした街
◇小学5年~高校2を過ごした街
◇教員として働き始めた街