秩序の基層にあって語りえぬもの(保守主義者としての後期ウィトゲンシュタイン入門?)


0.問題提起


社会は法律をはじめ様々な制度によって成り立っている。しかし、それらの制度が機能することを可能ならしめているのは果たして何だろうか?他の制度あるいは規則に訴えて特定の制度の効力を説明する場合、効力を正当化するはずの他の制度あるいは規則の効力が再び問題となるため無限後退に陥る。一方で、制度の効力を権力や暴力といった何らかの「力」によって説明する場合、制度は私たちが従う「べき」ものではなくなってしまう。つまり、制度が単なる力による強制であるとすれば、それは「大盗の脅迫」と変わらなくなり、その規範性、つまり、私たちが実際に従うかは別として制度が「それに従わなければならない」という含意を持つこと、を上手く説明できなくなる。

このように見ていくと私たちが必要としているのは、「制度が規範性を持つものとして機能するための条件」だとわかる。この条件、即ち、制度(秩序)の基層にあってそれを可能ならしめるものとは何だろうか?


1.保守主義の哲学者たち

規範の源泉に関する議論には二つの筋道がある。一方は、規範を目的として人為的に設定するもの、他方は規範を自然的なものとして発見するもの、である。後者の議論は近代以降、方法二元論が支配的になることで受け入れられなくなっていった。方法二元論とは「である」を使って表されるような事実に関する言明だけから「べし」を使って表されるような当為言明を論理的に導出することは不可能だとするもので、新カント派によって定式化されたが、同内容のことがヒュームの洞察に帰せられてヒュームの法則と呼ばれることもある。[1] 方法二元論そのものについても議論の余地はあるが、今回はこれを受け入れ規範を自然へと還元する方向の議論は退ける。

そこで以下では規範を人為的に設定する思想のみ問題とする。そして、それに対抗するものとして保守主義を位置づけ、この定義に従って保守主義と呼べる哲学者を四人紹介する。つまり、本論は規範の源泉について自然への還元と人為への基礎付けの両者を退けるものである。


1.1 ハイエク -制度を人為のみによって設計することは不可能である-

◇フリードリヒ・ハイエク(1899-1992)

ウィーン生まれの経済学者、政治哲学者。オーストリア学派経済学を継承、発展させた。社会主義者やJ.M.ケインズなどとの論争を契機に、人為的な管理ではなく市場が情報を公正に分配する装置として働き個人の自由が確保されるとする理論に基づいて独自の自由主義を主張した。[2] 主著は、社会思想的な意味では『隷従への道』。


ハイエクは特定の目的のために人為的に設計された集団を「組織(organization)」[3]、自然発生的に生成された秩序を「自生的秩序」(spontaneous order)[4]と呼び両者を区別した。とはいえ自生的秩序は自然として、つまり、人間の実践と独立に存在するものではない。むしろ、私たちの行為が意図せずして作り出しつつ当の行為そのものを可能ならしめるものとして働いている。このことはハイエクが構成的合理主義、あるいは設計主義を如何に批判したかによって明確になる。設計主義においてはあらゆるものについて目的に基づいた設計が可能であるとされている。つまり、全てが「組織」へと還元される。これに対しハイエクは設計が可能であるために既にして自生的秩序が前提されていなければならないとした。このことは法制定の場面を想定しても明らかである。法を制定する主体は何らかの形式に拠ってこそ主体として存在できるのであり、法を制定するという行為もそれが機能するためには何らかの形式に従っていなければならない。でなければ、どのような存在者であっても、あるいはいつでもどこでも任意の法制定が可能になってしまう。一方でここでいう形式は常に行為に先立つものでなければならないため、法制定に関する実定法ではあり得ない。形式はいわば先験的(アプリオリ)なものであり、形式の存在と適用は自生的秩序において暗黙裡に行われなければならない。[5] もし、明示的に行われるとすれば明示化に必要な基準を機能させるための基準が明示化されなければならず、明示化を可能にする形式を求めて無限後退に陥るからである。当然のことながらハイエクは法が実際に人為的に設定されているという事実を認めなかったわけではない。そうではなく、それが可能であるためには設計不可能な暗黙裡の秩序が必要であることを示したのである。また、ハイエクは法が人為的に設定されることに必ずしも批判的ではなかった。彼が法の善し悪しを評価する際の視点は「法の下における自由」が確保されているかどうか、に置かれていた。「法律に従うとき、一般的で抽象的な規則がその適用にかかわりなく規定されているという意味において、われわれは他人の意思に従っているのではなく自由なのであるということである」。[6] ハイエクは制度の規範性について語らなかったがここまでの議論を敷衍して言えば制度が規範性を持つものとして機能することは常に自生的秩序に支えられて可能となるとは言えそうである。


1.2 J.L.オースティン -言葉は私たちに何かをさせる-

◇J.L.オースティン(1911-1960)

イングランド北西部ランカスターに生まれる。若いころからA.J.エイヤーなどいわゆる論理実証主義者の哲学に対し仮借なく批判を加え、後年には言語行為論の礎を築く仕事をしたことでオックスフォード日常言語学派の祖として位置づけられる。[7] 主著は『言語と行為』。


オースティンの言語行為論は「記述主義的誤謬」[8]の指摘から始まる。それは言明を何らかの事実の記述として捉える言語観からの転回であり真偽を命題の意味とするフレーゲ的伝統[9]や論理実証主義の検証主義(意味はその真偽が検証される方法によって定まるとする立場)への批判であった。始めに、彼は「確認的(constative)」発話と「遂行的(performative)」発話とを区別した。前者は例えば「これはペンです」というような世界を記述する言明であるのに対し、後者は「私たちは永遠の愛を誓います」といった宣言、「明日の朝、風呂を掃除します」といった約束など、その発話によって何らかの行為を遂行するような言明である。遂行的発話は真偽を問えるような文章ではないため、そこで問題となるのは成功の条件である。例えば僕が○○さんと結婚します!と今ここで宣言したとしても勿論結婚したことにはならない。法制定の場面でも同様である。遂行的発話が成功するためには社会的な関係に基づく発話主体への権利付与が不可欠であり、それによって発話は「発語内の力」を持つ。このことを明確化するためオースティンは言語行為の構造を三つの層に分けて定式化している。[10]


①    発語行為(何らかの事態を指示する行為の次元)

例)「彼女を撃つのだ!」という発話における「彼女」や「撃つ」という行為の指示。

②    発語内行為(何らかの社会的な効力を発揮する行為の次元)

例)「彼女を撃つのだ!」における命令。

③    発語媒介行為(発語を手段として意図していた結果を達成しようとする行為の次元)

例)「彼女を撃つのだ!」における撃つことの説得

発語内行為と発語媒介行為の区別は前者が社会的な慣習に基づいて「発語内の力」を得ていることにある。この区別に基づいて言明を分析していくと確認的発話でさえも、例えば「説得する」のような発語媒介行為を担っているという意味で行為を遂行するものであることが分かるし、当人がまともな人間でなければ確認的発話は成功しないといった発語内行為の位相における成功条件の存在も明らかになる。また、遂行的発話においても何らかの事実を記述しそれに基づいて行われる発語行為の次元が存在する。オースティンはしつこく日常的に使われる言語を分析することで、自ら立てた確認と遂行の区別そのものを破壊し、あらゆる言語活動は言語行為であること、そして、行為として機能するためには社会的な慣習に支えられていなければならないことを明らかにした。保守主義という文脈において換言すれば、このことは言語の使用を意図に還元する道具としての言語観を転覆し私たちの言語行為がどれほど暗黙の秩序に基づいているかを明らかにするものと言える。言語は私たちの意図を実現させる道具なのではない。逆に、発された言葉は私たちの意図を超えて勝手に行為を遂行してしまうのである。[11] ハイエクの議論を引き継げば制度の制定も社会的な慣習に支えられている。その意味で制度が規範性を持って機能することは、とりもなおさず、制度が発語内行為の次元を持つことを明らかにしている。


1.3 H.L.A.ハート -ルールの中で生きる-

◇H.L.A.ハート(1907-1992)

イングランド北部ハロゲートに生まれる。オックスフォード大学卒業後法廷弁護士として働き、第二次世界大戦中はMI5の軍事諜報機関員であった。1945年からオックスフォードのフェローとして言語哲学研究を開始。英国の法哲学を再興し、現代的な法実証主義の祖として位置付けられる。[12] 主著は『法の概念』。


ハートは当時優勢であったオースティン(※さっきのオースティンとは違う人。J.オースティン。)の法命令説を批判し、『法の概念』において法実証主義を打ち立てた。[13]法命令説は大雑把にいえば法を命令と解するが単なる命令であればそれは「大盗の脅迫」と変わらなくなり規範性を確保できないことは既にみた。ハートはこのことを外的視点と内的視点の区別から説明している。内的視点とは法を受容しその規範性を受け入れている立場であり、外的視点とは法から距離をとって外から記述する立場である。外的視点において記述できるのは人々が規則的な行動を取っているということだけであり、規則的な行動の原因として働く規範性は記述出来ていない。法に関する理論は外的視点はもちろん内的視点の成立をも説明出来なくてはならない。

ハートは法を命令ではなく二階の構造を持つルールの体系として理解する。第1階のルールは第一次ルールと呼ばれ人々に禁止を与えるものである。これは命令と酷似しており、第一次ルールだけでは三つの問題が生じるとする。第一の問題はルールがいかなる状況でどのように適用されるべきかを定めることが出来ないという「不確定性」である。第一次ルールは単に禁止をするだけなので実際に生じる様々な事例の中でどのように適用されるべきかを定めることが出来ないのだ。第二の問題は「静態性」である。第一次ルールの中には時代の変化によって十分に機能しなくなったり改廃されるべきものも存在するはずだが、第一次ルールはそのような手続きについて何も取り決めていない。つまり、ルールを変えるためのルールが存在しないのだ。第三の問題は「非効率性」である。第一次ルールだけでは第一次ルールによる禁止が侵犯されたかを決定する機関を指定することが出来ないためルールが違反されたのかどうかについても最終的な決定が難しくなってしまう。いずれの問題点においても求められているのはルール運用に関するルールである。

そこで第二次ルールが登場する。第二次ルールには上述の三つの問題点と対応する三種のルールが含まれる。不確定性と対応する「承認のルール」はどの第一次ルールが正統性を持つか、ルール同士の優先順位はどうか、といったことを取り決める。承認のルールによって正統性を確保されたものだけが第一次ルールとして機能するのであり、正統性はルールを従わなければならないものとする。つまり、承認のルールが制度に規範性を与えるのである。静態性と対応する「変更のルール」は特定の個人や機関に対して第一次ルールの改廃の権限を与えるものであり、一般市民に対しても特定の法的権利に関する変更を行うために必要とされるルールである。非効率性と対応する「裁定のルール」は第一次ルール違反の有無に関する判定やルールの適用について定めるルールである。

ここで重要なのは第二次ルールは人為的に作られたルールでは有り得ないということだ。もし第二次ルールを取り決めることが出来るとすれば第二次ルールに関する承認のルールとして第三次ルールが要請され無限後退に陥るからである。そのため、第二次ルールは第一次ルールを設計し、機能させるのに必要なものでありながら、それ自体は設計不可能でありそれが機能する条件をさらに遡って問えないものなのである。


1.4 まとめ ―保守主義とはどのような立場かー

「制度が規範性を持つものとして機能するための条件」が私たちの最初の問いだった。ハイエク、オースティン、ハートによるこの問題への回答はそれぞれ「自生的秩序」、「社会的慣習」、「第二次ルール(特に承認のルール)」であり、言葉は違えど制度が機能するための条件を人為にも自然にも還元しない立場であった。保守主義とは制度を完全に人為的なものとして捉える進歩主義、革新派をこのような視座から批判するものである。


2.保守主義者としての後期ウィトゲンシュタイン

ここまでに登場した保守主義達と通底する立場を取り、それを最も広く展開したのが後期ウィトゲンシュタインであった。ハイエクはウィトゲンシュタインからの思想的影響を受けていないはずだが、J.L.オースティンやH.L.A.ハートはそもそもウィトゲンシュタインの哲学的遺産を受け継いで上のような議論を展開している。



◇L.ウィトゲンシュタイン(1889-1951)

ウィーンに生まれる。家は富裕であったが、兄四人のうち三人は自殺し本人も自殺の衝動に苦しんだと言われる。少年期から哲学に親しんでいたわけではなく、本格的に哲学を志す前に読んでいたのは姉に勧められたA.ショーペンハウアー『意志と表象としての世界』だけだった。フレーゲやラッセルによる現代論理学の整備に衝撃を受け彼らの下で学び、第一次世界大戦での従軍を経ていわゆる前期ウィトゲンシュタインの主著である『論理哲学論考』を発表した。M.ハイデガー『存在と時間』と並びその後の哲学に甚大な影響を与えたとも言われる著作だが、発表当時それを正確に理解した人はおらずウィトゲンシュタインは失望した。彼にとって『論考』は全ての哲学的問題を解決するものであったため、ウィトゲンシュタインは哲学をやめ小学校の先生になったが、紆余曲折あって哲学に復帰。『論考』批判から出発して独自の思考を展開した『哲学探究』は後期ウィトゲンシュタインの主著であり、日常言語学派をはじめとする哲学者たちに影響を与えた。


本論では後期ウィトゲンシュタインを保守主義最大の理論家として位置付けたい。そのために、以下では前期ウィトゲンシュタインと対比する形で後期ウィトゲンシュタインの特徴を取り出す。


(1) 厳密性原理と計算主義の棄却[14]

『論考』におけるウィトゲンシュタインはフレーゲに由来する厳密性原理に基づいていた。概念Aが厳密であるのはいかなる対象xを持ってきても「xはAである」という命題の真偽が決定できることである。『論考』においては厳密な概念を特定する強力な言語使用主体を想定することで厳密性原理を遵守していたが、日常的な言語実践は実際に曖昧さをはらんでいる以上、厳密性原理を捨て去らなければ言語の実相に迫ることが出来ないと考えるようになった。それと並行して意味や理解とは、心的記号を厳密な規則に従って運用することであるという計算主義も棄却された。


(2) 自然史的転換

『論考』においては数学と論理学は自然界の事実と独立に存在するものであるとする数学的プラトニズムの立場をとっていたが、『探究』では数学や論理学すらも人間の営みの中でいわば自然史的に生成したものと見なされるようになった。ここで問題となるのは本論で何度も述べてきたのと同様規範性である。営みの中で生成してきたものがいかにして数学や論理学のような問題が提示されれば解答が一意に定まるような規範性を獲得するのだろうか。このことが「言語ゲーム」というタームによって表現される問題群の根底にある。


(3) 言語ゲーム的転換

『論考』において採用されていた言語観は命題が世界の事実を一定の形式に従って写像するというものであり、「意味」の説明に関して世界との一致といった観念に依拠する内容主義的な意味論であった。内容主義的な意味論の特徴は全てを世界との一致不一致=真偽へと還元するものであり、J.L.オースティンの紹介で見たように行為遂行的な言明を排除してしまうものだった。厳密性原理の棄却も相まって意味を真偽に還元して説明することが実態に即していないことが明らかになったため、『探究』では機能主義的意味論が採用される。これは文の意味をそれが私たちの生活において果たしている役割に見るものである。より正確に言えばそこでは語とその定義、という描像が棄却されているのであり、普通の意味での「意味」から言語を捉えるという考え方そのものが批判されている。ある言葉が果たす役割を典型的に示すような場面も含んで表すタームが「言語ゲーム」であるが、原語は” Sprachspiel”であり「言語演劇」と訳すことも出来る。


前期から後期への展開におけるこれらの諸特徴は全て言語ゲームの基底性を示している。言語ゲームとは言葉が生活の中で役割を果たす典型的な場面なのだから、それ自体は私たちの営みの中で自然史的に生成したものである。しかし、私たちが生きる言語ゲームの体系こそが言葉が機能することを支えているのだから言語ゲームの体系を離れて言葉を用いることは不可能である。このように考えると「自生的秩序」、「社会的慣習」、「第二次ルール(特に承認のルール)」とは言語ゲームの体系だと言える。制度が機能するということは制度に関する言語ゲームが演じられるということであり、それが言語ゲームの中で行われるが故に制度は機能する。そして、そこでの規範性は言語ゲームによって支えられている。法制定はそれが成されることを可能にする言語ゲームの中で行われるが故に可能なのであり、そのような言語ゲームの中で制定されることで法は規範性を持つのである。また、言語という観点から考えれば言語ゲームについては対象として語りえない。言語ゲームは言語活動を可能ならしめるものであるため、その背後に回って言語ゲームについて語ることは新たな言語ゲームをはじめることでしかあり得ず、そのため言語ゲームについて説明するのに言語ゲームを利用せざるを得ない循環が生じてしまうからだ。[15]従って、言語ゲームこそが秩序の基層にあって語りえぬものであったことが分かる。



[1] ヒュームの法則とムーアの「自然主義的誤謬」が混同されることがよくあるが、これらは異なる。自然主義的誤謬とは例えば「快楽は善である」と言われる時、「そうなんすか?」といつでも問うことが出来るため、そのような定義は上手くいかない(開かれた問い論法)、というものだが、ここで善は「単純概念」、即ちそれ以上分析(ばらすこと)出来ない概念の一例として挙げられているのであって、「赤い」等でも同様の議論が可能である。ムーアの議論は、単純概念を定義することは出来ないし単純概念について何かを言う場合には必ず総合命題(くっつける命題)になる、と言っているのであって事実と当為を峻別しているのではない。

[2] cf.廣松渉等編『哲学・思想事典』(岩波書店、1998)p.1255

[3] 落合仁司『保守主義の社会理論 ハイエク・ハート・オースティン』(p.19)

[4] 同書、p.49

[5] 同書、pp.80-81

[6] F.ハイエク『新版ハイエク全集Ⅰ-6 自由の条件Ⅱ 自由と法』(気賀健三、古賀勝次郎訳、春秋社、2007)p.30

[7] J.L.オースティン『言語と行為』(飯野勝己訳、講談社学術文庫、2019)pp.273-281(「訳者解説」より)

[8] 前掲邦訳では「記述的誤謬」だったが、落合前掲書との兼ね合いもあり文意の分かりやすい「記述主義的誤謬」とした。

[9] この考えをフレーゲからはじまると考えるのは無理があるが、現代論理学の基礎を築いた彼の考えがその後の英米哲学や現象学にはじまるドイツ、フランスの現代思想に大きな影響を与えているのは本当。また、フレーゲもSinn(意義)とBedeutung(指示対象)の区別を導入することで真偽を超えたものとしての言葉の意味を考えていた。有名な例として「明けの明星」と「宵の明星」は指示対象は同じでもその意義は異なる。

[10] 説明は落合、前掲書、p.72。例はJ.L.オースティン、前掲書、pp.158-159

[11] 本文の流れと関係ないが、オースティン自身によって破壊された確認/遂行の区別こそが言語行為論において重要だとされているような気がする。おそらく現代思想の文脈における言語の遂行的側面の強調によるものだろう。デリダによるサール批判は有名だが、ジル・ドゥルーズやポール・ド・マンによる言及、また、ジュディス・バトラーにおけるパフォーマティビティ(遂行性)の強調も言語行為論と無関係ではないだろう。の文脈だろう。と言いつつどういう脈絡で言語行為論が現代思想と接続しているのか私はよく知らない。教えていただけると嬉しいです!

[12] H.L.A.ハート『法の概念』(長谷部恭男訳、ちくま学芸文庫、2014)pp.543(「訳者あとがき」より)

[13] 以下の説明は瀧川裕英等『法哲学』(有斐閣、2014)pp.203-215を参考にした。

[14] 以下(2)、(3)も含めて、鬼界彰夫『ウィトゲンシュタインはこう考えた』(講談社現代新書、2003)pp.227-256を参考にした。

[15] 何かを説明するためにいつもそれを通して行わなければならないという点では、カントの「カテゴリー」と同様である。言語ゲームもカテゴリーも超越論的(私たちの経験を可能ならしめる)なものとして働くのである。

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