真夜中の文章
こんばんは。
夜になると、なかなか想いにふけりやすいため、今、書いています。素面です。
皆さんには、友達や恋人はいますか?
どんな時に、「会いたい」って思いますか。
というかずっと疑問なんですが、「会いたい」と「逢いたい」って何が違うんでしょうね。
冬。私は一番好きです。
よく友人が人肌恋しい、と言いますが大正解。そんな冬が大好きです。
葉っぱもなくなって、ただの枝になってそれがむき出しになってる木を見て、なんか冬だなあって。そこに痛いくらいの冷たい風が吹いて、乾燥した空気を一気に浴びて涙目になる。
それがとっても切ない。儚い。誰かに抱きしめてほしくて、でもそんな人いなくて。寂しい人生だなあって改めて実感する。
1.寂しいってなに
寂しいという感情って、人がいたら必ずしも消えるものなのだろうか。
私は消えたことがない。人生経験が浅いからでしょうか。
友人との別れ際、帰っていく友人の背中を見ると、寂しくなる。次の予定を立てていたとしても。残酷なことを言うが、人生何が起きるかわからない。次、当たり前のように会えるかも分からない。ふと帰り道でそう考えて、怖くなる。
恋人との別れ際。家の近くまで送ってくれる男性がありがたいことに多い。「またね」と別れた後、恋人はそこを動かない。私は背中を見られたくない。だから振り向いて、もう行きな、と合図をする。大きく手を振って恋人は去っていく。寂しい。
結婚したり、守るべき存在ができたりしたときに、この感情は消えるのだろうか。でも、寂しさがない世界なんて想像できない。寂しさがある程度、生きる意味を与えてくれていると思うからだ。
2.季節の合図
冬
さっきも言ったように、私は冬が大好きだ。
やってくるクリスマス。
街の中心では至る所でクリスマスソングが流れ、木々や天井に飾られたイルミネーション、枯葉の足音、幸せそうなカップルが見つめ合っているあの空間。ケンタッキーにできる異常なほどの行列。
やってくる有馬記念。
中山競馬場に集まる何千人もの人たち。鳴り響くファンファーレ、実況、歓声。舞う紙吹雪。
そして、新たな年へとみんなが向かいだす。
一通りの年末のイベントが終わってのあの静けさが、私は毎回嫌いだ。
みんなどういう気持ちで年を越すのだろう。
でもそう考えている時間が他の季節よりは惜しくなくて。だから好きなんだ。
春
私たち学生は一個学年が上になる。また学校生活が始まる虚しさ。新しい授業へのワクワク感。気持ちは昂るもののなんか体は重い。
新入生をみて、自分も新入生だった時代を思い出す。
「戻りてぇなぁ」
1,2個しか年が変わらないくせに、友人とこういう会話をする、そんな春。
舞う桜の花びらを手でつかんでふと青空を見つめるような映画のワンシーンみたいな瞬間はなくて、春なんて一瞬で過ぎ去っていく。
出会いなんてそんなの年をとればとるほどない。寂しい。
夏
じりじりと照り付ける夏の日差し。揺れるコンクリートの地面。異常なほど聞こえる蝉の声。体に違和感を覚える。何箇所かピンク色に皮膚が膨らんでいる。絶望だ。
女性にとっての大敵、湿気。よく雨も降る。たまらなく胸糞が悪い。
重い足取りでコンビニに向かって、冷やし中華を買う。コンビニのドアが開いて冷気がふわっと流れてきたとき、初めて生きている実感がわく。
少し夜に涼しくなる瞬間が好きだ。きれいな星が見える。
いつか携帯も何も持たずに、半袖短パンで夏の真夜中に散歩をしたい。
欲を言えば、恋人とアイスを食べながら散歩したい。
「ちょっと張り切ってハーゲンダッツにしちゃおっか」「えーもったいないよ。ガリガリ君でいいじゃん」なんて会話をしながら。
秋
まず誰なんだ。「食欲の秋」とかいう言葉を作ったのは。人間なんだから食欲はいつでも湧くんだ。バカタレ。
私の誕生日は秋真っ只中である。
ただ私の好きな果物があまりなくて、いいホテルのビュッフェなんか行ったもんじゃない。全部栗だ。ちなみに父も秋生まれだ。そして、栗が嫌いだ。
涼しくなってきて、上着を着る。
帰り道、鼻につくほどの甘いにおいがする。金木犀だ。
あれは秋限定の香りなはずなのに、今は香水で販売されちゃったりして。
またなんか寂しい。特別を奪われたようで。
「金木犀の香りすごいね」「秋だねぇ」そういう会話をした人のことを毎年思い出す。多分忘れることはない。人工的につくられた香水の匂いではなく、自然の香りを嗅いで会話したこの何とも言えないエモさが、尊い。
そしてまた、冬がやってくるんだ。
こんなこと書きながら、結局どの季節にも
自分の生きる意味みたいなのを自問自答する日々があって、季節によってその考え方は違って。
四季って素晴らしいし、楽しいし、美しい。
たまたま冬が秀でて好きなだけで、他も結局好きです。
3.それぞれの「価値観」
価値観って面倒くさい。恋人と別れる適当な理由になり得ちゃったりするから。でも最近は、その価値観が分かる気がするんだ。実際私もその価値観の違いで別れた相手がいるから。今まで全然理解できなかったのに。
結局恋愛を例に話してしまうのを許してほしい。書きやすいからである。
女性が「大丈夫」といった時はたいてい大丈夫ではないのに、それに気づかない男性。
私は前日の夜からスキンケアを入念に行って、洋服を決めて、当日何時間もかけてメイクをして髪の毛のセットをして緊張しながら待ち合わせ場所に行ったのに、平気で寝坊する彼氏。
デート中に機嫌が悪くなる彼氏。
自分の話を全く聞いてくれない彼氏。なのに、彼の話にちょっと適当な相槌をすると、機嫌が悪くなったり。
盲目になっている人は、そこも含めて愛してるとなるが、人によっていわゆるどこがライン越えなのか違ってくる。
絶対に譲れないもの、というものを作っておくべきなのだろうか。
どうすれば、許せるようになるのだろうか。解せない。
4.思ったこと
ただ私は絶対に大切にしたいものがある。それは
「感動の共有」
あの星きれいだね。あの音楽いいよね。その服似合ってるよ。この前食べたこれおいしかったから今度一緒に行こう。など。
自分が感動したことをすべて、共有できる人を大切にしたい。
欲を言えば、その共有したことに関して興味を持ってくれたり、その感性いいね、なんてほめてくれる人を大切にしたい。
きっとそういう人とたくさんの時間を過ごして、たくさんの自分自身を共有し合って。そんな人生がきっと、私にとっての幸せなのかもしれないなって。思った次第です。
皆さんは、どんな人生をどんな人と歩みたいですか。
早めに決めておかないとどんどん年をとって人生は終了です。
この記事を見たあなたが、いい人に出会えるように、出会っているのならば、その方との幸せをもっと深められますように祈っております。
さ、寝よ。