Brooklynの路地裏にて。文化をリスペクトする
小学生の時にMacに出会い、中学生の時にiPodと出会い、高校生の時にiPhoneに出会った。月並みな話だが、スティーブ・ジョブスに憧れていた僕は、高校卒業と共にデザインを学びに東京に上京した。
今思い返してみれば単なる世間知らずだったが、東京生活の刺激にも2年間で慣れを感じ、更なる刺激と世界最先端のデザインを学びにニューヨークへと留学をした。
限られた1年間の留学であっても日常に趣味は必要だった。そこで僕は「写真」にのめり込んでいった。友人との何気ないホームパーティーなどで一眼カメラを使ってモノクロ写真を撮ってそれをFacebookでシェアして皆から褒められることが素直に嬉しかった。
2010年、アメリカ的に言えば、僕にとってすごくチルな時間だった。
そんなこんなで半年が過ぎた頃、僕はすっかりニューヨークの街に魅了されていた。多種多様な人種が混ざり合い、演劇、音楽、アート、常に新しい文化と触れ合うことで、悶々としている21歳の僕に、「自分の可能性は無限大である!」と語りたくなるような日々を与えてくれた。
そして僕はストリートでも写真を撮り始めた。ニューヨークの音楽を聴き、風や匂いを感じ、浸りながら街や人々の写真を撮る。
まるでジャーナリストになったような気分だ。ただ、ジャーナリストの定義なんてどうでもよかった。当時の僕は、「僕が文化を感じとっている」、「僕は今貴重な体験をしている」ことに意気揚々としていた。
ニューヨークといえば、HIPHOP、ソウル、JAZZ、レゲエも少々。ゆかりの土地を巡りに巡った。ダウンタウン、ハーレム、ブロンクス、そしてブルックリン。
それはブルックリン。2011年春のブルックリンだった。
プロスペクトパークとクラウンハイツの間ほどを、ブルックリン出身の伝説的なHIPHOPアーティスト「ノトーリアス・B.I.G.」の曲をイヤホン爆音で流し、カメラ片手に街並みを撮っていた。
すると、少し細い道に入った場所にある家の入り口階段で、たむろしている少年たちがいた。4〜5人くらいいたかな。おそらく当時の僕と同い年くらいだったと思う。それぞれがクールなスニーカーを履き、バンダナをしているやつもいた。「この感じ」。当時の僕は、浸ってカメラを彼らに向けた。
シャッターを切ろうとすると1人が近づいてきた。はっきりとは覚えていないが、嫌な予感がした。僕はとっさにカメラをおろした。
彼は僕のイヤホンを勢いよくとって、耳元で何かを言った。耳に少しだけの痛みを感じたが、頭が真っ白でその言葉は何も聞き取れなかった。
他のメンバーも寄ってくる。いつの間にか囲まれていた。
怒声の乱打。
ローカルではなさそうなアジア人が、イヤホンで音楽を聴きながら何も言わずにカメラを向ける。相手の立場に立てば、それがどれだけ身勝手なことか。なぜだろう。感受性は豊かな方であったが、その時期、僕は気づけていなかった。
10メートル先ほど距離のある周りにも、数人いるのがわかった。40代らしき女性と目が合った気がしたが、すぐにその場から遠ざかっていった。
少し怖かった。
すると、メンバーの1人が僕の外れたイヤホンに興味を示した。音漏れしているビギー(ノトーリアス・B.I.G.の愛称)の音楽を聴いて、
「お前ビギー聴いてるのか?」と尋ねた。僕はとっさに「うん、好きなんだ」と。
すると一気に彼らの表情が変わった。柔らかくなったという言い方が正解かもしれない。その後メンバーの2人と数回会話をストロークした後、「もういけよ」と言わんばかりの表情で階段に戻っていった。
自分の身勝手さから相手を不快にし、そして文化によって救われた気がした。
現地ではよく「リスペクト」という言葉を耳にする。日本語にすると「尊敬」「尊重」であるが、日本ではこれらはあまり多用はされない。
僕には、文化に対する尊重が足りなかった。そして文化に対する尊敬に救われた。この経験を一生忘れないだろうとその時も思ったし、やっぱり忘れていない。
その後、僕はデザインの道から大学院でジャーナリズムを専攻する道に進んだ。
そして今は、幸せにも、文化を紡いでいくような仕事をしている。
最近では聞かなくなったが、多様性という言葉は、ジェンダーや年齢で語られがちだ。だが、大切なことは、それがジェンダーでも年齢でも、相手が個人でもコミュニティでも組織でも、相手の文化や背景を尊重し、そして尊敬することなのではないだろうか。
世界中の皆が、宗教や人種、ジェンダー、年齢なんて超えて、好きな音楽について語り合える日が来るといいな。
そんな素敵な日には、向いてない歌詞かもしれないが、僕はビギーの曲を聴きたいと思う。