荒木航

主に鬼才ゲーム・クリエイター飯田和敏さんについて発表していきます。 その他、雑記。 …

荒木航

主に鬼才ゲーム・クリエイター飯田和敏さんについて発表していきます。 その他、雑記。 フリーランス。趣味で小説を書く文士崩れ。 マイナー文学、マイナー映画、マイナー・ゲームが好き。

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『オレたちのゲーム領域拡大』 飯田和敏・ロングインタビュー 「青春編」

「飯田和敏」-ゲーム・クリエイター/アート作家 1968年11月26日産まれ。 東京都出身。多摩美術大学油画学科卒業。 大学卒業後、「アートディンク」に入社。退社後、インターネット・エクスポの松下パビリオンのコンテンツ『1996 ATLANTA』に参加。2001年に「予測が困難で多様性に富んだ舞台変化を楽しめるビデオゲーム機およびプログラム記憶媒体を提供する」、サンスクリット語からの「彼岸」から取った、有限会社「パーラム」を設立、その後、2003年に「バウロズ」に改名。取締

    • アジア思想史・修験道と「日本的霊性」

        安易なナショナリズムの横行。  それはSNSを中心としたムーブメントか、あるいは、もっと昔から『ゴーマニズム戦争論』などが発表され「ネトウヨ」なるものが誕生し肥大化し、特定の人々の深層意識やルサンチマンにダイレクトに影響したのか、もっと別の巨大なファロスたる国家や既得権益層の見るグロテスクな幻影か、兎にも角にも「日本人」の大きな語り直しが要求される時代である。  無論、誰かの仕事であり、筆者自身のモティーフにしては大き過ぎる。死に体のアカデミズムに櫛の歯が欠けたようになり

      • ほんとうの詩人

         物語とは一体、何なのであろうか。僕は考える。  人間は先天的に物語を必要とする存在である。  それは古代、人間が人間となったのは、ラスコー壁画に見出せるように宗教と芸術の誕生によるものであり、それが言語化された形が神話であったことからも理解できる。  古代から我々、日本人もそんな物語を大切にしてきた。それは霊と深い関わりを持っているからだ。中沢新一は「物語」とは「モノの語り」であり、「モノ」とは「ツキモノ」や「モノノケ」といった人外の世界の存在である、という。 「合理性の

        • 鉢の中の金魚

           信子は目まぐるしく車窓を流れる、翠緑の線の束を見つめていた。  熱海を過ぎてからはもう暫く海は見えない。平日の汽車の内は閑散としていて、だいぶ前方に、会社勤めらしいスーツの男が、肘掛けの上で、ピアノを弾くようにかたかたとやっているのが見える。  信子は手帳の間に挟んだ桃色の書簡箋を広げると、そこに書かれた細々とした、丁寧なペン字を読み始めた。 『拝啓・信子お姉様。  もう、私はお姉様と一緒にいる事が出来ないのですね——。  お姉様は、修一さんと、私との三人で帝劇へ観に行っ

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        『オレたちのゲーム領域拡大』 飯田和敏・ロングインタビュー 「青春編」

          ランボー、ユング、ポロック

          “永遠また見付かつた。何がだ? 永遠。 去つてしまつた海のことさあ太陽もろとも去つてしまつた。 見張番の魂よ、白状しようぜ空無な夜に就き燃ゆる日に就き。 人間共の配慮から、世間共通の逆上から、おまへはさつさと手を切つて飛んでゆくべし…… もとより希望があるものか、願ひの条があるものか黙つて黙つて勘忍して…… 苦痛なんざあ覚悟の前。 繻子の肌した深紅の燠よ、 それそのおまへと燃えてゐれあ義務はすむといふものだやれやれといふ暇もなく。 また見付かつた。何がだ? 永遠。 去つてしま

          ランボー、ユング、ポロック

          【シャーマニズムと妖怪】

          ● はじめに    私が「妖怪」という存在について初めて出逢ったのは、我が本家の蔵に保存されていた井上円了との出逢いである。そこから柳田國男による妖怪研究に関する書物、そして鳥山石燕の画集に出逢っていった。  その旧家の古風な土蔵は、観音堂のある山に面したまさにマージナルな場所に建てられていた。私は幼年期、小窓からの木漏れ日が微かに差し込み、黴臭い埃が、まるで海中の微生物の様にちりちりとまい漂う中を、懐中電灯を一つ持ち、肝試しでもするような気分でそこに迷いこんでいった。そして

          【シャーマニズムと妖怪】

          巴里へのお別れ

           記憶が有する曲か。そのリミックスか。どちらでも構わない。  核爆弾のクレーターの横のような無慈悲で空虚な闇に踊り疲れたのか、それとも彼女の軟く甘い皮膚と接触し続けている事への倦怠感のせいなのかは分からないが、宙空を舞う埃の如し心拍の鼓動の再現の振動の、ただただたる永遠とその反復の中に、既にミュージックは存在しなかった。  喧騒を離れ、少しでも静かなところに。  そう、本能が欲したのか、彼女の目も、その薄い完熟した桃色の唇もそう言っている。  僕たちは無言でダンスホールを離れ

          巴里へのお別れ

          『オレたちのゲーム領域拡大』 飯田和敏・ロングインタビュー 「宮崎勤事件とオタク」

          「飯田和敏」-ゲーム作家/立命館大学 1968年11月26日産まれ。 東京都出身。多摩美術大学油画学科卒業。 大学卒業後、「アートディンク」に入社。退社後、インターネット・エクスポの松下パビリオンのコンテンツ『1996 ATLANTA』に参加。2001年に「予測が困難で多様性に富んだ舞台変化を楽しめるビデオゲーム機およびプログラム記憶媒体を提供する」、サンスクリット語からの「彼岸」から取った、有限会社「パーラム」を設立、その後、2003年に「バウロズ」に改名。取締役を務める

          『オレたちのゲーム領域拡大』 飯田和敏・ロングインタビュー 「宮崎勤事件とオタク」

          飯田和敏が語る 「オープンワールド」 という思想

          【オープンワールドという思想】 飯田和敏  ゲーム・クリエイター/アート作家 代表作・『アクアノートの休日』『太陽のしっぽ』『巨人のドシン』   僕が一つの文化の起点として重要視するのが1978年です。  「新世代の圧倒的支持」から、三つのカルチャーが誕生しました。 「パンク・ロック」という若者の閉塞感への反逆心。 『スター・ウォーズ』(1977・ジョージ・ルーカス)という宇宙空間への羨望。  そして、『スペースインベーダー』(1978・タイトー)です。  今から僕

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          ゲーム・クリエイター飯田和敏・新作 『スタジウム』 寸評

           飯田和敏の新作、『0323 スタジウム』は「海底散策ゲーム」の開祖の新局地であった。  この「新しいゲーム」は、2022年3月23日に行われ、パフォーマティヴなゲーム作品であり、飯田の同時に原点回帰とも言えるものであった。  飯田和敏は言うまでもなく、『アクアノートの休日』(1995・アートディンク)で鮮烈なデビューを果たした、伝説のゲーム・クリエイターである。 『アクアノート〜』については今更説明は不要であろう。  Macintosh向けの、自然観察ゲーム『アクアゾー

          ゲーム・クリエイター飯田和敏・新作 『スタジウム』 寸評

          『THE BATMAN -ザ・バットマン-』 ・ 寸評

           バットマンの歴史を全て振り返るのには、恐らくそれだけで一冊の本になる。  DCコミックスの歴史でもあり、もう一つの巨大なレーベルであるマーベルの歴史でもあり、最早、グラフィックノベルという、アメリカそのものなのかもしれない。そして全世界にはすでに「文学」「芸術」として研究者がいる。  それだけに歴史が深く、世界に与えた影響は大きい。バットマンは世界で最も愛されるアメリカン・コミックスのキャラクターの一人である。  ここではエポック・メイキング的な映画作品と一部コミックに

          『THE BATMAN -ザ・バットマン-』 ・ 寸評

          『Re:ゼロから始める異世界生活』から見る「ライトノベル」の想像力

           長月達平による『Re:ゼロから始める異世界生活』(KADOKAWA)は、『鬼滅の刃』や『新世紀エヴァンゲリオン』(シン・エヴァ)と同様に、優良なコンテンツだ。  この「小説家になろう」「カクヨム」系の代表的とも言える作品における、現代の想像力とは一体何か。  物語の大筋はこのようなものだ。  異世界召喚された引きこもりの主人公・スバルは、自身に「死に戻り」の能力があることに気が付く。他に特殊な魔法を使える訳ではないスバルは、ハーフエルフのエミリアを守るために、この時間の

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          飯田和敏の芸術性 〜 『アクアノートの休日』 再考〜

          「子供の芸術は自身を原始へ変換し、唯一子供は彼自身の模倣を生み出す。」―マーク・ロスコ  飯田和敏のゲームは、既存の何にも属さない。  唯一カテゴライズするならば、芸術。  安易な言葉だが、それ以上でも、それ以下でもない。  現在、様々な批評家たちがゲームを論ずる。  東浩紀が『ゲーム的リアリズムの誕生〜動物化するポストモダン2』(2007・講談社現代新書) によって更新してから時代は過ぎた。  宇野常寛の『母性のディストピア』(2017・ハヤカワ文庫JA) のゼロ年代も

          飯田和敏の芸術性 〜 『アクアノートの休日』 再考〜