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アジア思想史・修験道と「日本的霊性」

  安易なナショナリズムの横行。
 それはSNSを中心としたムーブメントか、あるいは、もっと昔から『ゴーマニズム戦争論』などが発表され「ネトウヨ」なるものが誕生し肥大化し、特定の人々の深層意識やルサンチマンにダイレクトに影響したのか、もっと別の巨大なファロスたる国家や既得権益層の見るグロテスクな幻影か、兎にも角にも「日本人」の大きな語り直しが要求される時代である。
 無論、誰かの仕事であり、筆者自身のモティーフにしては大き過ぎる。死に体のアカデミズムに櫛の歯が欠けたようになりながらも、カウンター的に「アジア思想史」、つまり我々は「アジアである」ということと様々な文化や思想、宗教の混在から誕生したのが「日本人である」ということは広大なネットの片隅に書き残しておきたい。
 ナショナリズムとは違う、ほとんど息をしていない「日本的霊性」こそ信頼に足る、と。

 余談。
 先日、豪雨の中、雨宿りに行きつけのカフェテラスで珈琲を飲んでいると、隣の席に小雨になるのを待っているバイクで豆を買いにきた外国人がいた。
 何気なく話しかけるとスコットランド人で軽くお喋りをする。
 イギリスのご時世なんかを話していたが、イングランドのナショナリズムの高まりの話。
「まあ、日本人はイギリスが四つの国だって知らないから」と筆者。
「昔バイクで事故をして入院したとき、看護師にイギリス人の方が新しく来ましたよ、と紹介されたんだ。同じ部屋に君くらいの若者がいて挨拶したら『イギリス人なんですね』、と言われたので、いいや、スコットランド人だ、と答えたんだ。そしたら相手が『へえ、スコットランド人なのに英語が上手ですね』と言われたので、F○○Kって言って二度と会話をしなかった」
 この話には流石に笑ってしまったが、ここから見えてくるものも大きい。
 彼の中から「自分はスコットランド人である」という誇りを感じたからだ。

 筆者はもちろん日本国に国籍を置く日本人なのだけれど「日本人としての誇り」は、まあ他の人よりは少ないが多少はある。
 こうして日本語でテクストを残していることが「日本人」とも言い換えられるだろう。日本語の多様性にはこだわりがあるし、それを極限まで極めたい、という思いはナショナリズムとは別の感性で、一部の人間の中には欲動している。
 しかしながら、「日本人の優越性」というのは一切感じない、当たり前だが。
 その上、筆者の考える「アジア」から、あるいはこのネットの辺境のテクストの集積から、「日本人」を問い直す方が現れることを祈る。
 無論、長い旅路の健闘も。

 プラトン、アリストテレス、プロティノスなどの古代自然哲学思想が目指した、自然の統一的に解釈の思想であるイデア論。
 そしてスンナと対立した、ムハンマドの娘婿であるアリーをイマームであると認め、その血縁からコーランを読み解くイランのシーア派の思想。
 この二つのギリシア哲学と一神教の思想が、トルコを中心として混合する。またこのことからシーア派の中からは、現存の一神教とは異なる、自らの肉体の物質性を落とし、精神の内部で光と体現する事を試みる、スーフィーという修行者が現れる。

 彼らは、修行の中でプロセスを踏む事により、心の極点に達する事を試みた。そこは全てが消滅した空の世界であり、光り輝く暗黒の世界である。その極点から「一」という神が現れ、さらにそれが「多」へ分散していくと考えた。 
 イラン哲学の「一なるものとどう出逢うか」という心の探究、宇宙構造の把握の思想は、ヒマラヤ山脈に沿って伝来し、インドで発生した釈迦の説く「空なるものとどう出逢うか」という仏教思想と出逢いさらに結合を繰り返す。
 このような西の東の混在の中から産みだされた仏教の新しい形態は、さらに東に向けて中国へと向かう。

 心の探究において中国では二つの大きな思想の流れがあり、それが老師と孔子である。
 老子の道教の思想は「無名」、つまりは「誰かが見た夢の蝶なもの」である。これはプラトンの現在界からは超越的に存在するイデア界の思想と類似している。またプラトンと同世代に、インドではクシャトリア階級の仏陀が出家をし、存在の極限の「空」を目指している。
 それとは対立的に、孔子の儒教は「関係の中のマトリクスの私」という「正名」のコスモス的思想を説く。これはプラトンの弟子であるアリストテレスの、現実在の中にこそイデアがあるという思想に似ている。
 この二つが混在し矛盾を孕んだまま、なおも結合し形を成した中国の仏教思想、一でありながら多である、無数でありながら重なり合う事の無い、影と影の交わりの中から、精神と肉体は構成される、という思想が日本に伝来した。
 そこには長い年月をかけて対立しながらも、融合を繰り返した流動が見て取れる。

 これらの巨大な宗教思想が日本という列島に伝来する事により、また再び新しい思想である、鈴木大拙の語る「日本的霊性」というものが生み出される。
 大拙は「霊性」とは「精神」とは異なるとし、霊性とは、二つのものが畢竟ずるに二つでなくて、一つであり、又それは一つでありながら二つでもある。二限的に相殺しあわず、相即相入する世界、精神と物質の裏にある、互いに矛盾をしながらも映発をする世界である、としている。 
 それを追い求める為には、人間霊性の覚醒を待つ他無い。霊性は、はたらきを持たない。精神の持つような倫理性を超越した、思想や倫理を媒介としない、超越的な直感力こそが霊性なのだ、とも述べる。

 また、古代日本民族の原始的な宗教の一つに、神霊、祖霊のすまう霊地として山々を崇める山岳信仰があった。そこから、神道という宗教が発生する。
 しかし、大拙はこのような各神道派が、そのまま直接に「日本的霊性」であるとはしていない。神社神道などは、日本民族の習慣の固定化にすぎず、「霊性」の純粋性には近づいていない、とする。
 このような、天地万物に精霊が宿るというアニミズムの信仰は、シャーマニズムを発生させた。脱魂技術を身につけた宗教者を中心に、信者が集まる。神々に仕え、真意を言語化する媒介者として、修行を必要とする、巫女という職業が日本各地に分布していた。
 呪術的であり、神秘主義的なものが形態化されたものである。
 シベリア及び、東部、中央アジアにもこのような、土着的かつ原始的なシャーマニズムの原型が残されている。このような、アニミズムの信仰は日本列島独自に発展したものではなく、現住民族に加え、多大陸からの様々な民族が渡来し、日本の内部で集団を構成した事で、構成化したものだと考えられる。

 そして、これらが呪術的形態を固める最大の流れとして、空海というインディペンデントな思想家が、私度僧として、中国に渡り、密教と曼荼羅の教えを学び、日本に伝来させた事である。
 日本の古来の神話の中には、熊野、吉野を始めとする山々を根拠とする山人と呼ばれる呪術者集団が登場する。
 また、柳田国男の『遠野物語』に、山姥、山人などの多くの伝承が残されているように、山という空間は、我々の生活空間から逸脱した、特殊領域である事が分かる。
 民衆の間では、山中他界、神の住む場所として信仰の対象となっていた。  
 それらが、空海の齎した密教の形態によって一つに統合される。そして『日本霊異記』に登場する、役小角が「修験道」という、日本古来の山岳信仰、仏教の中の密教、中国の道教の要素を混合させた、新たな宗教形態を生み出す事になる。

 山のシャーマンは、修行者として、主に空海の阿波大滝獄や室戸崎での孤独な苦修練業を習い、山中の洞窟に籠り、または霊山から霊山へと頭陀行することにより、神霊を自らの体に降ろし、異形と交わり、深い心の段階に達する事を試みた。つまり空海が高野山で目指した「即身即仏」に到達する為の修行である。
 これら修験者の修行の一つに、最も印象に残るものがある。それは羽黒山奥の荒沢寺で行われる行である。
 寺の内部には、天井から三つの扇をもって天蓋を現し、その下に三尺三寸の赤白二色の布と、その内部に麻糸をよる。この二色は母の血管であり、麻糸が骨を意味する。
 また、その中心の布を垂らした血管には、三十三文の古銭が結びつけてある。古銭は宇宙観の表現である。そしてこの布の上端から四方に縄を張り、そこに紙細工の竜、天狗、蕪、大根などの象徴物が奉納される。
 これら全てが胎蔵の大日如来の胎内を現す空間として成立しており、ここは他界なのだ。
 つまり、宇宙根源である大日如来の内部へと入り込んでいく事により、修験者たちは自らの心の内部の、光と闇の混在する世界へと到達しようとするのである。

 遥か東と西の大陸から幾度となく混在し、スーフィーや仏陀などように様々な神の探求方法を生み出していった。
 その課程で、日本という島国の山岳信仰の中に、大陸からの大きな流れである、シャーマニズム、道教、仏教の密教、伝来した事により、また独自の神への探求方法の一つを、大きな形態化を施したのではないだろうか。このような他界である山岳の寺と、光の誕生である大日如来の胎内という、死と生の混在する非二元論、パラドックスの世界。

 密教の伝来によって宗教的覚醒が起ったことにより、「日本的」な山岳信仰や神道から「霊性」が産まれた。
 この修験道が、遥か西から東へと混合を繰り返し、日本へと伝来しさらに独自の進展をした宗教の極点なのかもしれない。あるいは大拙の言う「日本的霊性」の姿のようにも思える。

 ここまで簡単にアジア思想史を振り返ってみた。如何に日本というのが宗教や思想の混在した地盤の基で成立しているのかは安易に読み解ける。
 その上で日本人は無意識に精神的に「霊」を大切にしているのかが分かるし、体系化された国家神道以前のプリミティヴなアニミズム的な感性は、我々の中から消えることはない。
 仮に消えたら、いやスピリチュアルとして抹消しようとするならば、何に気なしに休んでいる「霊」の祝祭の「盆暮正月」まで我々はワークすることになる。
 それでもまだ、差別と貧困と分断の列島で「日本的霊性」はかろうじて息をしているのである。

 こんなテクストをなぜ残すのか。
 それはかつてのクール・ジャパンやジャパニメーションみたいなものの旺盛からの「ゆるふわなナショナリズム」への極私的なカウンター的なものも無論あって、そのカジュアルなナショナリズムに「日本人として」耐えられなかった。
 SNSが生まれて、その過渡期で「日本人の優越性」が高まり過ぎていく風潮の中で軽い恐怖を感じている昨今、「ゆるふわなナショナリズム」は、あるいは日本人が太古から優越な民族である、ということは、意外なことに特定の人には磁場を持つ。
 アカデミズムを尊ばなくなったこと以前の問題として、最後にこの思想を用いたのは言うまでもない、ナチズムだ。
 ネットの辺境の地に、我々はユーロ=アジア人であり、その中で日本人としての誇りを持つべき、と主張するささやかなカウンターを記しておく。
 あるいは、ここまでお読み頂いた名前も知らない誰かに感謝しながら。

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