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『100日後に死ぬワニ』が僕らに残したもの
※「時事ネタ」初投稿です。
ここ数ヶ月、ツイッターで毎日1ページ更新されるとある「ワニ」を描いた4コマ漫画が非常に人気だった。1記事あたりのリツイート数は軒並み20万回を超えた。一昨日3月20日の夜に主人公のワニが百日目を迎え、(おそらく)亡くなった。最後の投稿のリツイート数は、現時点で216万回になっている。
詳しくはこちらを。
すでに色々な方がこの作品の魅力について分析なさっているので、僕が感じたこの作品のポイントを手短に。
読者はワニが死ぬことを知っているが、ワニは自分が死ぬことを知らずにごくごく普通の日常を送っている。いずれ死ぬことをわかっていながら、今を生きるワニの姿に読者は感情移入する。
読者はどこかで、それが読者自身にも当てはまることに気づく。いずれ死ぬことはわかっていても、僕らには今日を生きるほか無い。そうやって自分自身とワニを重ね合わせることで、この作品への感情移入はいやがおうにも高まる。
敬遠されがちな「死」をテーマにすることで、読者自身に自分の人生を顧みる機会を提供した、示唆に富んだ非常に面白い作品だと思う。
これがこの物語の一番シンプルな骨格だ。
具体的な描写や出来事ではなく、明らかにこの物語の根本的な構造が、この作品の肝になっている。
こんな物語が、3月20日19時20分の、100回目の投稿で幕を閉じた。
Twitterでは、ワニの死を悲しむ声、自分に置き換えてどう感じたかの表明、自分がこのストーリーの惹かれた理由の紹介、いろんな裏設定や途中の未回収のイベントフラグについてまとめた投稿……などなど、大きな反響があった。
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しかし、まだ日も明けぬ3月20日の夜。
事態は思わぬ方向に転がりだす。
— 100日後に死ぬワニ 公式 (@100waniOfficial) March 20, 2020
20日以内の書籍化の発表、映画化の発表、キャラクターグッズの案内、LINEスタンプの発表、アーティストのいきものがかりとのコラボレーション、、、、と怒涛のような商業展開を開始。
これらに対して一瞬好意的な喜びの声が上がるものの、誰かがワニの商業展開の一部に大手の広告代理店が関係していることを発見し(もしくは発見したと言って)拡散。それを受けて、Twitter民の多くが瞬時に「アンチワニ」に傾く。
「この感動は誰かが儲けるために、商業的に創造されたのではないか?」という疑念。自分たちがピュアな感動を抱いていたものが、実は作りものだったことを知ったときの落胆。
作者のきくちゆうき氏がいきものがかりの水野氏とともに、背景の説明、ワニに込めた想い、きくちゆうき氏の死生観、これがいかに純粋な人の想いで動いてたのか、様々な業界の関係者が奇跡的につながって成立した経緯などについて、1時間弱の生放送動画で発表する。代理店の関与も否定。
真偽のほどはわからない。
でも、どこまでも疑念は付きまとうし、良い作品だけにもやもやした気持ちは残ってしまう。
なので、ここでは荒さがしなどはせずに、なぜ起きたのか?それが今後社会にどういう影響を及ぼすのか?、について簡単に書いておく。
なぜ起きたのかを端的に言うと「マーケティングをミスった」に尽きると思う。SNSマーケティングは非常に難易度が高く、いたるところに地雷があったりする。
このケースでは、実情がどうなってるのかではなく、「こういうことをすると、マーケットはどんな反応をするのか、ターゲットユーザーにどうみられるか?」という点についての準備が(結果として)足りなかった、ということだ。
非常に稀有な作品だと思うのでその魅力は最大限守りつつ、ここからマーケティング方法を修正していくことで、リカバリーしていって欲しいと個人的には思う。
もう一つの、「このケースが今後の社会に与える影響」は非常に興味深いと思っている。というか、いたるところで同じような事象が起きている。
僕らは新しい時代に突入した。
今自分が感じている感動は、「誰かが ”自分を感動させるために” 、意図的に作り上げたものなのではないか?」という疑念が常に付きまとうことになった。今、あなたが愛おしいと思っている対象が、実はAIとCGで構成されている可能性はどこまでも排除できない。
この騒動は、そういう時代への過渡期だからこそ生まれた。
これは、まさに「テクノロジーの進歩に、文化と哲学がついて行っていない状態」だ。このあたりのことは、↓の記事にまとめて書いている。
テクノロジーも資本主義も、その本質的な特性ゆえに不可逆的に拡張し、人間らしさがまだ残っているフワッとした領域を根こそぎ舗装していく。それは避けられない。
そんな中で、僕ら人間が、主体性や人間の自由意思・感情や愛情について、新しい哲学を手に入れる必要があることは明確だ。
まだ解決の方向性も見えていないので、ここではまずは問題提起するにとどめていく。いずれ、腰を据えて取り組もう。
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